今年の第72回カンヌ国際映画祭の批評家週間「特別招待部門」に選出されワールドプレミアされた空族・富田克也最新作『典座 -TENZO-』。日本では、いよいよ10月4日(金)よりアップリンク吉祥寺・渋谷・で公開となるが、それに先駆けて「あいちトリエンナーレ2019」にて8月9日(金)と9月17日(火)に日本初上映でお披露目された。9月17日(火)の上映では、富田克也監督、出演の河口智賢(かわぐち ちけん)さん、倉島隆行(くらしま りゅうぎょう)さんに加えて、愛知専門尼僧堂堂長であり、曹洞宗随一の尼僧、青山俊董(あおやま しゅんどう)老師も登壇された。今年86歳になり、最近、体調を崩されていた青山老師であったが、登壇されたその姿は元気で朗らかに、そして、言葉の切れ味は全く衰えることがなくお話しをされた。
1時間半ほどに及ぶ長時間のトークの抜粋をここにお届けする。
『典座 -TENZO-』は、全国曹洞宗青年会の実際の僧侶たちが、映画製作にあたり、彼らが“今、一番話を聞いてみたい曹洞宗の高僧”青山俊董老師の元へ、実際に智賢が訪ね交わされた対話を軸に構成されている。そして僧侶のたちの日常を通して、3.11以後の仏教とは?そして信仰とは?という問題を、ドキュメンタリーとフィクションを交えて描いている。なお、出演する智賢さんと富田克也監督は従兄弟にあたり、空族の記念すべき劇場公開1作目『雲の上』の主人公は、智賢さんをベースに脚色されている。『雲の上』は10月5日(土)よりアップリンク渋谷にて、10月12日(土)よりアップリンク吉祥寺にて上映される。
日時:9月17日(火)
場所:愛知芸術文化センター
登壇:富田克也(監督)、青山俊董(愛知専門尼僧堂堂長/出演)、河口智賢(主演)、倉島隆行(主演)
司会:津田大介(あいちトリエンナーレ2019芸術監督)
津田:今ご覧になって皆さん思われたかもしれませんが、62分という短尺の映画にも関わらず、3時間くらいの超大作を観たような気分になったと思います。僕自身、初めて観た時は、フィクションなのかドキュメンタリーなのか、あるいはノンフィクションなのかも分からない、まさにその間を行き来するような作りで、こんなに面白い映画があるのかと驚きました。まずは出演者の皆さんがこの映画を観て、どう思われたのかご感想をお願いいたします。
倉島:私は撮影中や編集中は観ることがなく、完成したものを初めて観ましたが、その時はあっけにとられたというのが正直な感想です。理解しようしても分からない、すごい映画が出来たなという印象でした。この映画は、道元禅師が遺した「典座教訓」にある<苦><酸><甘><辛><鹹><淡>という章に分かれておりますが、その中で言えば<淡>いというのが初めの印象でしたが、繰り返し観るうちに、ほかの味も理解できるようになってきた気がすると言いますか。ですから、皆さんには6回ほど観て頂くとより理解が深まるのではないでしょうか(笑)。
河口智賢さん(左)、倉島隆行さん(右)
河口:私は、編集段階から完成したものを度々観ておりましたが、その度に、監督が編集を変えていって、今の形に落ち着きました。まるで生き物のように姿を変えていく様に驚き、印象としては「生きている」映画だなと感じていました。
津田:青山老師は如何でしょうか?
青山:道元様の修行というのは、事と時を限らないすべてが修行であると仰っております。いつからいつまで、何と限らず、すべてを修行という風に受け止めておりました。この映画は、そのことに焦点を当てられていると感じました。
加えて、「禅」を身近に受け止めて頂くという、難しい課題に挑戦し、今のお寺さまの活動というものを併せて紹介されたのかなと思っております。
映画『典座 -TENZO-』 © 空族
津田:監督にお聞きします。何故、曹洞宗をテーマにこの映画を作ろうと思ったのか制作の経緯をお聞かせ下さい。
富田:まず曹洞宗青年会から話を頂いて、曹洞宗という宗派を紹介する映画を作ることになりました。その為に僕は、曹洞宗を知らなければならないと思い、それならば、曹洞宗一の人格者に聞くのが一番早いと考えまして、それで青年会の方々に「その方はどなたでしょう?」と質問しましたところ、皆さんが口を揃えて仰ったお名前の方が、今お隣りにいる青山俊董老師でした。
そんな方がいるなら僕も是非ともお会いしたいと思いまして、まずその時のことをカメラにおさめておこうと思いました。そして、せっかくお話を聞きにいくなら「禅問答」の如く弟子が、師匠に自分の思いをぶつけて答えて頂くという想定を思いつきまして、智賢が青山老師に思いのたけを喋ってもらう、それについて老師に答えて頂くような形式で、カメラを3台構えて、何のシナリオもなく一発本番で2時間半に及ぶシーンを撮りました。
映画『典座 -TENZO-』 © 空族
津田:劇中でその禅問答が中盤に繰り返し挿入されます。その部分はドキュメンタリーということですか?
富田:はい、そうなります。それで僕も当然、その場でお話を拝聴しておりましたが、僕含めスタッフ全員が青山老師に魅了されてしまいまして、この映画はそこから始まりました。その日撮った映像に確信を得て、この映画の中心をこの対話にしようと決め、その横にフィクション部分のパートの付け足していくようにシナリオを書き出来上がっていきました。
津田:河口さんは、青山老師と対話して如何でしたか?
河口:その2時間半、思っていることを正直に青山老師にぶつけさせて頂きました。私自身、僧侶として生きる生活の中でたくさんの悩みを抱えています。修行に行っていた頃は、俗から離れて、綺麗なことを教わりますが、戻ってきて、日常生活を送るようになると、葛藤が大きくなっていきました。例えば、近所のコンビニに行く時も、知り合いに会うと「お坊さんもコンビニに行くんですね」なんて言われてしまいます。それで、恥ずかしくなってしまい、帽子を被って、私服に着替えて、コンビニ行ったりしていました。どこかこそこそと「お坊さん」を生きていたように思います。ただ、そんな中で8年前の3.11東日本大震災、原発被害があり、日本人全体の価値観が大きく変わっていく中で、自分たちが為すべきことは何かということを考えて、自分たちなりに手探りで始めていました。
今回の青山老師のお言葉には、それについての沢山のヒントを頂いたようで大変有難く感じています。
映画『典座 -TENZO-』 © 空族
津田:フィクション部分についても、実際の話がベースになっている部分が多くみられるように感じます。どの程度がフィクションで、どの程度が実話なのでしょうか?
富田:この映画のフィクション部分は、山梨と福島に分かれています。山梨県のパートに出演している河口智賢は、実際に劇中に出てきたお寺に住んで活動している。彼の息子が実際にアレルギーに苦しめられていたりする部分も実話です。一方の福島県パートは、曹洞宗青年会の福島支部の皆様と話していく中で、お寺も家族も檀家さんもすべてを津波に流されてしまい自死した同僚の僧侶もいたという話を聞いたりして、その話にインスピレーションを得て創作した人物を、三重県津市にある四天王寺のお坊さんで、当時青年会の会長を務められていた倉島隆行さんに演じてもらいました。
津田:本物の僧侶である河口さん、倉島さんは、もちろん演技のご経験などはなかったと思いますが、撮影は如何だったでしょうか?
河口:この映画を観る度に自分の演技に恥ずかしくて堪らない気持ちになります(笑)。ただ僕の場合、富田監督は従弟の関係にありまして、子供の頃から知っている間柄にあります。加えて、小規模で撮影していく空族の映画のスタイルも知っていましたし、妻や子供、父親など本当の家族が出演しています。すべてが本物の中で演じているわけですから、その意味で言えばやりやすかったのだと思います。また素人臭さを残しつつも、本物のお坊さんがお坊さんを演じれば、そこから滲み出てくるようなものがきっとあるはず、という監督の思いも分かりましたので、あまり気負わずに演技に臨むことができたのかもしれません。
倉島:当然ながら演技経験も無い素人ですし、下手なことは分かっておりましたが、監督やスタッフの方々が一生懸命その場を作って頂きましたので、私として出来る限りやらせて演じさせて頂きました。そして、様々な難しい問題を抱えている福島を舞台にしておりますので、そのことについての思いや考えを、私なりに表現させて頂いたつもりです。でも、頑張りすぎたのか、カンヌ映画祭で上映された際に「あなた、お酒飲む演技が上手だね」とフランスの方に仰って頂きました(笑)。
映画『典座 -TENZO-』上映の様子
津田:ところで青山老師は、最近ご体調を崩されたとおききました。お体は大丈夫ですか?
青山:私事で恐縮ですが、今年で86歳になります。歳をとるごとに忙しくなりまして、ここ数年、体の方が赤信号を出していたことに気付かなかったようで、今年の3月に脳梗塞を起こして、3か月講演をお断りして入院していましたが、6月に退院して、1か月程度で今後は心筋梗塞を起こしまして、また入院。今は退院して1か月あまりになります。みなさんに大変ご心配をおかけしまして、今度再々発すると「さよなら」だよと、皆さん心配してくれまして、直接私に葬式の準備についてご連絡下さった方もおりました(笑)。
ただ、病気をさせて頂くことで学ぶことが沢山ありました。まず脳梗塞の時は右半身に不自由がきたので、当たり前にできていた、歩く、喋る、書くなどの行為が「神業」にみえました。元気な時は何とも思わないですが、当たり前ということがどんなにすごいことかと、まずは一つ学びました。
青山俊董老師
それから、心筋梗塞の時、入院して、杖をついてよちよちと病院の廊下に出ますわな。そうすると目の前に、いろいろな人がいます。お医者さんとか看護師さんなどは、荷物をもって歩きまわっております。私みたいに杖でよちよち歩いている人もいれば、車椅子で歩いている人もいる、寝台に寝かされている人もいる、これは仏教用語でいう「生老病死」という言葉が、まさにその全部の姿が一度にみえた気がいたしました。
これは言い換えれば、愛する日もある、愛が憎しみに変わる日もある、損する日もある、得する日もある、失敗する日もある。喜ぶ日もある。落ち込む日もある。生きていく中で色々のことがある。そのすべてが人生の道具立てなんだということです。
「典座教訓」は<喜心>、<老心>、<大心>という三つが最後の結びになっております。
<喜心>とは、どんなことも幸いとして受け止めなされ。
<老心>とは、自分を愛するようにすべてを愛していきなされ。
<大心>とは、全部をあらゆる水を受けいれるから川になるように、
どんな土も選り好みなく受けいれるから山になるように、いかなることも受け入れる大きな心をもつように、ということです。
もし富田監督が『典座 -TENZO-』の続編を作ることがあれば、今度は、この三つをテーマに作ってみては如何でしょうか(笑)。
富田:願ってもないことです。ありがとうございます。最初、仏教をテーマに映画をつくるなんて、きっと何時間あっても足りないんじゃないかと思いましたよ。よくよく冷静になってみて、こりゃ大変なことを引き受けてしまったなと……まあでも、もはやまな板の上の鯉。結局は真正面からぶつかるしかなかった。そして、青山老師にお会いすることができ、お話を聞いて、肩の荷がすとんと降りたといいますか、仏教の大きな器を感じることができたといいますか、この映画にはなんでも入れることができる、と思えたんです。ドキュメンタリーもフィクションも、プロもアマも表方も裏方も、さらにCGだろうが実写だろうが、全てはこの世界を構成する各要素じゃないか。とにかく必要だと感じたことはなんでもやって、映画の“作法”としても仏教の世界観を表すようなものにしようと。そうしたら意外にも約60分の尺に収まってしまった。仏教って、とてもシンプルなんだなと今は思うんです。
そして何より、青山老師が対話の中で「たったひとりでいい。本物に立ち上がって欲しい」と仰ったことが本当に嬉しかった。仏教が立ち上がれと言ってくれるのかと。ともすれば、仏教は静かに坐するのみというイメージが先行してしまいますよね?だから、映画の後半で裏方の撮影部隊にもカメラを向けられるショットがありますが、それは自分たちも立ち上がりますという決意も込めてのものでもありました。
是非、これからご覧になる方も、青山老師の言葉を大切に持ち帰って頂きたいと思っています。
映画『典座 -TENZO-』
10月4日(金)よりアップリンク吉祥寺・渋谷にて公開、以降全国順次
出演:河口智賢、近藤真弘、倉島隆行、青山俊董
監督:富田克也
脚本:相澤虎之助、富田克也
プロデューサー:倉島隆行
宣伝:岩井秀世
配給:空族
製作:全国曹洞宗青年会
2019年/62分/DCP/ビスタ/5.1ch