産經新聞にこういう記事が掲載されていました。
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「アジアのノーベル賞」と呼ばれるフィリピンのマグサイサイ賞を受賞している中村哲さん(61)は、1984年から、アフガニスタンとパキスタンの国境付近で、主にハンセン病患者の診療にあたってきた。
徹底的な現場主義を貫く中村さんにあこがれて、多くの若者が集まった。
2003年12月から、中村さんの活動を支援する「ペシャワール会」に参加した伊藤和也さん(31)もその一人だった。
4年前にイラクで拉致された若者たちの幼稚なふるまいとは次元の違う、プロの仕事ぶりだった。
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論調は、イランで拉致された若者とは「次元の違う」仕事をしていたという。
もし伊藤和也さんが人質となり日本政府に身代金を要求されたらどういう論調になるのだろうか。
あのときは高遠菜穂子さん、今井紀明さん、郡山総一郎さんたちに自己責任だから勝手に危険地帯に行ったやつが悪いという意見が日本中を襲った。
今回の事件の方が危機管理という点では実は問題ではないかと思う。
事実は知らないが、伊藤さんはNGO「ペシャワール会」に属し、その会の指示で現地に派遣されたのなら、自分で選んだ場所というよりも、組織が選んだ場所であり、組織のトップ、中村哲氏のトップとしての責任、現状を分析できていない責任は問われないのかと。
ぼくは、中村哲氏の責任を問えと言っているわけではなく、産経がイラクで人質となった若者と比較して、今回のケースは「次元の違う」ボランティアと言っている事に大きな違和感を感じる事を言いたい。
個人単位でボランティアする人も、誰かの活動に感銘してその会に入りボランティアする人も同じ次元だと言いたい。
両者とも個人責任で行動をとったのであり、亡くなった人だけを「次元が違う」と、イラクで人質なった3人と比較し差別するのは、両者に対して失礼だと思う。
結局、中村哲氏、「ペシャワール会」というブランドで評価しているだけにすぎないように思う。ボランティア、人道支援をブランドでしか評価できないメディアの心は貧しい。
産経抄
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080828/trd0808280247000-n1.htm