骰子の眼

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2008-07-24 16:01


辻信一さんに「幸せ」ってなんなのかを教えてもらいに行ってきました。【後編】

『幸せって、なんだっけ 「豊かさ」という幻想を超えて』の著者辻信一ロング・インタビュー(インタビュアー:浅井隆)
辻信一さんに「幸せ」ってなんなのかを教えてもらいに行ってきました。【後編】

【前編】 に引き続き、ナマケモノ倶楽部の世話人を務めている文化人類学者で環境運動家の辻信一さんのロングインタビュー後編です。


ゲリラ的にこれまでのシステムから抜けて、
どんなに小さな規模でもいいから新しい物語を作る

浅井 さっき辻さんは東京は他の世界の都市に比べると魅力的じゃない、多様性に満ちてないと仰いましたが、その一番の原因はなんだと思われますか?

辻 やっぱり僕は、アメリカのサバーブと同じことだと思います。生き甲斐だとか、幸せだとかいろいろな言い方があるけれど、そういうものが、「豊かさ」に置換えられてしまっている。「幸せとは何か」「愛とは何か」と問われれば答えられない。でもみんな、ある意味ではそのために生きているはずじゃないですか。ところが、「豊かさ」の追求に忙しくて、その愛が、幸せが、生き甲斐が、いつの間にか、どこかに置き去りにされてきたんじゃないか。「豊かさ」にみんな任せてしまった。

浅井 誰かの意図によって皆豊かさに任せてしまうのでしょうか?

辻 誰か特定の個人の意図というものではないと思う。思えば、すべての文明というのは必ず滅んでいった。どの文明もある種の豊かさにつまずいたと思うんですけど、現在の僕たちの世界が抱え込んだ「豊かさ」という物語はたかだか200年くらいの発明だということを忘れてはダメですね。

浅井 誰がそれを発明して、信じているのですか?

辻 これも、誰か特定の個人の発明ではない。近代経済学の祖というのは、非常にまともな人たちで、経済はある程度まで成長したら、そこで「定常」というみんが物質的に充足する状態になる。無限に成長するなんてことはありえないし、あったとしたらそれはとても不幸な状態だ、と、ジョン・スチュアート・ミルとかアダム・スミスといった人たちは考えていた。だから、誰かの陰謀という訳じゃないでしょう。現代の「豊かさ」幻想がつくられる上で、一番大きかったのはやはり化石燃料の登場だと思います。
それが今、ぼくたちは、ピークオイルと地球温暖化というふたつの巨大な問題を突きつけられている。これまで石油の需要があがれば、それに合わせて供給があがるという時代が続いた。そしてそれが永久に続くという幻想の上に、現代文明のすべてのシステムが乗っかっているんです。でも、ピークオイル、つまり、需要が上がってもそれに供給量が追いつかないという時代がついにやってきたわけです。でも日本ではまだまだ多くの人が、このことを認めようとしない。これまでの大量生産、大量消費というやり方は、石油という安いエネルギーのがぶ飲みによって支えられていたわけだけど、それが、一回限りのがぶ飲みであり、全部飲みつくしたら、それで終わりだ、ということにみんななかなか気づこうとしない。それで僕は「豊かさという幻想」と言っているんわけですけど。


Cuba

浅井 辻さんは世界各地に多く行っていて、東京は均一化している、豊かさという幻想を抱いている人が多いと思われるわけですね。キューバとかヨーロッパの人々は、経済的な豊かさの幻想にしがみついてないと?

写真右:キューバ - Photograph by robynejay

辻 程度の差ですが、たしかにちがいはありそうですね。豊さという幻想に特にしがみついているのは、アメリカと日本だと思います。ヨーロッパでは、ある種のブレーキがかかっていると思います。おもしろいことに、「幸せって何だっけ」という問いは、最近、世界中にひたひたと広がりつつあるんですよ。そういう兆しがたくさんあって、例えばイギリスの保守党の党首デビット・キャメロンも「幸せの政治学」ということを言っていて、GNP(国民総生産)、GDP(国内総生産)を基準にするなんて、とんでもない話だ言う。GWB(総合的な幸せ度)という基準を提唱していて、今なかなかの人気です。
北欧は高負担高福祉で有名ですよね。幸せってそもそもなんなのという問いがあればこそ、そういう社会になっているんだと思う。アメリカや最近の日本の低負担低福祉というのは、豊かさ一辺倒主義だからです。例えばラテンの世界で、お昼ご飯を食べに自分の家に帰ったりする習慣、あれはすごい文化力でしょ。国際競争の世界に住んでいながら、ちゃんとああいう事している。たいしたもんです。これからはグローバル経済に押し流されないそういう小さな文化の力がものすごく大事ですね。世界の色んなところに、よく見ればそれはちゃんとあるんです。それをかき集めてきて僕たちの新しい物語を作ろうよ。カルチャー・クリエイティブというのはそんな感じです。


浅井 少子化問題を辻さんはどうお考えですか?

辻 地球は人が多すぎて困っている訳でしょ。そこから見れば少子化は必ずしも悪いことじゃない。

浅井 政府や企業は少子化になって人口が減ると消費活動が衰えて、国が栄えなくなるという理屈をこねていますが。僕は消費者という言い方がすごく嫌なんです。

辻 同感です。ぼくのことを勝手に消費者と呼ぶな、と言いたい。

浅井 物を買う人がいなくなると企業が儲けられない、全くあきれる程の企業本意なんですよね。

辻 それこそ陰謀ですよ。

浅井 購買者とか、ユーザーとか言い方ならまだいいんですけど。

辻 消費者の権利なんてぞっとしますね

浅井 ただ、その昔から消費者運動とか運動する側も使ってましたよね。

辻 みんな同じ土俵に乗せられた。消費という物語の中に巻き込まれた。

浅井 経済的豊かさという幻想の物語ですね。その物語では企業が栄えれば、そこで雇用されている人たちも豊かになると。少子化になるとその物語を支えられなくなるという事ですね。

辻 そういう物語の中で僕たちは生きてきたわけです。そして、今、その物語は世界中で破綻している。それに代わる新しい物語を作っていかなくちゃいけない訳だけど、一抜けたとばかり、丸ごと抜けるという事は難しい訳ですよね。部分的に、古い言葉だけどゲリラ的にね、これまでのシステムから抜けて、どんなに小さな規模でもいいから新しい物語を作っていくしかない。

キャンドルナイト2008夏至

浅井 そこを一番聞きたいところなんですけど、たとえば辻さんが提唱されて始まったキャンドルナイトとか、一瞬電気を消しませんか、立ち止まってください、きっかけを作って下さいという事ですよね。でも、たった数時間のキャンドルナイトが終わったら、電気がパッと点く、この豊かさの世界からはエスケープ出来ない。その中で僕らは東京に住み続ける。豊かさという幻想は、じわじわと崩れていくのは実感しているし、自分たちが幻想だと気づきだしている。次のステップとしては、個々の小さな物語を作っていく。そのためには、具体的にどういった事をやっていけばいいのでしょうか?

写真右:キャンドルナイト2008 - Photograph by kanonn

辻 気づき始めたというその事が大切なんだと思う。最初に心のアクション、「幸せってなんだっけ」の問いを大真面目にもう一度問うという事ではないかと思う。キャンドルナイトはそのためのきっかけなんだと思って欲しい。「幸せってなんだっけ」は言い換えると優先順位ですよね。自分にとって本当に大切なものはなんなのかという事を、最初から問い直してみる。みんなが、それだけのことを出来たら、世界の問題は半分くらい解決してしまうと思う。もちろん、確かに僕たちは、これまでの物語に代わる物語を作るわけだから、それは大変だし、時間もかかる。ぐずぐずしているうちにタイムリミットが来て、もしかしたら間に合わないかもしれない。そこで人はよく、間に合わなかったら大変だから、急がなくてはならない、と言う。でも、僕は、そう思わない。僕たちは急いじゃ生きられない。子供だって、急いで育つ事は出来ない。家族だって急いで生きる事は出来ない。家族には家族の遅さがあるし、人間には人間のペースというものがある。文化ってそういうものだと思う。コミュニケーションだって、効率的に済ませるなんて出来ないと思う。子供が育つというのは、すごく曲がりくねったとんでもなく面倒くさい道筋なんですよ。それ以外あり得ないんです。
人間が生きるという事は、基本的にゆっくりとした事でしょ。その人間らしいペースを破って、豊かさを求めて加速し続けてきた結果が、地球温暖化をはじめとした環境危機です。だとしたら、今ぼくたちがすべきなのは急ぐことをやめて、もう一度、何のための人生なのかという問いに立ち返り、スローダウンして、自分らしい、人間らしいペースをとり戻すことです。優先順位を組みなおす。すると不必要なモノ、いらないコト、がいっぱい見えてくる。それを、引き算していく。引き算すると、時間がいっぱい戻ってくる。そこに本当の豊かさがある。


フェアトレードでアフリカを救おうというのは、
今まで繰り返してきた物語の焼き直し

浅井 辻さんは大学で教えておられますが、大学生とか若い人の方が新しい物語にちょっとシフトすれば変えられるチャンスが、幻想に組み込まれた人よりもあると思いますか?

辻 新しい人たちの直感ってすごいですよ。多分それは危機感が高まっているという事ですし、それだけサバイバルというのがテーマになってきているということだと思う。だって、いつ何が起こってもおかしくない状況でしょ。自然災害なのか、大恐慌なのか、その中で若者達は未来を探っている。論理的には説明出来ないとしても、今のシステムがインチキだという事にも気づいている。豊かさが幻想だという事もうすうす感じている。この十年間、若者の感性がどんどん研ぎ澄まされてきているようにぼくは感じます。

浅井 僕たち社会人は社会に組み込まれて仕事をしている、そして、ついつい日常の中で忙しいという言葉を使ってしまう。なかなか立ち止まろうと思っても、立ち止まれない。どういうスタイルでやればいいのでしょうか?

辻 格差や貧困をめぐって今面白い議論が行われていて、僕も注目しているのですが、ただ、「不公平だ、豊かさの分け前をよこせ」っていう旧左翼的な話はいただけない。その考えはもう古い。そういう事じゃないんだと思います。

おいしいコーヒーの真実メイン

浅井 辻さんにもコメントを頂いた映画『おいしいコーヒーの真実』はエチオピアのフェアトレード・コーヒーの話です。フェアトレードに意識を持たれる方が増えたせいか多くのお客さんがご覧になっています。

写真右:映画『おいしいコーヒーの真実』

霧の中から出た
写真右:六本木ヒルズ - Photograph by mexican 2000

辻 フェアトレードが注目されているのはいい事だと思うし、僕もそのムーブメントに参加しているつもりでいるんですけど、一方でちょっとうんざりしてきているのですよ。アフリカにも経済成長を、という文脈の中で「フェアトレード」を振りかざすことに違和感を感じます。「フェアトレードがアフリカを救う」といった言い方というのは、今まで繰り返してきたストーリーの焼き直しのような気がしてしょうがない。アフリカに僕らの「豊かさ」を押し付けるのはもうやめた方がいい。まず、フェアという言葉を使う時に、何と何の関係がフェアなのか、を考えてみる。「生産国と消費国の間の公正な価格」というのは、まあ、不公正な価格よりはちょっとまし、といった程度のほんの小さな事だと思います。まずその前に大事なのは、そもそも僕らが生きている社会のシステムそのものがもうフェアとは何の縁もないシステムだということに気づくことだと思います。そもそも人間が自然に対して全然フェアじゃない。一方的に戦争を仕掛けているようなものです。それから、僕たちが富と崇めているものは、ほとんど全て未来からの盗品だという事。六本木のビル街を見あげたら、「未来からの盗品の山」と思うべきです。ぼくたちの文明そのものがこの先何百年という未来の分の資源を短期間で使い果たして、あとは野となれ山となれ、という話でしょ。そんな圧倒的なアンフェアの中で、売り手と買い手の間の価格がフェアかどうかと議論している。

だから、「フェアトレードが世界を救う」的な言い方に、僕はすごく危うさを感じる。それって、自己満足にすぎないのではないか、と。その点、今度来日するカルロス・ソリージャ氏(スローウォーターカフェで扱っているエクアドルのコーヒー生産者のリーダーであり環境活動家)をぼくは尊敬していて、彼の考えるフェアトレードこそがひとつのモデルだと思っています。森林農業によるコーヒーとそのフェアトレードを梃子に、彼と仲間たちは世界有数の生物多様性を誇るアンデスの森を守った。それが自分たちの暮らしを支える森であり、自分たちの幸せな暮らしのためになくてはならない、というばかりか、豊かな生態系を未来の世代の人々にも遺していかなければいけないと彼らは考えた。ぼくたちはその森を守る人々から仕入れたコーヒーを日本に広めることで、森を守り、未来世代に遺すお手伝いをすることができたという訳ですよ。コーヒーのフェアトレードがなかったら森は10年前に無くなっていたかもしれない。だからあれは、森を守ったコーヒーなんですよ。未来を守ったわけです。これこそが、「フェア」という言葉の本当の意味ではないか。フェアトレードというものを、そこまで突き詰めて考えていかなければいけない時が来ているのかもしれません。


浅井 カルロスさんの森林農法の話を聞いて、都会の猥雑で多様な環境の中でどう僕たちの生活や文化を育てていけばいいのかを思いました。森の中の多様なものと共存してコーヒーを育てていく、多少コーヒーの収穫の効率が下がるかもしれないけど、コーヒーも森の生態系の一部なので持続して生産出来る。東京というのが、ある種均一の価値観に覆われた街なら、生活と文化は滅ぶ可能性がある。

辻 そうですよ。人間とカラスとゴキブリとネズミくらいしか住めないようになってしまう。

男性は、もう一回命のふれあいを見いだし、自然と繋がってみて、
現状の枠組みからの脱出を試みるべき

浅井 辻さんは、本の中で豊かさは「愛のないセックス」だと書かれていました。

辻 「仏教のない経済は愛のないセックスだ」という、シューマッハーの『スモール・イズ・ビューティフル』からの引用です。

浅井 男性は愛のないセックスは出来る動物だと改めてこのあいだ映画を観ていて思いました。去年のカンヌ映画祭でパルムドールを取った『4ヶ月、3週と2日』というルーマニアの映画は、共産党政権で堕胎が違法だった時代の話で、女子大生が妊娠をし、友人が医者を捜し、ホテルでその処置をしてもらうという物語なのですが、彼女たちは医者が要求する金額に少し足りないお金しか持ってこられなかった。そこで医者はなんと!二人に体で払えばまけてやるというのです。妊娠をしていない友人の女子大生とならまだしも、その医者はこれから自分が堕胎処置をする女子大生ともやってしまう。そのことに僕はショックを受けました。男はここまでしてもやりたい動物なのかと。そこで、辻さんの本を読んで考えたのですが豊かな経済は愛のないセックスだというのであれば、愛のないセックスができるのは男性であると、そうすると近代経済は男性至上主義的な幻想であると。

辻 その話をすると長くなるけど、その考え方には基本的に賛成です。これまでの主流社会の物語によれば、人間と自然界とは別々のものだという事ですよね。自分は自然じゃないという幻想の上に、近代社会は自然を搾取し、支配することによって、豊かさを増殖させようとしてきた。でも、もちろん自然を痛めつければ必ず自分に返ってくる。それはそうです、いくら否定しても自分こそが自然なんですから。その点、同じ人間でも、女性はまだ大丈夫なんです。女性は妊娠し、9ヶ月間異なる生命を免疫で排除することもなく胎内に宿し、産み、育てる。まさに愛そのものを体現している。ところが男性はそれらがみんな欠けている「愛のない性」。そう考えると、「愛のないセックス」としての近代の「豊かさ」の物語というのは、やはり男性的な幻想かもしれませんね。近代的なシステムが破綻している今、男性のいき場所がないということが、ますます男性にとっては辛い現実になってきていますよね。男性はこの辺でもう一度、覚悟を決めて、命とのふれあいを見いだせるところまで歩み出す必要があるんじゃないでしょうか。自然とつながれるように何でも試してみるといい。また、女性性を補完できるような新しい男性性のあり方を模索し始める。どれも、これまでの「豊かさ」の物語からの脱出を意味していると思います。

浅井 本の中で時間について研究されているという西本郁子さんの「幸せ」についての講演を引用されて入れていて、1ヶ月仕事をしなくてもいい時間があったら何をするかと、いつも忙しい新聞記者の方に質問したら彼はじっとだまって答えに窮したということが書かれていました。最後に質問をさせてください。辻さんはもし1ヶ月仕事をしなくてもいい時間があったら何をしますか?

辻 難しい質問ですね。そうだな、旅をするか、絵を描くかな。絵を描くのがずっと夢なんです。それに畑仕事や大工仕事をしたい。そして、料理を毎日やりたい。それで思い出したけど、ナマケモノ倶楽部は、原則、夏休みを一ヶ月取ることになってるんだけどね。

浅井 今日はどうもありがとございました。


「幸せって、なんだっけ」表紙

「幸せって、なんだっけ 「豊かさ」という幻想を超えて」

著者:辻信一
出版社:ソフトバンククリエイティブ

著者より:
本書は、「幸せとは何か」という本ではない。「幸せ」についてじっくり考えたり、ゆっくり話したりしづらいこの時代に、幸せの前に立ちはだかっている「豊かさ」という名のモンスターを退治して、しかるべきところへ引っ込んでもらおうという本だ。
そして、もう一度、「幸せって、なんだっけ」とみんなが考え直せるように、地ならしをするための本だ。





辻信一氏 プロフィール

文化人類学者、環境運動家。明治学院大学国際学部教授。 「100万人のキャンドルナイト」呼びかけ人代表。
NGOナマケモノ倶楽部の世話人を務める他、数々のNGOやNPOに参加しながら、「スロ-」や「GNH」というコンセプトを軸に環境文化運動を進める。環境文化NGO・ナマケモノ倶楽部を母体として生まれた(有)スロ-、(有)カフェスロ-、スロ-ウォーターカフェ(有)、(有)ゆっくり堂などのビジネスにも取り組む。

・辻信一氏オフィシャルサイト
http://www.sloth.gr.jp/tsuji/

・ナマケモノ倶楽部
http://www.sloth.gr.jp/

浅井隆 プロフィール

アップリンク取締役社長 / webDICE編集長

・浅井隆 webDICEユーザーページ
http://www.webdice.jp/user/10/

・アップリンク公式サイト
http://www.uplink.co.jp/

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