ここで今のカンボジアの現状をつくった最大の要因の一つ、「ポルポト」について、本当に簡単ですが触れておきます。
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1970年代、共産主義(ソ連)と資本主義(米)の戦いだったベトナム戦争の終結後、実質上敗北し撤退したアメリカ軍のどさくさに紛れて、そのまんまカンボジア・プノンペンを占領してしまったのが、「ポルポト派(クメール・ルージュ)」だ。
(実際にはソ連・中国の支援を受けていた)。
そして、ポルポトが大きく影響受けたのが「文化大革命」下の中国共産党の毛沢東。
つまり「資本主義」の要素を全て否定するということをしようとしたのである。
ポルポトは,市場・通貨の廃止、学校教育の廃止、宗教活動の禁止・・・など、元々カンボジアにあった伝統的価値観や社会体型一切を全て破壊しようと試みた。
「腐ったリンゴは、箱ごと捨てなくてはならない」
ポルポトはこの考えのもと、理想実現のためにかなり大規模な粛正(虐殺・ジェノサイド)を行った。
お坊さん、先生、伝統舞踊の踊り子・・・・あらゆるインテリ層とその家族は、女性であろうが、子供であろうが関係なく捕らえられ、拷問監禁の後、キリングフィールドに連れてこられ虐殺されてしまった。
ある収容所を例にとると、連行され拷問を受けたのは約2万人。
助かったのはわずか7人(!)
カンボジア全体では同じような例で約200万人が粛正されたとも言われる。
そのため、今日のカンボジアでは、文化、伝統、そして歴史さえも継承されず(する人は全部殺された)、ほぼ、国として抹殺されたといってもいい状態に陥った。
その忌まわしい過去の爪跡が、現在も復興から立ち後れている原因の一つとなっているのだ。
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★3日目
午後から「トゥールスレン」と呼ばれるポルポト時代の強制収容所跡を見学。
当時の・・・っていってもわずか20数年前の、ポルポト時代の牢獄や拷問器具が展示されている場所だ。
元学校をそのまま利用したとあって、床の色がかわいい。
展示といっても、拷問用ベッドと繋がれていた鎖が無造作に転がっているだけなのだが、それがまたなんとも説得力がある。
よく見渡すと、未だに床に血の跡が残っている。
わずか20数年前、ここで何の罪もない人たちが、動物以下の扱いを受け、虫けらのように殺されていったのだ。
しかも同じカンボジア人同士じゃないか・・・・。
殺される前に撮られたとされる彼らの顔写真がズラーッと目に飛び込んできた。
こっちを向いてじっと睨んでいる・・・・。
果たして彼らはこの先の自分の運命を知っていたのだろうか?
そっと目をつぶると彼らの叫び声が響いてくる気がした。
ふと気がつくとなんだか頭がクラクラしていた。
ここに今もなお染みついている重苦しい空気が、自分で呼吸することを忘れさせたようだ。
・・・・・少し外の空気を吸うことにした。
収容所の中庭をボーッと眺めていた・・・・。
外はじんわりとさらに暑さが増していた・・・。
拷問を受けている間も、季節は関係なく移ろいでいたに違いない。
腕に食い込む鎖の横で、今と変わらない同じ真夏の太陽が照り続けていたに違いない。
そんなことを思いつつ、どうしてポルポトは同じ人間にこんな仕打ちをしたのだろう・・・と、ボーッと考えていた。
(後編に続く)
参考資料:「トゥールスレン」生き残りのヴァン・ナットさんのインタビューが載ってる記事
http://www.cityfujisawa.ne.jp/~yuki_248/urushibara/urushibara31.html