2008-07-08

コッポラの胡蝶の夢 このエントリーを含むはてなブックマーク 

この映画には、コッポラの葛藤と妄想、理想との格闘、
覚醒、時空、様々な異次元な感覚が入り混じっている。

主人公の老人ドミニクは、言語の源流をひたむきに追求し続けていたが、
晩年残された研究時間のないことに絶望し、自ら命を絶つ覚悟で、死と向き合っていた。人間のもつ苦悩への描写が、とてつもなく深い、出口なき沼のようだ。

実はコッポラは作品を10年もの間、温めていた時期があり、
その作品がなかなか思惑通りにいかず、
完成させることに絶望感を味わっていた。
それゆえに、主人公ドミニクに共鳴し、人生のはかなさを表現しきった。
いみじくも、人間の中にある多面的構造を吐き出させている。
コッポラの長き創作人生の投影とも言える。

「コッポラの胡蝶の夢」というタイトルについて。

あるとき、彼は夢を見た。これに尽きる。

そして、夢は単なる夢ではなく、自分のなかでは現実でもありえる。
時空を超えて、夢と現実は交差する。
夢と現実の概念がなくなる瞬間が切り取られ、
幻想感覚の世界にひきずりこまれる……。

これぞ、本作品の最大の魅力なのではないだろうか。

ルーマニアという東欧の国が撮影舞台となっている点も
またさらにファンタジックな世界観をうまく際立たせていた。
陽光や、木々のざわめき、海辺…残像。

映画の中に出てきた詩が印象に残った。

―夢の中で、自分が蝶々になり、何も考えず、ただ、楽しく飛び回った。
          
          そして、夢から覚めた。
          
            解らなくなった。
  
         蝶々の夢を、自分が見たのか。

        自分の夢を、蝶々が見ているのか。

             ―孔子―

とても哲学的だ。
このいいようのない感覚が心地良さを感じられれば、しめたもの。

余談だが、この映画の魅力にとりつかれたあとに
ジャック・リベット監督の
「セリーヌとジュリーは船で行く」を再度、観たくなった。
時空を超えた不思議世界に入り浸る快感を味わうと
なぜか、再び迷い込みたい情動にかられる。
ある種の中毒性か??

キーワード:


コメント(0)


池本志賀

ゲストブロガー

池本志賀

“メディアについて考える”


月別アーカイブ