昨日、天井桟敷のプロデューサーだった九條今日子さんが亡くなった報を受けました。
僕はアップリンクを設立する前に10年間天井桟敷で舞台監督を務めていました。
僕が天井桟敷に入団したのが1974年、その年に作られた『田園に死す』はカンヌ国際映画祭のコンペに出品された。当時、僕は19歳で劇団の研究生だった。今ではアップリンクの仕事でカンヌ国際映画祭にいくようになったが、当時研究生の僕はそんな華やかな世界は全然知らなかった。
今のアップリンクは僕の天井桟敷での経験なくしてはありえません。映画の仕事を始めることができたのも、あのとき訳もわからず、映画の制作の現場にいたり、劇団のアトリエで16ミリフルムを廻して上映していた経験があったからこそです。
九條さんはプロデューサーだったので、舞台監督の僕は、演出の寺山さんよりも具体的な仕事を教えてもらったことをいくつも思い出します。
ご冥福をお祈りいたします。
───浅井隆(アップリンク社長/webDICE編集長)
(写真は74年カンヌ国際映画祭コンペティション出品作『田園に死す』の上映会場にて。左より寺山修司、新高けい子、九條今日子)
以下株式会社テラヤマ・ワールドよりの公式リリース
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関係各位
2014年5月2日
弊社、共同代表取締役、九條今日子が、4月30日に死去した事を報告いたします。
故人に対する生前の多大なるご厚意に感謝いたします。
死亡日 平成26年4月30日
死因 肝硬変による食道静脈瘤破裂
場所 自宅にて
享年 78歳
【略歴】
九條今日子(くじょうきょうこ)(本名:寺山映子)
1935年10月22日 東京・麻布生まれ。三輪田学園卒業後、松竹音楽舞踊学校を経て、九条映子の名でSKD(松竹歌劇団)の舞台にデビュー。松竹映画に移り「黄色いさくらんぼ」(野村芳太郎監督・1960年)など青春スターとして活躍する。1963年 に寺山修司と出会い結婚。1967年、寺山修司、横尾忠則らと共に「演劇実験室◉天井棧敷」を創立し劇団の初演『青森県のせむし男』を製作。1970年に寺山修司と離婚後も寺山の仕事をサポートし続け、82年の最終公演『レミング:壁抜け男』まで全舞台の製作を担当。また、カンヌ映画祭コンペティション出品作品『田園に死す』(1974年)、『さらば箱舟』(1984年)などの映画プロデューサーも務めた。1983年に寺山修司が亡くなった後は、1997年に創られた『三沢市寺山修司記念館』の設立に力を注ぎ、寺山作品の著作権管理を行い、全国各地で講演を行っていた。著書に『ムッシュウ・寺山修司』『回想・寺山修司 百年たったら帰っておいで』などがある。株式会社テラヤマ・ワールドの共同代表取締役。三沢市寺山修司記念館 名誉館長。三沢市観光大使。
なお、葬儀は下記の通り執り行います。
日時 通夜 5月4日(日・祝) 17時〜20時
告別式 5月5日(月・祝) 10時〜
場所 千日谷会堂(新宿区南元町19−2)
電話 03−3353−4541
喪主 寺山偏陸 葬儀委員長 笹目浩之
寺山家・株式会社テラヤマ・ワールド合同葬
供花のご注文は、テイハナ 受付時間8:30〜18:30
03−3357−1187(電話)03−3357−0087(FAX)
お問合せ 株式会社テラヤマ・ワールド 代表取締役 笹目浩之 03−5456−9160
150-0043 東京都渋谷区道玄坂2-26-18 朝香103