骰子の眼

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東京都 渋谷区

2019-08-22 23:15


死を背中に感じながら"身体の言い分"に身を委ねる男と女『火口のふたり』

白石一文(原作者)×荒井晴彦(脚本・監督)対談
死を背中に感じながら"身体の言い分"に身を委ねる男と女『火口のふたり』
映画『火口のふたり』 ©2019「火口のふたり」製作委員会

直木賞作家・白石一文の同名小説を荒井晴彦が柄本佑と瀧内公美を主演に迎え監督・脚本を手がけ映画化した『火口のふたり』が8月23日(金)より新宿武蔵野館、アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほかにて全国公開。webDICEでは白石一文氏と荒井晴彦監督の対談を掲載する。

東日本大震災から7年目となる夏、職を失った男・永原賢治は、幼馴染の女性・佐藤直子の結婚式に出席するため秋田に帰郷する。久々の再開を果たしたふたりは、自衛官である直子の結婚相手が不在の間を条件に、かつてのように身体を重ね合う。この対談では、物語のモチーフとなり、ふたりの抑えきれない情念の象徴とも言える「富士山の噴火」について、死とエロティシズムの関係、舞台となる秋田の持つ風土と物語の関連についてが語られている。

“自然災害=超自然”に対して“人間の自然”で対峙する

荒井:白石さんが、富士山の噴火という大技をこの小説に仕掛けたきっかけはなんだったんですか?

白石:東日本大震災から間がない頃に印象的な夢を見たんです。富士山が大噴火する夢で、目が覚めたときにふと感じたのは、これを自分が書いたら、ちょっと噴火が遅れるかなという事でした。こりゃ書かなきゃと思ったんです。すぐに富士山の事を調べ始めてビックリした。富士山は活火山の中でも若くて、年齢で言えば小学4年生ぐらい。成長期はこれからで、要するにどんどん元気になっていく火山だったんです。

荒井:それで、富士山の噴火を待ち受ける話になったんですね。

白石:まあ、人間になぞらえればそろそろ性的にも目覚める時期ですよね。近いところの大噴火は江戸中期の宝永大噴火ですけど、次の噴火はもっと激しい可能性も高い。噴火によって起こる事態は映画にもある通りで、電子機器が止まり、交通機関が麻痺し、人々の健康被害が拡大し、何十兆円もの損害になる。東日本大震災のときの津波もそうでしたが、我々は卵の殻の上に住んでいるようなもので、いつ、何が起きるかわからない。日本はそういう国なんですね。

映画『火口のふたり』 ©2019「火口のふたり」製作委員会
映画『火口のふたり』 ©2019「火口のふたり」製作委員会

荒井:東日本大震災が起きて、翌年の2012年にはもう原作は発行されていますよね。当時、いろんな新聞に書評が出ているのを見たのと、同業者の小川智子から勧められて原作を読んだのですが、興味をひかれたのは、日本が終ってしまいそうな時に、「身体の言い分」に身を委ねる二人がアナーキーでいいなと思いました。世間的な価値観や倫理じゃなくて、身体がしたい事をさせてあげようという。“自然災害=超自然”に対して、“人間の自然”で対峙しようという事ですよね。

白石:映画を観た直後の感想としては、「身体の言い分」という点に荒井さんはテーマを強く絞り込んでおられるんだなと感じましたね。そこが、とても鮮やかで原作者の僕でもハッとさせられるものを感じた。劇中、賢治と直子が二人で寝ていて、昔の話をするところがありますよね。あの場面なんてジーンとしてしまった。自分の作品のキモを一発で言い当てられたような気がしました。ところで、荒井さんはどうして今回、脚本だけじゃなく、監督までしようと思ったんでしょうか?

荒井:登場人物が二人くらいなら監督できるかなと。ただ、年齢の設定は、白石さんが書いていたよりも、大分、若くなった。白石さんの原作では賢治は40前後、直子は30代半ばですよね? 当初、その年代の俳優をずっと探してはいたんですけど。ただ、主演の二人が若くなった分、ちょっと明るい軽い感じになって青春映画になったようにも思いましたね。

白石:それは僕も感じましたね。これを書いたとき、自分は結構な年齢で、セックスに対する興味もずいぶん薄れてしまっていたんです。若い人の欲望や衝動は分からない気がしていた。でも、映画を見て、小説ももう少し若い設定でもよかったのかもしれないと思いましたね。瀧内さんと柄本さんだから、賢治と直子のやり取りもエネルギッシュにもなりましたね。そもそも原作はほとんどセックスシーンだけだから、よく、映画化してもらったなと思います。執筆していた時期は原発事故が生々しく、誰もが大きな不安を抱えていた。たとえばもっと原発に近い場所に住んでいて、自分がもう少し若かったら一体どうするだろうと考えました。人がたくさん亡くなったり故郷を追われるような事態に向き合うと、作家として何か書かなきゃいけない。ただ、そこで嘘はやっぱり書けない。できるだけ嘘を排した物語を探す過程で、人は大きな世界が壊れた時、小さな世界の中に生きる道を見つめるしかないと思うわけです。直子と賢治は二人だけの小さな世界に閉じこもり、男女である以上は当然身体の関係が伴うので、嘘のつけない宇宙の中に放り込まれるんじゃないか。そこには快感もあるし、持っている特質も表に出るんだろうな、と。そしてそうした小さな宇宙の中に潜んだときに人間は初めて本当のしぶとさを発揮するような気がしたんですね。

映画『火口のふたり』 ©2019「火口のふたり」製作委員会
映画『火口のふたり』 ©2019「火口のふたり」製作委員会

荒井:だから原作と出会ってからずっと、早く撮りたいと言っていたんですよ。東日本大震災の後、日本のあちこちで噴火も起きて、地震も起きて、自然災害という非日常的な、それは戦争という言葉にも置き換えられるけど、そういう理不尽な状況に対して、気持ちいいって言葉をぶつけたかったんですね。こんな緊急事態にセックスばっかりしている。それはアンモラルなことで、考えようではとんでもないことなんだけど、そういう風に作って、やってみたいなと思ったんです。昔、学生運動が盛んだった頃に、吉本隆明が共同幻想に対して、対幻想という言葉・考え方を出してきた。共同幻想は、国家だったり、会社、党とか組合の組織など個人と他者との公的な関係を指し、それに対して、家族、友人、恋人など個人と他者との関係性を対幻想と名付けた。どっちも幻想には違いないんだけれど、革命幻想が壊れた時、対幻想に抜け出していいんだと、思想より生活だとみんな呟いていた。「神田川」を聞きながら。もうひとつ自己幻想というものがあって、個人と個人の関係、これが芸術。永井荷風は戦争中、日記とエロ小説を描いて生き延びた。

白石:『スターリングラード』という映画がありますけど、ロシアに実在した天才的な狙撃手のヴァシリ・ザイツェフ(ジュード・ロウ)が主役で、ドイツ側のエド・ハリス演じる狙撃手との丁々発止を描いているんですけど、僕なんかが感心するのは骨休み的なエピソードで、夜、廃墟と化した宿舎で、みんな寝静まっている中、ヴァシリが思いを寄せるレジスタンスの女兵士、ターニャ(レイチェル・ワイズ)と愛を交わす場面なんですね。周囲にばれないよう音を立てず、映画の中でバスに乗っている柄本さんがやっていたように二人ともズボンだけささっとおろして、薄暗い闇の中、ターニャの白いお尻だけ浮かび上がるんだけど、ああいう生きるか死ぬかのときに睦みあうのは真実だよなと思う。

荒井:試写の反応は、女性の方が断然いいですね。日本映画大学と北京電影学院でやっている日中青年映画祭で上映したんですけど、中国の女子学生たちが、よかった、好きですと。

直子の企み

荒井:僕はずっと若い時からピンク映画、日活ロマンポルノを書いてきたわけですけど、世の中の性表現への偏見、差別、否定への反発がずっとありましたね。でも、今じゃ考えられないけどロマンポルノ出身の相米慎二監督と田中陽造さんの『セーラー服と機関銃』というアイドル映画にはセックスシーンがあるし、根岸吉太郎監督と僕がやった『探偵物語』にもセックスシーンがある。でも、もう、そういうことをよせばいいじゃないかって言われるんです。というのももう、裸になってくれる人がいないんですね。

白石:そうですよね。女優さんに服を脱いでくださいとお願いすることが、セクハラに当たるという時代になってきているんじゃないですか? その意味でも、瀧内さんは素晴らしいと思う。演技力も存在感も抜群ですね。

荒井:オーディションで「本番をやってもいいです」とアピールをする人もいて、それはすごく惹かれたんだけど(笑)、瀧内の明るいような、暗いような、よくわかんないようなところが良かった。柄本佑は子供の頃から知っているし、安藤サクラと二人で、自分たちは『身も心も』の子供たちですって言ってるし、もう頼むよ、でした。

映画『火口のふたり』 ©2019「火口のふたり」製作委員会
映画『火口のふたり』 ©2019「火口のふたり」製作委員会

白石:小説と違って、映画は直子のアルバムから始まり、すごく惹かれました。あれは野村佐紀子さんが撮影したものですけど、僕も直子のアルバムが欲しいと思ったな。

荒井:素晴らしいでしょう。白石さんの小説から映画化を考えた時、これは全部、直子の企みなんじゃないかと思ったんです。それで、アルバムから映画は始めようかと。直子の顔が見えない写真を選んで、彼女がアルバムをめくりながら、あの頃に戻りたいというところから始めようと。「火口のふたり」って直子主導のリターンマッチで、一度別れた二人が再開して、やり直しに成功する話じゃないですか。そんなこと滅多にないことで、僕たちくらいの年齢になると哀しい夢なんですよね。数々の別れを経験してきて、ああ、あの頃にこの頭と経験があったらなとか、お金がもっとあればとか、この仕事をやれていたらなとか、そうやって別れたというか僕を捨てた人が何人かいて、まあ、単純に嫌われただけなのかもしれないけど。でも、普通は別れた二人がやり直せることはほぼない。この小説は焼け木杭には火というのでもない。女が男に説教しながら進むから、女の人が見ていて気持ちいいのかもしれない。さっき、白石さんが話していた、ベッドの中で延々としゃべる長いシーンもね、瀧内には泣くなと言ったのに、何度、やっても泣くんだよね。僕はそういう芝居は好きじゃないんだけど、何度やっても泣くから、見ているうちに、ここはそういう場面なんだな、泣いていいんだなと思ったんです。

白石:あそこはマジでジーンときましたよ(笑)。

荒井:白石さんの小説を読んでいてハッと思ったのも、若い頃の賢治と直子は変態的な行為というか、ビルの隙間でやってたりするでしょう。直子はそういうことが好きだと思っていたら、実は全然そうじゃなかったって。あなたのことが好きだから、応じていたんだって。男はそういう数々の誤解と間違いを犯してきているんだなと冷や汗が出ました。

映画『火口のふたり』 ©2019「火口のふたり」製作委員会
映画『火口のふたり』 ©2019「火口のふたり」製作委員会

身体の言い分に身を委ねる、男と女

白石:映画にはずっと海の気配がありますね。映画を観て小説の舞台も秋田にすればよかったと思ったくらいです。秋田弁喋れないから実際には書けないんだけど、でも、北の方がいいですよね。

荒井:それを映画でやりたかったんです。東日本大震災で、秋田は同じ東北だけど、他の県に比べて被害がなかったと言っていい。東北って面白くて、去年の明治維新150年でも仙台や福島、新潟は戊辰(戦争)150年という。新政府側について、奥羽越列藩同盟からすると裏切り者の秋田は明治維新と言っている。会津の人と長州の人が未だに結婚しないとか言われるけど、本当かどうかは別にして、僕はそう言い続けることって、いいことだと思う。というのもそれは、絶対に忘れないということでしょう。日本人はなんでもかんでも都合の悪い事はすぐ忘れるじゃないですか。前の戦争でも被害の事だけ言って、加害の事なんて誰も言わない。

白石:その意味で西馬音内盆踊りが効いていますね。900年近く続いているそうですね。

荒井:別名、「亡者踊り」とも言われている踊りで、生と死の間で踊っているような感じがしたんです。死を背中に感じる、死と隣りあわせという事は、エロティシズムにも通じる。そこに、この作品と共通点を感じました。災害であろうが、戦争であろうが、死を感じるある時には、性的な何かが出てくると思って。子供のころから一緒に兄妹みたいに育った二人が、いとこ同士で関係をもってしまった。そこにやましさ、後ろめたさを感じて、別れようともするけど、日本の終わり的な状況になって、そんなのいいじゃないか、と再び結びつく。“人間の自然”という意味では、そこにも、あるメッセージを感じたのかもしれません。前回、監督した『この国の空』でもそうだけど、背景には戦争という大きなことがあるけれど、それよりも自分と自分の好きな男の問題の方が大きい、僕はそれでいいんだよ、と。みんながそうなれば戦争もできない。世の中の事に全部、背を向けろということになるかもしれないけど、だからこそ、白石さんの“身体の言い分”という言葉の発見はすごいなと思う。理性か、身体かと自問自答した際、身体の言い分を聞こうよというのは革命的な意見だと思うんですよ。それを抑えろとするのが世の中がだから。

白石:僕は男なので、これは幻想かもしれないけど、何か困ったら、女の人のところに逃げればいいといつも思っているんです。セックスに限らず、女性の中には何でも入れるような気がして、防空壕、逃げ場所なんです。だから拒絶されると終わりで、失望しかないんですけど、でも、本当に困ったとき、大変なとき男はどこか別の場所に逃げるのではなく女の人の中に逃げなさいと言いたい。逃げるのって難しいんです。逃げる体力があるときは逃げないし、体力がなくなってから逃げようとするとすぐ息が切れちゃう。今の男性はそういう点でトランプのスペードのエースを使ってないような気がする。それを使っていいんだよと、それだけは是非伝えたいですね。

(プレスより転載)



白石一文

1958 年生まれ、福岡県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。文藝春秋に勤務していた 2000 年、「一瞬の光」を刊行。各紙誌で絶賛され、鮮烈なデビューを飾る。09 年「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」で山本周五郎賞を、翌 10 年には「ほかならぬ人へ」で直木賞を受賞。巧みなストーリーテリングと生きる意味を真摯に問いかける思索的な作風で、現代日本文学シーンにおいて唯一無二の存在感を放っている。「不自由な心」「すぐそばの彼方」「私という運命について」「神秘」「愛なんて嘘」「ここは私たちのいない場所」「光のない海」「記憶の渚にて」「一億円のさようなら」「プレスチックの祈り」など著作多数。本作「火口のふたり」が初の映画化作品となる。

荒井晴彦

1947 年生まれ、東京都出身。季刊誌『映画芸術』の編集・発行人。若松プロの助監督を経て、77 年の『新宿乱れ街 いくまで待 って』で脚本家デビュー。以降、『赫い髪の女』(79/神代辰巳監督)、『キャバレー日記』(82/根岸吉太郎監督)など数々の日活ロマンポルノの名作の脚本を執筆。以降、日本を代表する脚本家として活躍し、『Wの悲劇』(84/澤井信一郎監督)、『リボルバー』(88/藤田敏八監督)、『ヴァイブレ ータ』(03/廣木隆一監督)、『大鹿村騒動記』(11/阪本順治監督)、『共喰い』(13/青山真治監督)の 5 作品において、キネマ旬報脚本賞を受賞した。その他、脚本を手がけた作品に、『神様のくれた赤ん坊』(79/前田陽一監督)、『嗚呼!おんなたち 猥歌』(81/神代辰巳監督)、『遠雷』(81/根岸吉太郎監督)、『探偵物語』(83/根岸吉太郎監督)、『KT』(02/阪本順治監督)、『やわらかい生活』(06/廣木隆一監督)、『戦争と一人の女』(13/井上淳一監督)、『さよなら、歌舞伎町』(15/廣木隆一監督)、『幼な子われらに生まれ』(17/三島有紀子監督)など。97 年『身も心も』、15 年『この国の空』では脚本・監督を務めた。




映画『火口のふたり』 ©2019「火口のふたり」製作委員会

映画『火口のふたり』
8月23日(金)より、新宿武蔵野館、アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国公開

出演:柄本 佑 瀧内公美
原作:白石一文「火口のふたり」(河出文庫刊)
脚本・監督:荒井晴彦
音楽:下田逸郎
撮影:川上皓市
照明:川井 稔 渡辺昌
録音:深田 晃
写真:野村佐紀子
絵:蜷川みほ
タイトル:町口覚
製作:「火口のふたり」製作委員会
制作プロダクション:ステューディオスリー
配給:ファントム・フィルム
2019年/115分/R18+/日本

公式サイト


▼映画『火口のふたり』予告編

キーワード:

柄本佑 / 瀧内公美 / 白石一文 / 荒井晴彦


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