“あんべ光俊”さんのファースト・エッセイ「さよなら My Boy」を読んでいたら、すごく古い記憶を発掘したので、なんとなく綴ろうと思います。
福島県の山の中で生まれ育った僕は、小学校に入る前に三年間、保育園に預けられていた。けっこう人と絡むのが苦手だったと思う。一人で絵を描いたり、当時保育園の校庭(と呼ぶのかはわからないけどグラウンドです)にあった丘の上から、直径1.5cmくらいの小さい泥団子を転がして、壊れずに下までたどり着いたら「すごい!」という遊びが流行っていて、それを誰もいないところで、一人で作ったりしていた。記憶の中には年上の人たちと話したことはほとんどないので、あまり覚えていないけれど、一度その玉の性能を誉められた記憶がある。でもあたりまえのようにその保育園の中では一番すげー玉を作れると思っていた。人と交わらない分、集中力はすごかったように思う。しがらみ“ゼロ”に近かったからかもしれない。井の中の…ってヤツともいえるけど。
でも、年長組になってくると人と関わり始める。気にくわないヤツが最後の年に入ってきたからかもしれない。いやー、最後の一年間はいろいろあった。悪いことをたくさんした。まずそいつはスネオみたいな感じで、何かと自慢していた。そして気にくわないことにみんながそれをうらやましがった。人をまとめ、ひっぱるのがうまくて、今までにその保育園では見られなかった大きな人の輪を作り出した。一人で動き回ることしかできない僕と違って、うらやましい才能だと思った。その上に金色の鍵のキーホルダーやら、早く走れる(実際はどうかわからないけど)靴だとかを自慢して、しかもみんなには貸すけど、僕には貸してくれないのでなんか腹が立っていた。もともと一匹狼のような感じに行動していたけど、今までは大きな派閥チックなものはなかったので、自由に絡みたい人と絡んでいた。でも、その派閥チックなものの誕生によって、孤立感が急に上がったことも原因じゃないかと思う。
言いたくない罪を述べます。まず、金色の鍵のキーホルダーは隠してやりました。何回かやった気がするけど、それだけは覚えている。そして、これはひどい。「チクショウー!」と思って、何も考えずにそいつに向かって投げた石。けっこう離れていたのに、彼の頭を直撃!血を見る結果となり、その気はなかったにせよひどいことをしました。ごめんなさい。
でも、そんな彼とは小学校に入って親友となり、彼はひとをまとめる委員長、僕はそれをサポートする副委員長として、なかなかいいバランスをとることができました。でも、僕は一時期、嫌われないように生きる姿勢をとっていた気がします。そのときはさすがに親友ではなくなっていました。やっぱりお互いに対等に言い合えないとダメですね。うざったいもの。
きっと今でもそういう時あるんだと思います。今勝手にライバル視しているヤツがいます。自分の夢を追いかけているヤツですが、話をすると自分の底の浅さを実感したりします。刺激。もらうだけじゃなく、与えられるように、また胸を張って物事をいえるように、「毎日の生活をしっかりしていく必要があるのかな。」なんてかなり飛躍した回想旅行となりました。僕が生まれる前に発行された本だったけど、かなりおもしろい。読んでいるうちにふきだしてしまうほどにおもしろい。おすすめです☆シモネタがちりばめられていますが…。