映画『チリの闘い』より © 1975, 1976, 1978 Patricio Guzmán
昨年『光のノスタルジア』『真珠のボタン』が劇場公開されたチリのドキュメンタリー作家、パトリシオ・グスマン。グスマン監督が亡命前にチリで完成させた全3部・4時間半に及ぶ大作『チリの闘い』が9月10日(土)よりロードショー。この作品の公開を記念し、アテネ・フランセ文化センターでパトリシオ・グスマン監督特集がアテネ・フランセ文化センターにて開催。『チリ、頑固な記憶』(97)、『ピノチェト・ケース』(01)、『サルバドール・アジェンデ』(04)が上映された。その最終日となる8月27日(土)、『チリの闘い』特別先行上映後に斉藤綾子氏(明治学院大学教授・映画研究者)によるトークが「政治と詩が出会うところ グスマンの魅力」と題し、行われた。
『チリの闘い』特別先行上映で登壇した斉藤綾子氏(明治学院大学教授・映画研究者)
2011年に山形国際ドキュメンタリー映画祭で『光のノスタルジア』を見てその魅力に惹きつけられたと言う斉藤氏。その後、『真珠のボタン』、そして『チリの闘い』でパトリシオ・グスマンという映画作家は絶対的なものとなったという。
世界初の民主的な選挙で成立したサルバドール・アジェンデ大統領による社会主義政権が、米国の支援などを受けた軍部のクーデターにより破壊される過程を捉えた『チリの闘い』。トークはこのグスマンの代表作を中心に進められた。「『チリの闘い』はチリの政治的状況を淡々と記録している様でありながら、なぜ心を揺さぶられ感動してしまうのか?」という問いに始まり、『チリの闘い』そしてグスマン作品の魅力を解きほぐす内容。
映画『チリの闘い』より © 1975, 1976, 1978 Patricio Guzmán
トーク序盤、『ラ・ジュテ』や『サン・ソレイユ』の監督として知られるフランスの映画作家クリス・マルケルとグスマンの関係が紹介される。グスマンの監督第一作『最初の年』をマルケルがフランスで配給したことや、米国ニクソン政権が糸を引いた経済制裁や右派のストライキなどの影響で、グスマンが映画を準備していた映画製作会社「チリ・フィルム」が閉鎖に追い込まれ、フィルムが輸入されなくなった状況で、マルケルからフィルムが届いたエピソードなど。『チリの闘い』はマルケルらの支援を受けて撮られた作品であることが説明された。
映画『チリの闘い』より © 1975, 1976, 1978 Patricio Guzmán
そして、斉藤氏はグスマンがジャン=リュック・ゴダールやフェルナンド・ソラナス、グラウベル・ローシャらといった同時代の「ニューシネマ」の作家たちが左翼的、戦闘的な映画を作っているのに対し、政治的なメッセージを強く出すのではないことを指摘する。グスマンの作品は、特定の党派に属したり、あからさまに対象を告発・糾弾する態度を示すのではなく、国家やイデオロギーなどに還元できない個人的な小さなものに目を向け、物事の複雑さを捉えようとしている。アジェンデ大統領を信奉する立場というよりは、この大統領を支えた民衆=人民連合を描くことが作品の中心に置かれているのだ。
映画『チリの闘い』より © 1975, 1976, 1978 Patricio Guzmán
『チリの闘い』が稀有なのは、それが革命の失敗についての映画であるにも拘らず、その失敗を冷静に分析したり、あるいは軍事政権を糾弾したり、政治的で戦闘的な映画を作ることを目指していたわけではなく、様々な出来事を経験している市井の人々に寄り添って作品を作り上げていることにある、と斉藤氏は持論を展開。
そしてグスマン作品の特性について、「多くの戦闘的な映画作品が感情的なもの、情動的なものを、人々を扇動するものとして排除する傾向にあるのに対し、グスマンは必ずしもそれをしない。その上でセンチメンタルにならないギリギリのところで作品を作り上げる」と解説した。
映画『チリの闘い』より © 1975, 1976, 1978 Patricio Guzmán
『チリの闘い』の構成について、「一貫したスタイルや美的基準によるものではなく、対象によって様式を変える柔軟さを持っている」と斉藤氏は語る。
第1部「ブルジョワジーの叛乱」ではブルジョワ階級と右派がいかにアジェンデ政権と人民連合を破滅させたか、そのプロセスを描写。
第2部「クーデター」は最後の10分間をドラマチックに盛り上げる『戦艦ポチョムキン』のような構成。
第3部「民衆の力」は時間がクーデター以前に戻り、出来事を人民の側から語り直す。ファシストやブルジョワによって抑圧されてきた人民の声を取り戻そうとするかのように。
この三部構成そのものが「弁証法的な構成」を持っていると斉藤氏は指摘する。
映画『チリの闘い』より © 1975, 1976, 1978 Patricio Guzmán
グスマンの映画制作に向かう姿勢は一貫している。それは「服喪の映画作り」と斉藤氏は形容する。失われた記憶、亡くなった人々、挫かれたチリの民衆の夢を、忘却に抗いどうやって記憶にとどめるか。映画作家グスマンの主題をめぐる中で、
「現在を撮るのではなく、過去の記憶を撮る」というグスマンの作家性がマルグリット・デュラスやシャンタル・アケルマンといった映画作家との比較とともに見えてくる。
「チリ・クーデターのモネダ宮殿空爆の映像。それはグスマン作品の中に何度も反復し戻ってくる映像である。それにとりつかれたグスマンは、まるで『ラ・ジュテ』の主人公のようだ」と斉藤氏。
「絶望的な希望を描く、ユートピア的な映画として美しさを放つグスマン作品。それは観客の知性を信頼し、時間を超え、過去・現在・未来が繋がるもの」とトークは結ばれた。
映画『チリの闘い』より © 1975, 1976, 1978 Patricio Guzmán
映画『チリの闘い』
2016年9月10日(土)より、ユーロスペースにて公開
東西冷戦期の1970年、チリでは選挙によって選ばれた世界初の社会主義政権が誕生し、サルバドール・アジェンデが大統領に就任した。「反帝国主義」「平和革命」を掲げて世界的な注目を集め、民衆の支持を得ていたが、その改革政策は国内の保守層、多国籍企業、そしてアメリカ合衆国政府との間に激しい軋轢を生んだ。やがて民衆の生活は困窮。チリの社会・経済は混乱に至った。1973年9月11日、陸軍のアウグスト・ピノチェト将軍ら軍部が米国CIAの支援を受け、軍事クーデターを起こす。アジェンデは自殺。以後、チリはピノチェトを中心にした軍事独裁政権下に置かれた。パトリシオ・グスマンはこのチリにおける政治的緊張と社会主義政権の終焉を記録する。そして、9月11日のクーデターを契機にキューバ、スペインを経てフランスに亡命。映画監督クリス・マルケルやキューバ映画芸術産業庁(ICAIC)の支援を得てこの「映画史上最高のドキュメンタリー映画」とも言われる3部作を完成させた。
監督:パトリシオ・グスマン(『光のノスタルジア』『真珠のボタン』)
第1部 ブルジョワジーの叛乱(1975年/96分)
第2部 クーデター(1976年/88分)
第3部 民衆の力(1978年/79分)
原題:La batalla de Chile 1,2,3
配給:アイ・ヴィー・シー