2008-02-25

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授賞式当日
朝、10時にボドロフ監督とロビーで待ち合わせ。彼の友人のフランクという弁護士の家のブランチ・パーティに行くため。ホテル前の車寄せで一緒に行く、カザフスタンのプロデューサー、ボラトと立ち話。彼は投資家でいろいろなものに投資をしているという。映画に、ホテルに様々なビジネスに。カザフは92年にソ連崩壊と共に生まれた新しい国で資本主義がまだ成熟していないという。一つの事に限って投資をしていては駄目で、株でいえばポートフォリオを組んでの投資が重要だという。そんな話をしているとセルゲイがボロボロの車で現れる。75年式のメルセデスのクーペ。
フランクの家はサンタモニカにあり、美しく機能的にデザインされた遠くに海が見える邸宅。そこで、ボドロフ監督の友人たちが集まり、セレモニー前のフレンドリーな時間。そこで、以前会った『モンゴル』の編集を行っているザックと再会。彼は『モンゴル』の編集の後、ウォシャンスキー兄弟の『スピード・スター』を編集。後6週間でポストプロダクションの作業を終えねばならなと言う。彼の仕事は9割終わっているのだが、VFXチームはまだ1000カ所以上もの製作があり修羅場だと言っていました。ザックは『マトリックス』の編集も行っており、そんな彼の才能が『モンゴル』では発揮されている。
その後、ホテルに戻り日本のプレスの取材を浅野さんと監督が受ける。オスカーを穫る自信はありますかという質問に「素晴らしい作品が出来上がりノミネートもされたのだから、私は満足している」とコメント。1年の準備、2年に及ぶ撮影、1年のポストプロダクション合計4年もの間、総てを一人で仕切ってきた監督だけが言える言葉。
浅野さんと監督たちをリムジンに乗せて送り出す。と,ここまではスターと一緒にフォーシンズンズ・ホテルに宿泊し,まさにハリウッドでしたが、セレモニーが行われるコダック・シアターへの入場券はプラチナチケットで同行したCHARAさんもアソシエイト・プロデューサーの僕にも数に限りがあり入る事ができない。という訳で、僕は配給を担当する東映の人たちとインターコンチネンタル・ホテルへ移動して、そこのロビーの特設テレビでセレモニーを鑑賞。3時半からレッド・カーペットの中継。後でボラトから聞いたが,日本人の一団が「浅野さん」と大きな声をかけジョージ・クルーニーより人気があったらしい。キャメロン・ディアスがテレビに映ると頭の中はソフトバンクになり,トミー・リー・ジョーンズが写るとボスになる。コマーシャルのイメージの刷り込みは大きい,彼らがアメリカではコマーシャルに出ない訳が分かる。
助演女優賞はボブ・ディランに扮したケイト・ブランシェットかと思いきやティルダ・スイントンが受賞。デレク・ジャーマン・ファミリーだった彼女も、もはや大女優。日本のwowowから携帯に電話がかかってきて,後20分で外国語映画の発表とのこと。もし受賞したらコメントを欲しいと成田空港で頼まれていた。と緊張しだし、外国語映画賞に。ペネロペ・クルスがプレゼンテーター。ノミネート5作品の映像が紹介され、あっという間にオスカーは『ヒトラーの贋札』に。
残念。
場所を移動して,アカデミー賞凱旋ジャパン・プレミアに関して東映の配給スタッフと打ち合わせる。そして,再びフォーシーズンズへ。ボラトが簡単なカクテル・パーティーを開いてくれている。アメリカの配給会社ピクチャーハウスの社長ボブは「ノミネートされて『モンゴル』映像を何千万人の人が一斉に見ている事は大宣伝」と言い、彼は主演女優賞をとったマリアーヌ・コティヤールの『愛の賛歌』も配給しているので、「アメリカ人以外が主演女優賞でオスカーを穫ったのは、ソフィア・ローレン以来だ、これは歴史的にすごい」。同じくピクチャーハウスのサラは,「『モンゴル』に穫って欲しかった」と、でもマリアーヌが受賞したのでおめでとうと僕が言うと「『愛の賛歌』の公開は去年終わっているし,DVDももう発売されている。ビジネス的には『モンゴル』に期待していたと」本音を。ボラトが僕の耳元で「しょうがないよ,結局アカデミーの会員はまだホロコーストのことを忘れていないユダヤ人が多いのだから」と。昨年は『善き人のためのソナタ』だった。遅れてやってきた,監督と浅野さんに東映のスタッフが「すてきな夜をありがとう」と挨拶,なるほど残念だったと言わず,そういう言い方はいいなと勉強させてもらった。ボドロフ監督は誰にもらったのかお土産屋で売っている小さなオスカー像を片手に持っていた。
『モンゴル』のアメリカ公開は6月、全米で700スクリーン規模からスタートし評判が良ければ館数を増やしていくそうです。
日本の公開は4月5日東映系で全国一斉公開です。

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浅井 隆

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