骰子の眼

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2019-09-25 17:30


若手作家の登竜門「ロカルノ映画祭から世界へ」は加速する 現地レポート

『よこがお』筒井真理子さん現地インタビューも収録
若手作家の登竜門「ロカルノ映画祭から世界へ」は加速する 現地レポート
ロカルノ映画祭の野外上映ピアッツァ・グランデ会場(撮影:維倉みづき)

2019年8月7日~17日の11日間にわたってスイス、マッジョーレ湖畔で開催されたロカルノ映画祭。今年は延べ16万人の観客が432回の上映で計245本の作品を鑑賞した。ロカルノ映画祭の特徴は、世界に先駆けて若手監督の作品を中心に取り上げ、その監督たちが10年後、20年後にカンヌなど世界中の映画祭で評価されてきた結果を残してきたこと。しかし今年は10年待たずとも、ロカルノ映画祭でワールド・プレミア(世界初上映)あるいはインターナショナル・プレミア(製作国外での初上映)を果たした作品が秋にかけて世界中の映画祭に旅立っている例が多く見られる。本記事では今年のロカルノ映画祭を振り返りつつ、他国への横展開にも触れながら良作をご紹介する(執筆:moonbow cinema 維倉みづき)

ロカルノ映画祭会場案内
ロカルノ映画祭会場案内(撮影:維倉みづき)

男女半々が当たり前のロカルノ映画祭

近年、カンヌやヴェネツィア、東京などの国際映画祭を対象に、主要コンペティション部門への女性監督作品の少なさが問題視されているが、ロカルノの場合は問題視される前から、良作を選んだ結果の自然な形として女性監督が多く参加している。特に今年は映画祭ディレクターにリリ・インスタンが就任した他、8,000人の野外上映「ピアッツァ・グランデ」部門新作16本中6本の監督、最高賞である金豹賞を競う「Concorso internazionale」部門17本中6本の監督、同部門審査員長カトリーヌ・ブレイヤなどが女性で、上映前後の挨拶や質疑応答を中心に観客の前で壇上を仕切る人々に、性別の偏りは目立たなかった。

Piazza Grande 日中
ピアッツァ・グランデ(撮影:維倉みづき)

また、スイスという土地柄、言語面で絶対的な1つの主要言語がないこともロカルノの特徴。街中で話される言葉はイタリア語だが、映画祭での会話や上映は英語とフランス語がほとんど。そして参加者の多くが英仏ノン・ネイティブであり、様々なアクセントが飛び交う。参加製作国で見ると、フランスを始め西欧が目立つが、北南米、アジア、アフリカからの作品も選出され受賞を果たし、ロカルノから他映画祭に飛び立っている。

以下、各部門をロカルノ映画祭プログラム掲載順に、主要作品の現地レポートをロカルノ後の世界各地での映画祭での上映情報と共にお伝えする。映画祭プログラムはこちら、全受賞リストはこちらからダウンロード可能。

ピアッツァ・グランデ観客賞はタランティーノを抑え報道写真家のノン・フィクション

ロカルノの大広場ピアッツア・グランデにて毎晩20時開場、21時半開始で上映される部門。日によっては2本目が「Crazy Midnight」として上映されることも。石畳に並ぶ8,000の座席に対して幅26m、高さ14mの巨大スクリーンが設置され、80m先の特設室よりフィルム/デジタル問わず投影される。機材はスイスらしく非常に頑丈で、雷雨にも全く影響を受けず上映可能。観客向けにはレインコートが公式グッズとして3種類販売されている。映画祭前半は毎晩のように短時間の雨に見舞われたが、後半は満月前後の月が美しく輝く下での映画体験となった。

Magari エルカン監督 @Locarno Film Festival
『Magari』エルカン監督 @Locarno Film Festival

当部門作品はロカルノ映画祭で唯一、観客の投票によって選ばれる観客賞の対象。今年はジャン=リュック・ゴダール監督がスイス、ローザンヌ市創設500周年記念で製作した11分の短編『フレディ・ビュアシュへの手紙』(1982)に続きジネヴラ・エルカン監督初長編『Magari(原題)』で幕を開け、クロージング作品である黒沢清監督、前田敦子主演『旅のおわり世界のはじまり』まで、計13ヵ国が製作に携わった新旧19本が上映された。クエンティン・タランティーノ監督『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』など世界的な話題作も上映された中、観客賞を受賞したのはボリス・ロジュキーヌ監督『Camille(原題)』だった。

『Camille』 @Locarno Film Festival
『Camille』 @Locarno Film Festival

『Camille』ロジュキーヌ監督はフランスで哲学の教員免許と「危機と歴史」について博士号を取得した後ベトナムへ移住。現地でドキュメンタリー映画を2本製作し、2014年アフリカを舞台に初長編フィクション『ホープ』を発表。欧州を目指すカメルーン人男性とナイジェリア人女性の旅路に迫り、カンヌ映画祭批評家週間SACD賞受賞、日本では第10回難民映画祭で上映された。長編2作目となる『Camille』の主人公は、実在したフランス人報道写真家、カミーユ・ルパージュ(享年26歳)。彼女が2013年10月から単身で中央アフリカ共和国に渡り紛争取材を開始し、2014年5月11日に殺害されるまでを描く。

撮影の殆どが、今も武力抗争が絶えない中央アフリカ共和国で政府と人々のフルサポートを得て実行され、映像は鬼気迫る臨場感に溢れている。その中でカミーユが写真家として、人間としての生き様を試行錯誤する様子がオブラートに包むことなく描かれる。親交を深めた現地の学生から、旧宗主国であるフランスが軍事介入してきたことも影響し、個人の会話の中で「植民地時代はもう終わった、指図するな」と反論されたり、写真を採用してくれた新聞社からは「中央アフリカだけ追っていても需要は限られている、次はウクライナへ行ってくれないか」と提案される。女性であることを罵られる場面もある。答えのない環境で生きるカミーユの姿を追いながら、個人が、数々の争いに満ちた歴史を理解した上でどのように振る舞うか、生まれた環境に恵まれたゆえに衣食住に不便なく教育を受け仕事を持つ人が、そうではない人に対してどう振る舞うのか、「自分はどうするのか」と観客に強く突きつける作品。

Camille 上映前挨拶
『Camille』上映前挨拶(撮影:維倉みづき)

『Camille』はロカルノ映画祭直後の8月20~25日に開催されたアングレーム仏語圏映画祭(フランス)でカミーユを演じたニナ・ムーリスが主演女優賞を獲得した。また、9月最初の週末に「Locarno a Roma」というイタリア首都ローマでの上映イベントでの対象作品に選出されている。

Concorso internazionale インターナショナル・コンペ

ロカルノ映画祭最高賞「金豹賞」を競う主部門。今年は17作品が選定され、沈黙や静止、陰影と言った「間」を、約2時間の映画という表現形式に重要な要素として取り込んだ作品への評価が目立った。日本からは深田晃司監督、筒井真理子主演『よこがお』が選出。現地でのワールド・プレミアの様子はお二人への現地インタビューをご覧頂きたい。また、本記事末尾には筒井真理子さん単独インタビューも特別掲載している。

『よこがお』は、トロント国際映画祭(カナダ)、ニューヨーク映画祭(米国)、ロンドン東アジア映画祭(英国)、オーストラリア日本映画祭(オーストラリア)等での上映が決定している。映画祭によってメインビジュアルの劇中写真が異なることも興味深い。

結果はペドロ・コスタ監督『ヴィタリナ・ヴァレラ』が金豹賞の他、主演のヴィタリナが最優秀女優賞を受賞した。ヴィタリナも、最優秀男優賞を受賞したブラジル『A Febre』レジス・ミルプも俳優を生業としてこなかった人物。ヴィタリナは過去の自分を、ミルプは自分に近い人物を演じた。審査員特別賞は韓国製作『Pa-go』パク・ジョンボム監督、最優秀監督賞はフランス・韓国共同製作『イサドラの子どもたち』ダミアン・マニヴェル監督が受賞した。『イサドラの子どもたち』は山形国際ドキュメンタリー映画祭(日本)、サン・セバスチャン国際映画祭(スペイン)等での上映が決定している。また日本での配給権はコピアポア・フィルムが獲得している。

※ペドロ・コスタ監督『ヴィタリア・ヴァレラ』現地レポートはこちら

※ダミアン・マニヴェル監督『イサドラの子どもたち』現地インタビューはこちら

特別賞はインドネシアからヨセプ・アンギ・ノエン監督『The Science of Fictions』と、アルゼンチンからモウラ・デルペロ監督『Maternal』が受賞。『Maternal』は追加上映回も組まれた作品で、中絶が認められていないアルゼンチン、ブエノスアイレスにあるイタリア系修道院併設のシェルターが舞台。ティーンエイジャーの母と幼子たちが身を寄せて暮らす中、1人の自分勝手な母親とその女児の行動が、着任したばかりで自らは生物学的に母になることはない道を選んだ若いシスターや、同室の2人目を妊娠中の女性、修道院を仕切る老女たちにもたらす影響を追う。『The Science of Fictions』は『よこがお』と共にロンドン東アジア映画祭でもコンペティション部門に選出されている。

『Maternal』 @Locarno Film Festival
『Maternal』 @Locarno Film Festival

その他、スペインからのエロイ・エンチソ監督『Longa Noite』はフランコ独裁政権下のスペインはガリシア地方を舞台に、鋭い台詞が暗闇に冴え渡る作品。時代を超えた人間の美醜が描かれる。アメリカからのジョー・タルボット監督『The Last Black Man in San Francisco』は家族も家もない若者が、亡くなった祖父が手仕事で建てた家を守ろうとする作品。アメリカで今も絶えない、黒人の若者が理由なく射殺される事件を取り込みながら、人間が何かを信じることで辛うじて日々を生き抜いて行く様子が描かれる。劇中劇が圧巻。今年1月サンダンス映画祭で初長編で監督賞を受賞した。

『The Last Black Man in San Francisco』 @Locarno Film Festival
『The Last Black Man in San Francisco』 @Locarno Film Festival

Concorso Cineasti del presente

発表長編3作以下の監督を対象にした部門。今年、金豹賞候補となり最優秀監督賞を受賞したダミアン・マニヴェル監督は2014年に初長編『若き詩人』が当部門に選出され審査員特別賞を受賞した。世界中からユニークな作品が上映され、今年の当部門金豹賞はセネガル出身ママドゥ・ディア監督初長編『Nafi’s Father(原題)』が受賞。セネガルからは今年カンヌ映画祭でパルムドールに次ぐグランプリをマティ・ディオプ監督がコンペティション初の黒人女性として選出され且つ受賞したことが記憶に新しい。

筆者が鑑賞したのはカザフスタンよりシャリパ・ウラズバヤヴァ監督『Mariam(原題)』。水道も電気もガスも通っていない田舎に暮らす中で突然夫が失踪、子ども4人を抱え途方に暮れる母親が主人公。公的な救済制度の不十分さや、夫が不在となったことで家族の社会的経済的信用が奪われ、経済基盤を周囲が奪って行く様子が描かれる。主役のメルート・サルシノヴァの身に実際に降りかかった出来事を元にしており、金銭的に困窮したメルートが助けを求めて地元テレビ局に連絡をしたところ、ウラズバヤヴァ監督が彼女の生活環境に胸を打たれ映画化を決意。演技初挑戦であったメルートと子どもたちが出演し、製作チームが家に泊まり込んで撮影を行った。

Mariam @Locarno Film Festival
『Mariam』@Locarno Film Festival

本作は監督、プロデューサー、主演全て女性であったが、上映後Q&Aでプロデューサーのアンナ・カチュコが「カザフスタンはまだまだ女性の経済的独立は弱く、映画人も少ない。映画学校に中高年の女性の教師もいるのだが、彼女たちも女性は家事を完璧にこなすことを条件にした上での仕事、という考え方があり困っている」と仰ったのが印象的であった。

Mariam上映後質疑応答
『Mariam』上映後質疑応答(撮影:維倉みづき)

本作は9月トロント国際映画祭で上映された際、女性映画人推進プログラム「Share Her Journey」の対象作品となり、同作品上映回のチケットを購入すると推進の1アクションとしてカウントされる仕組みに。「Share Her Journey」では2019年のトロント国際映画祭終了までに既に実施されたアクション数を35,000から50,000に引き上げる目標を立てている。

短編部門:Pardi di domani

長編未発表の監督による1時間未満の中短編を対象にした部門。スイス部門とインターナショナル部門に分かれて作品選定、賞の授与が行われるが、1回の上映には両部門から約6本の作品が纏めて上映される。連続で鑑賞すると嫌が応にも完成度の差が歴然とするのが残酷とも言える部門。今年特に光ったのは中国出身アメリカ在住のアニメーター、ダンスキ・タン監督によるアニメーション『Umbilical(原題)』。インターナショナル部門銀賞を受賞した。母親と娘が、過去に母親が受けた父親からの暴力や、その環境から娘を逃すために送った寄宿学校での経験を語り合う音声に、抽象的なアニメーションが重なり、非常に重たい会話の内容がビジュアルの助けも得て心の中に染み込んでくる。

Umbilical_Danski Tang監督 © Locarno Film Festival Massimo Pedrazzini
『Umbilical』Danski Tang監督 © Locarno Film Festival Massimo Pedrazzini

白黒映像の18分間で笑いと涙を誘ったのはタイのソラヨス・プラパパン監督『Dossier of the Dossier(原題)』。独立映画製作の難しさをユーモアを交えて描いた。プラパパン監督はアピチャッポン・ウィーラセタクン監督『ブンミおじさんの森』の製作助手を務めた後、監督としての活動を開始。東南アジア8か国及びモンゴルを対象(2019~2021年)とした「Open Doors」部門と合わせて2短編が今年のロカルノで上映されている注目株。敬愛する映画監督を冗談のネタとして入れるスタイルがあり、本作ではウォン・カーウァイ監督が「標的」になっている。尚、2015年には東京フィルメックスに合わせて開催されたタレンツ・トーキョーに参加。既に初長編の脚本執筆に取り掛かっているとのこと、今後が楽しみな監督だ。

Dossier of the dossier @Locarno Film Festival
『Dossier of the dossier』@Locarno Film Festival

スイス部門ではラス・リンダー監督『All Cants are Gray in the Dark (原題)』に登場する愛らしい猫に観客からため息が漏れていた。ドキュメンタリーとフィクションの中間のような作品で、猫2匹と共に暮らす中年男性が子猫=わが子の誕生を待ちわびる日々を描いた作品。アマゾン「アレクサ」との遣り取りをジョークとして入れるなど、今日を生きる隣人の姿を見ているようだった。本作は9月に開催されたトロント国際映画祭(カナダ)で最優秀短編賞を受賞した。

All Cants are Gray in the Dark @Locarno Film Festival
『All Cants are Gray in the Dark』@Locarno Film Festival

Histoire du cinema

功労賞や名誉賞受賞者に纏わる作品や、名作のレストア版を上映する部門。今年はヒラリー・スワンク、ソン・ガンホ、ジョン・ウォーターズら表彰者の新旧作が上映された他、タル・ベーラ監督『サタンタンゴ』(1994)4Kレストア版が監督自身による上映前挨拶と上映後Q&Aにより上映された。

※ジョン・ウォーターズ監督 現地インタビューはこちら

※ソン・ガンホ、ポン・ジュノ監督 現地インタビューはこちら

上映時間438分の『サタンタンゴ』は朝9時半から上映開始、休憩2回を挟んで上映された。上映後Q&Aでベーラ監督は「映画を製作するには何かきっかけがある。『サタンタンゴ』はクラスナホルカイ・ラースローの素晴らしい原作だった。映画化するにあたり、小説で描かれている内容を現実の中に見つけ、撮影することが必要だと感じ、ハンガリーで2年暮らした。その土地に暮らす人々と同じ生活を送り、どのような映像とするか決め、120日間かけて撮影した」と製作背景を語った。

タル・ベーラ監督『サタンタンゴ』上映後質疑応答2
タル・ベーラ監督『サタンタンゴ』上映後質疑応答(撮影:維倉みづき)

映画には猫と少女のシーンが登場するが、その撮影については世界各地で質問を受けるそうだ。答えは、毎日のトレーニングの賜物とのこと。日々、少女と猫は共に遊び、その結果、猫はこれが遊びであると思うようになり「撮影する時には既に何の不安もなくなったようだった」とベーラ監督。日本では劇場公開中であるため、是非、スクリーンでそのシーンを見て頂きたい。

ロカルノ映画祭中には、タル・ベーラ監督が昨年4月にロカルノで開催した映画ワークショップから、10日間のレジデンシーに選ばれた若手映画人15名が製作した作品『Under the God』が上映された。『サタンタンゴ』上映にはワークショップでのベーラ監督の教え子たちも大勢駆けつけており、ベーラ監督は若者達に囲まれて上映会場を後にした。

Retrospettiva 回顧上映特集「Black Light」

毎年設定されるテーマに基づき作品が選定される回顧上映部門。第72回は「Black Light」というタイトルの元、古今東西1919~2000年の間に計14ヵ国で黒人が製作した作品や、黒人が置かれた状況を映した47作品が、ベオグラード在住のキュレーター、グレッグ・ド・キュイール・ジュニアによって選出・上映された。アフリカ大陸から強制的に連れ出され、何世紀も世界各地で様々な環境下で生き延びてきた子孫に何が起きたのか、それは映像文化でどのように可視化されてきたのかを探る特集。この回顧上映だけでも映画祭として成立する充実度であり、2020年にかけてスイス国内の他アムステルダム、ベルリン、マドリード等での特集上映が決まっている。

Black Light キュレーター Greg de Cuir Jrさん ©️ Locarno Film Festival
「Black Light」キュレーター Greg de Cuir Jrさん ©️ Locarno Film Festival

筆者が参加したのは『Baldwin's Nigger(原題)』(1969)と『Tongue United (原題)』(1989)の2本立プログラム。上映前にはド・キュイールさんから熱の入った作品紹介があり、映画祭ならではの鑑賞が演出された。

『Baldwin's Nigger』は『私はあなたの二グロではない』出演・原作が日本でも記憶に新しい作家・ジェームズ・ボールドウィンが、コメディアンのディック・グレゴリーと共にロンドンで学生向けに行ったスピーチを収めた46分のドキュメンタリー。製作そのまま16mmフィルムで上映された。監督のホレス・オヴェ(発表当時30歳)は後に『Pressure(原題)』で英国で初めて長編を発表した黒人監督としてギネス登録される人物。

Baldwin's Nigger ©️ Courtesy of the British Film Institute
『Baldwin's Nigger』©️ Courtesy of the British Film Institute

ボールドウィンは原稿なしに、奴隷としてアフリカから人間が連れ去られた経緯とその後の社会構造を、時にユーモアを交えて話す。時折見せる笑顔が印象的だ。参加している学生はジャマイカなどカリブ海の国々からロンドンへやって来た黒人の学生中心だが、中には白人やアジア系も混じっている。終盤の質疑応答も活発で、『私はあなたの二グロではない』とは異なるボールドウィンの姿を見ることができる。

『Tongue United』は映画というより寧ろ自由なフォーマットでのビデオ・エッセー。冒頭から早口のラップとも朗読とも取れる音声に驚き、一気に引き込まれる。監督マーロン・T・リッグスは同性愛の活動家でもあり、本作の後に手がけた長編『Black is... Black ain't.(原題)』製作最後はエイズに倒れ病床から製作、亡くなった。作品はタイトル通り「何が『黒人』で何が『黒人』ではないか」を問う内容で、ド・キュイールさん曰くその後の黒人としてのアイデンティティに大きな影響を与えた作家とのこと。『Tongue United』では病に倒れる前の溌剌としたリッグス監督の姿を見ることができる。

Tongue United by Marlon T. Riggs (1989) © Signifyin' Works
『Tongue United』© Signifyin' Works

新旧問わず、様々な背景を持った映画人から届けられる作品に出会う貴重な場、ロカルノ映画祭。次回第73回は2020年8月5日~15日に開催される。




特別収録:『よこがお』筒井真理子さん現地インタビュー

*先に公開された深田晃司監督もご一緒の現地インタビューを先にお読みになることをお勧めします。*作品の内容に触れていますのでご注意下さい。

──「(筒井さん演じる『よこがお』主人公の)市子に対して観客が感情移入し辛く描かれている、それで良い」と別の機会にお話された点について、詳細をお聞かせ下さい。

筒井:市子が、サキちゃんがレイプされたと言われた時「本当のことを言わなければ」というイノセント、誠実な方でお芝居する準備をしていたのですが、現場へ行くとちょっと違うなと思いました。深田監督作品の肌触りなのか、半分は「このまま逃げられるかもしれない」という弱かったり狡いところもある方が深田さんの作品らしいかなと思って監督に相談してみたんです。そうしたら、そちらに寄せましょう、という話になりました。そうして芝居をしていったんです。そうすることによってある意味のお客さんの感情移入がきっと市子から離れて行くのだけれども、でもそういう人間らしいところを表現する作品かなと思ったことを、別の機会で質問にお答えしていた時に監督と二人で頷きながら話をしていました。

『よこがお』深田晃司監督、筒井真理子さん
『よこがお』深田晃司監督、筒井真理子さん

──昨日のインターナショナル・プレミア後の観客との質疑応答の中で、深田監督が分かり易い善悪ではなく曖昧さを残すことを意図した、という旨を仰っていました。

筒井:そうですね、凄く大事なことです。もちろん、その人に感情移入出来ることも素敵な作品なのですが。たまたまこの作品を見た方、司会者の方だったのですが、「この作品を見て、自分も人を裁いているな」と仰っていました。人って、自分の傷んだことは覚えているけれど傷つけたことを殆ど覚えていない。そうじゃないと生きていけないと思うんです。ある意味、自分は「いい人」だと皆思って多分生きているのだと思います。でも実は本当は人は皆人を裁いている、実は皆、加害者という点。実が弱かったり狡かったり。自分は加害者ではない、みたいなところに人って行きたがるのではないかと思います。市子はそちらに寄らずに、迷うし、狡いところもあるし、逃げ切れるのであれば逃げ切りたい、というようなところも見せた方が良いと思いました。あの現場、監督ならではで、他ではなかなか出来ない部分を繊細に受け止めて。昨日別のインタビューでこのお話を出来て嬉しかったことです。

──善悪を提示されない映画を見ていると、観客としては自分で考えざるを得ないので正直、鑑賞後は苦しいです。

筒井:そう、苦しいんですよね。そういう作品があっても良いんじゃないかなと思います。海外では良く見受けられますが。ハネケ監督作品など、未だに心に残っているシーンがあります。そういう作品が日本にも沢山あって良いと思って『よこがお』を作ったことを、そのインタビューを通じて監督と思い出しました。

──ロカルノ映画祭で使われている『よこがお』のメインビジュアルは、市子が辞めたばかりの勤務先前でマスコミに対面するシーンでした。

筒井:ココンを辞めてすぐ外に出たシーンですね。目が死んでいたと思います。そして一瞬、記者の方を睨むんですよね。自分で市子というベースを作って、ただ現場に立ってみないとどうなるか分からない、という所に行きたいんです。なので作品を見て「あ、睨んでいたんだ」という。そこに行こうと思って行く訳ではないんです。

映画『よこがお』 ©2019 YOKOGAO FILM PARTNERS & COMME DES CINEMAS
『よこがお』 ©2019 YOKOGAO FILM PARTNERS & COMME DES CINEMAS

──現場に出てみないと分からない、というのは深田監督作品に限ったことでしょうか?

筒井:どんな作品でもそうでありたいなぁと思っています。演じる役になった時に、台詞の言い方が相手の方やそのシチュエーションも違うので本当にやってみないと分からない、という所に行きたいんです。

──それは、大学で演劇に飛び込まれてから、ずっと女優を続けていらっしゃる面白みでもあるのでしょうか?

筒井:そうかもしれないですね。好きなんでしょうね。皆、きっと日常を演じていらっしゃると思います。帰宅したら家族の構成の中で、末っ子だったら末っ子、母であれば母の役を。きっと、精神衛生に良いんじゃないかと思います。他の人になる、ということが凄くバランスがバランスがとりやすいというか。社長さんが人に怒られたいとか、怒ってもらう、というのもあると思うのですが、きっとバランスがあるのではないでしょうか。日常の中で、人はとてもアンバランスに生きていると思うんです。気付かないうちにそこの役割を背負わされて行く。違うシチュエーションと違うキャラクターになることは、ロールプレイが精神療法にもあるくらいなので、精神のバランスに良いのではないかと。それが楽しくて。

──即興劇を会社の研修に取り入れたり、平日夜や週末に会社勤めの方が取り組むこともあるようです。その場での対応力の強化といいますか。

筒井:役割を与えられてしまうとストレスになるのかもしれませんが、やってみないと分からない、という無責任な感じがいいのではないでしょうか。

──筒井さんはお笑いにも取り組まれていますが、女優には常に戻られることを意識していらっしゃいますか?

筒井:あまり考えていないですね。興味関心が向いた所で、まるで犬ですね(笑)。

映画『よこがお』 ©2019 YOKOGAO FILM PARTNERS & COMME DES CINEMAS
『よこがお』 ©2019 YOKOGAO FILM PARTNERS & COMME DES CINEMAS

──海外の映画祭に来られて、他の参加者の方とお話する機会はありましたか?

筒井:ありました。とても楽しかったです。カンヌ映画祭の時、大好きなアスガー・ファルハディと一緒に写真を撮らせて頂きました。ブリランテ・メンドーサ監督ともカンヌ映画祭でお会いした後、東京国際映画祭で講義をなさった時も見たくて参加しました。ちょうど緒方(貴臣)監督がドキュメンタリータッチで作られる方だったので絶対にブリランテ監督の講義は面白いと思って一緒に行ったのですが、その講義前に映画祭の方が会わせて下さって、実はカンヌ映画祭でもお会いしたことをお話しました。それから、カンヌで着物を着たところアニエス・ベーさんが「素敵な着物ですね」と話かけて下さったこともありました。もう少し英語が話せたら、と思います。

──先程、英語ファイルをお持ちだと仰っていました。

筒井:海外からオーディションを頂いたり、英語で出演したこともあるのですが、面白いことに向こうの監督ともお芝居をやる上での共通言語があるので、そんなに壁がないというか。ただ英語がちゃんと話せるともっと良いなと思います。

──英語を読んだり聞いたりなさるのですか?

筒井:英語学習用のCDをかけたりしています。発音が好きなんですね。

──特定の海外の方を参考にすることはありますか?

筒井:特にはないですが、ただ『プラダを着た悪魔』でのメリル・ストリープが言う「That’s all.」や、打ち合わせ中に「今、笑ったわね」とアン・ハサウェイ演じる役を指摘して色について説明するシーンは、言語が分からなくとも上手いと分かります。真似してみたいです。

──メリル・ストリープはアカデミー賞も常連で一般にも広く知られた方ですが、プロの女優である筒井さんから見るとどのような点が優れている方ですか?

筒井:『プラダを着た悪魔』の中で、一瞬家にいる時に見せたドキッとするほど草臥れた顔。監督と話されてそうしたのか、ご自分から提案したのかは分かりませんが。観客も「見てしまった」と感じますよね。それから『ディア・ハンター』など昔の映画を観ても、ずっとその役として生きているので、写真撮影で一瞬入る時でもずっとメリル・ストリープに目が行ってしまいます。素晴らしいこと。それはやはりメソッドなどきっと習得されているのではないでしょうか。素晴らしい方法論なのだと思います。

──話が『よこがお』に戻りますが、市子を演じるにあたって百合の萎れ具合をイメージされたと拝読しました。リサを演じ分けるにあたっては如何ですか?

筒井:リサも百合でした。沼に咲く鬼百合です。鬼百合って、少しオレンジがかっていて染みがありますよね。その染みが丁度良いと思いました。市子の時に傷ついた染みだと。雀が烏になるわけではなく、百合は百合なんです。まったく別人になってしまうと、それも違ってしまいますし。どこか残っているし、市子の中にもそうなる可能性があったのかなと。

──映画『淵に立つ』以降で筒井さんを初めて知った方に見て頂きたい、過去のご出演作を挙げるとすると何になりますか?

筒井:久世光彦さんのテレビ作品に良く呼んで頂いた中で、残っていないと思うのですが『時間ですよ』。ヤクザの娘役で、3話からずっと出演していました。同じく久世さん作品で佐藤愛子さん原作『血脈』では中村獅童さんの妻役を演じました。この2作は特に演じていて好きでした。久世さんは変わった人たちが大好きなので、本木さんと一緒に演じながら「変わった人たちを好きになってもらえたらいいですね」とお話していました。久世さんは厳しい方でしたが。

──久世さんの頭の中に完成形があって、それに近付けるためでしょうか?

筒井:面白いことを持って行けば大丈夫でした。後はテレビ版の『永遠の仔』も。全てテレビでもう残っていないかもしれませんが。

──テレビと映画では後に残る強さが違いますね。『よこがお』も様々な国でこれから鑑賞され、残って行くと思います。

筒井:そうなってくれると嬉しいですね。テレビドラマも皆さん熱量をもって創られてますが、形として残って観られるのは映画ならではかもしれないですね。心に残ってくださっていて、日本だけではなく海外の素晴らしい監督とも作品創りができたらいいなぁとも思います。

『よこがお』は日本全国の映画館で公開中。
https://yokogao-movie.jp

アップリンク吉祥寺では10月3日(木)まで上映中。
https://joji.uplink.co.jp/movie/2019/3212

(文:moonbow cinema 維倉みづき)

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