骰子の眼

cinema

2008-07-21 11:09


「僕はもう35ミリで映画を撮らないかもしれない」レオス・カラックス

メディアの取材ではなく、学生を前にしたトークでは以外と本音を語るもの。普段は無口だと言われるカラックス監督による映画美学校マスターコースのレクチャー
「僕はもう35ミリで映画を撮らないかもしれない」レオス・カラックス
  • 司会は映画美学校で講師を務める青山真治監督

  • 会場は禁煙、煙草1本を手に持って

映画『TOKYO!』のプロモーションのために『汚れた血』『ポンヌフの恋人』のレオス・カラックス監督が来日していた。
そのカラックス監督が7月19日映画美学校で23歳で撮った彼の初長編作『ボーイ・ミーツ・ガール』を上映した後、青山真治監督の司会により映画美学校のマスターコースの授業の一環としてレクチャーを行うというので参加してきました。

別の記者会見で『ポーラX』以後9年間映画を撮っていなかった理由について「資金はなんとかすれば見つかるのですが、一緒に仕事をするにはぴったりというような、心が通じ合う人が見つからなかったからです」と答えていたカラックス監督。映画を撮り始めた時の事を「普通のティーンエンジャーと同じように僕も孤独でした。バイトをしてボレックスの16ミリカメラを買いました。カメラは僕にとって、女の子に話しかけるための道具で、社会とコミュニーケートする道具でした」と訥々と語り始めた。「映画を発見した時は、こここそが自分の家であり、国であるような気がした」と無声映画を見た事によって自分が映画の中に誕生したという彼にとって映画とは「暗闇の中に置き去りにされた孤児」だという。

彼にとっては映画製作とは自分の人生とは切っても切りはなせないもので女優についてどう思うかという質問に、少し間をおいて、「今までの長編映画には全て自分の彼女を出演させてきました」と言い切り、一方男優ドニ・ラヴァンに関しては「僕は映画の中に映る男優の実人生には全く興味がない、ドニ・ラヴァンは監督にとっては粘土のような存在で、彼自身もいろいろな役柄に粘土のように変化する事を望んでいると思う。実は彼とは友情というような関係はなく、今までいっしょに食事をした事さえない。初めて食事を一緒にしたのは今回『TOKYO!』の撮影で時間があり散歩をしていて雨が降ってきて、そのとき偶然散歩をしていた彼と道で会い、お互い食事をしていなかったので食事をしようかということなり取った夕食が彼と出会ってから初めての食事でした」と語る。

一方、03年に亡くなった彼の盟友であった撮影監督ジャン=イヴ・エスコフィエについては「僕らはいつも会っていた、映画の事から何から何まで話した。彼は僕が無口なのも尊重してくれた。『ボーイ・ミーツ・ガール』『汚れた血』『ポンヌフの恋人』といっしょに仕事をして、10年間つきあってきた。ちょっとしてけんかをして疎遠になり、そして彼はアメリカへ行った。その時は離婚をしたようなものだった。亡くなる前に彼と会って和解してもう一度一緒に仕事をしようと約束をした後に彼は亡くなった」と価値観を共有できたスタッフとの幸福な出会いを語ってくれた。
その話の後、「もう僕は、35ミリで映画を撮らないかも」と衝撃の発言をぽそりともらした。

「映画とは他人を説得するものだといっていい。『ポンヌフの恋人』には3年かかった。最初の数週間に撮ったものは全く使いものにならなかった。僕にとって映画を作るという事はそれくらいの時間を必要とするものだ」最初に記した記者会見でのコメント「心が通じ合う人がいない」というのは、彼のその製作スタイルを理解する心を交わせるスタッフがいないという事だろう。
「今回の『TOKYO!』は撮影に3週間という制限で初めてビデオで撮影した。知らないスタッフと知らない土地で限られたスケジュールでの撮影だった。今後はそのようにビデオで撮影するか、3年かけてじっくり作るかの作品どちらかしかないだろう」と言っていた。
レオス・カラックスにとってジャン=イヴ・エスコフィエとは違うカメラマンによる撮影で3年もの年月をかけることができなかった『ポーラX』の撮影は苦痛だったのではないだろうか。新しいスタッフと撮り始めて最初の3週間でやっとコミュケーションがとれてきたと思ったらそれはもう撮影の後半を迎えねばならなかったはず。自分の人生と深く交わる事のない関係しか築けない映画撮影の現場。通常のプロの現場とはそのようなものである。しかし彼は映画製作のプロ=専門家ではないということだ。
それなら異邦人として参加した『TOKYO!』のプロジェクトの方が始めから誰とも深い絆を気づく必要のない短期間の撮影なので楽だったということだろう。

自作は一度も見直した事がないというカラックス監督に「あなたにとって歳を取るという事はどういうことですか」と質問したら「私にとって今も『ボーイ・ミーツ・ガール』を撮った年齢と同じと思う時もあるし、100歳になったように思う時もある。私はいつもこれが最後の映画になるという思いで映画を撮っています」と答えてくれた。

現時点でのレオス・カラックスの最後の映画『TOKYO!』の中の一編『メルド/糞』は8月19日より、シネマライズ、シネ・リーブル池袋にて公開

(テキスト・写真:浅井隆)

公式サイト
http://tokyo-movie.jp/

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コメント(1)


  • Reiko.A/東 玲子   2008-07-21 16:25

    へ、閉鎖的な人ですね~。
    レオス・カラックスは結局、『汚れた血』以外を見たことがあるのかないのか、
    自分でもわからなくなってしまいましたが、
    『汚れた血』はなにか、当時の「イマ風」に、「傷ついている」ことが前提としてガバッと出てきて、
    カメラもなにか妙に対象に近くって、
    若者の短絡思考と、ロマン主義と、輪廻転生と、人の善意踏みにじりがごちゃ混ぜで
    (すみません、記憶のみで語っています)、
    なんだか落ち着かず、決して好きとは言えませんが、印象に残る作品ではありました。
    まあ、邦題がよかったと思います。これが、『悪い血』とかだったとしたら、やっぱり印象が半減したことでしょう。

    しかし、自己責任とまでは言いたくありませんが
    (なぜなら、よいことをしたつもりでも悪い結果が出る時もあるから。
    すべては、この世の自分だけでは制御できない、連綿たる命のつながりの中で起こることだから)
    「心が通じ合える人が見つからなかった」と語る時、
    では、その当人は、他人と心を通じ合わせようという努力をどれだけしたのかな、
    という気もしないではありません。
    たとえば、かつての撮影監督が、「無口な自分を尊重してくれた」と語っているようですが、
    では、彼自身は、自分とは正反対な、
    おそらくそういう人にとっては苦手なタイプであろう、
    「饒舌な他人」に出会ったら、いったいどれだけ尊重できるのかな、とか考えてしまいます。
    別に、揚げ足取るつもりではないんですけどね。
    しかし、自分を中心に据えて、自分のことをわかってくれる人だけを見つけようとしていては、
    限界が来てもあたりまえなのではないでしょうか。

    確かに、大勢の人間を必要とし、その分チームワークが必要とされる映画制作は大変でしょうが、
    今後はヴィデオで作っても十分なのではないかな、技術も発達していることですし。
    むしろ、こういうタイプの監督は、
    撮影から編集から、なにからなにまですべて一人でやれば、
    かえってもっと納得のいく作品が作れそう。