骰子の眼

cinema

2019-08-20 19:30


ペドロ・コスタ監督新作『ヴィタリナ・ヴァレラ』はヴィタリナ自身が注いだ熱量の結晶

金豹賞、最優秀女優賞W受賞 第72回ロカルノ映画祭現地レポート
ペドロ・コスタ監督新作『ヴィタリナ・ヴァレラ』はヴィタリナ自身が注いだ熱量の結晶
ペドロ・コスタ監督(右)とヴィタリナ・ヴァレラ(左)©Locarno Film Festival

2019年8月17日、ロカルノ映画祭授賞式。最高賞である金豹賞授与の壇上に、ペドロ・コスタ監督は先に主演女優賞を受賞したヴィタリナを伴って登場した。コスタ監督はポルトガル語で謝辞を述べた後、英語で一言「私の国で最も誇るべきがここに」と述べ、ヴィタリナの肩を抱いた。本記事では、コスタ監督からヴィタリナへの惜しみない称賛と感謝の背景を、『ヴィタリナ・ヴァレラ(原題)』世界初披露に伴ってロカルノ映画祭でコスタ監督から発せられた言葉をもとに紐解く。

コスタ監督に出会う前のヴィタリナ

『ヴィタリナ・ヴァレラ』公式資料として、事前に「ヴィタリナ・ヴァレラに関する事実」と題された一枚の文章が提供された。

(要約)ヴィタリナは8人兄弟の末っ子としてカーボヴェルデ共和国サンティアゴ島に生まれ、生涯を通じて山間部で農業に従事していた。夫ホアキンは同じ村に住む初恋の人であった。ホアキンは島の大勢の若い男性がそうするように、煉瓦職人として収入を得るべく1977年にリスボンへ渡った。ヴィタリナは島の大勢の若い女性がそうするように、島に残りながら幸せな生活を待ち、切望し続けた。ホアキンは最初の貯金でリスボン郊外コーヴァ・ダ・モウラ地区にバラックを買った。ホアキンはヴィタリナへ送った1度か2度の手紙の中で、ポルトガル行きの航空券を送ることを約束した。

ホアキンは35年の間に2度帰郷し、子を2人もうけ、2度目にリスボンに戻ってからは音信不通になった。2013年6月23日に亡くなり、27日に埋葬され、30日になってヴィタリナがリスボンに到着した。

ホアキンの住んでいた土地に、ヴィタリナを知る人はいなかった。彼女を労わる人はなく、皆、懐疑的な視線を投げかけた。彼女は夫のバラックに昼夜籠り続け、痛みと悪夢に襲われながら何とか生き延びた。数ヶ月経った後、清掃の仕事を一度か二度得たが給料は未払い。ショッピングモールでZARAの清掃係に採用され、時給5ユーロ(約600円)を得た。

ある朝、彼女のバラックの扉を叩く人がいた。警察か入国管理局の人間かと恐れたが、それは『ホース・マネー』撮影場所を探していたペドロ・コスタだった。

コスタ監督はヴィタリナが置かれていた環境について「クリス・マルケルはカーボヴェルデ共和国で『サン・ソレイユ』(1982) に含まれている5分ほどの場面を撮影しました。彼が特に写したのは、待つ女性たち。彼女たちの夫はリスボンやロッテルダムやパリへ出稼ぎに行き、やがて故郷を忘れてしまう。1980年代の一例ではありますが、ヴィタリナも決して例外ではありませんでした」と語る。カーボヴェルデ共和国は大西洋に浮かぶ島国で、15世紀からポルトガルによる植民地化が始まった。16世紀以降は奴隷貿易中継地の役割を担い、1975年にポルトガルから独立。今日、海外へ出稼ぎに行った国民からの送金は、同国GDPの一角を占めている。

ワールドプレミア上映前挨拶
ワールド・プレミア上映前挨拶(撮影:維倉みづき)

『ホース・マネー』(2014)への出演

コスタ監督の前作『ホース・マネー』で初めて銀幕に登場したヴィタリナ。リスボンに到着して間もない彼女自身を演じた。彼女が出演した経緯について、コスタ監督は次のように語る。「『ホース・マネー』の撮影に使う家を探していた時、家主が亡くなった家があると聞いて訪ねてみました。案内してくれた友人がその家のドアを壊して入ろうとした時、中から出てきたのがヴィタリナでした。この時からヴィタリナと会話を重ね、彼女の家で撮影準備を始めて1週間程経った頃、映画に出演してみないかと尋ねたところ、彼女は了承してくれました」

『ホース・マネー』でコスタ監督とチームメンバーに対する理解を深め、友人関係を築いたヴィタリナ。主演ヴェントゥーラの横で、抑制を効かせつつも迫力あるモノローグを披露した。新作『ヴィタリナ・ヴァレラ』冒頭では『ホース・マネー』で彼女が独白したリスボンへの旅路が一部映像化され、続いて夫の残したバラックで生活する様子が描かれる。新作での彼女は感情を隠さない。生々しい人間だ。

Vitalina Varela ©Locarno Film Festival
『ヴィタリナ・ヴァレラ(原題)』より ©Locarno Film Festival

ヴィタリナが抱えていたもの

コスタ監督はヴィタリナとの更なる映画製作を決めた理由について語る。「ある地域に身を置いて映画を製作することは、その地で、我々が行なっているこの一風変わった労働に興味を持ち、働こうという意志がある人物探し出すことに尽きます。ヴィタリナは経験と人間性を兼ね備えた人物で、よく働き、映画を作る意志があり、映画製作の過程を好きでいます。映画や芸術にまったく縁がない場所で、彼女のような人物と出会い、興味を持ってもらえたことは素晴らしいことです」「ヴィタリナは、私やあなたよりもずっと存在感があります。彼女の存在感は本物で、それは私が映画や現実世界の中で探し求めていたものでした」

撮影前にコスタ監督が脚本やメモなどを書くことはなく、毎日ヴィタリナと会話を重ね、演劇のようなリハーサルを繰り返した上で、ヴィタリナは自分が為すこと、話すことを自ら手書きし、コスタ監督と共に全体を作り上げていった。

ヴィタリナにとって避けて通れない主題、それは「亡き夫」だった。撮影が始まった時、ヴィタリナは実生活において夫が住んでいた地域で出会う人全員に対して怒りを抱いており、コスタ監督もそれを理解していた。コスタ監督はヴィタリナに「もしあの人やこの人に対して怒りを感じているのであれば、その感情を書き起こしてみてはどうか」と提案。結果、作品には亡き夫の友人や近所の人、全て本人が出演している。怒りを書き出すにつれ、彼女の表現は広がっていった。

Vitalina Varela ©Locarno Film Festival
『ヴィタリナ・ヴァレラ(原題)』より ©Locarno Film Festival

「怒り」についてコスタ監督曰く「私やあなたもそうであるように、一度怒りの感情が生まれると、それは膨張してゆきます。最後は世界を憎みます。彼女は怒ることで世界に反抗していました。私が働く土地は、人々が強い怒りを抱いている場所ですが、もはや変化するために反抗する力や術を持ちません。強く虐げられ、疑い、怒っています。これまでも私は同じ土地で何本もの映画を撮りましたが、作品を追うごとに状況は悪化しています。あなたも分かっているでしょうし、私も分かっています。この世界は悪意なのです」

見知らぬ土地へ来て間もない苦しい日々。その記憶を掘り起こすことを意志を持って繰り返したヴィタリナ。その様子をコスタ監督は「悪夢に向かって行き、前の日よりも深く話そうとしてくれた」と表現している。作品の中にはヴィタリナが亡き夫に向けて話しかける独白が含まれているが、撮影時は時に10分続いたこともあったそうだ。コスタ監督は語る。「私がヴィタリナと出会った時、彼女は周囲にいた人が亡くなったり逃げたりしてとても不幸せでした。誰も話す人がいませんでした。彼女にとって、死は一種の臆病者です。私も同意見です。この映画は、忘れ去ることができない者に対する復讐とも言えます。ただヴィタリナが悲しみに暮れたことは一度もありません。彼女はなぜ人々が去っていったのか理解できないのです。愛した人がなぜ去って行ったのか。最終的には彼女自身との対話であり、答えは出ません」

陰影を撮る

コスタ監督は本作製作における自身の役割について「ヴィタリナに尽くした」と語っている。彼女が原動力となって生み出される動作や言葉を受け止め、どう撮影するか、どう映画として纏めるかに徹したという。ヴィタリナから絞り出される、カーボヴェルデで待ち続けた思いと、リスボンに来てから直面した現実。彼女が抱えていた感情の種類とその深さと強さを象徴するかのように、『ヴィタリナ・ヴァレラ』には漆黒の陰影が多く登場し、音響と動作が連動する。コスタ監督は「ヴィタリナにとって、作品に収められた時期は非常に特別な意味を持ちます。その表現として、我々はある種の陰影を生み出そうとしました」と語る。照明、音響、全てにおいてそれぞれ入念に準備が行われ、同時に収録された。

尚、撮影を進めるにつれてコスタ監督はヴィタリナが人生の殆どを過ごしたカーボヴェルデにも行って撮影すべきだと考えるようになり、今年に入ってから訪問。撮影された映像にはヴィタリナの息子さんが映っている。

上映後QA
上映後Q&Aの様子(撮影:維倉みづき)

主な撮影地は、郊外に見つけた廃墟と、ヴィタリナが現在も住むバラック。暗い室内や夜間の場面が多い作品としたため、別々の場所で撮影しても上手く行くとコスタ監督は判断した。現実に忠実にあるというよりも、光と影の表現を実現することを優先したそうだ。

特に多くを撮影したヴィタリナの家について、「壁」の重要性をコスタ監督は語っている。「ヴィタリナの家はとても狭く、照明も限られました。特に重要なのは壁です。尊敬している映画監督が『壁は壮観になり得る』とも言っており、背景も上から下まで重要です」。

撮影は、ヴィタリナの亡き夫が居るはずの場所、墓地でも行われた。実際の墓地で撮影することは許可を得るなど困難だったようだが、コスタ監督はその時を振り返り「撮影したのは冬で、雲の厚い日が続いていました。撮影日を選んだり、晴れの日を待って撮影することも出来ず、灰色の空の下で撮影したことは偶然です。ただ観客の眼や精神への視覚的な繊細な刺激は、曇天の下で撮影されたイメージの方が晴天下のものより大きいとも言えます。盲目的になり、あなたの視線は自分の内面に向かいます」と語る。

日々の労働と根気の賜物

ヴィタリナが原動力となり、チームも勤勉さを厭わなかった。ヴィタリナの家にチーム全員が寝泊まりしての撮影についてコスタ監督は語る。「撮影は一年間週6日行いました。我々は非常に強いチームで、一般的な欧州の怠惰な製作とは違います。もちろん欧州にも例外はあるでしょうが、そういう意味では我々は米国に近いかもしれません。月曜日から土曜日まで、同じことを繰り返します。我々は音響、撮影、女優、私、助手、プロデューサーのたった6名から成るチームですので、全てにおいて非常に非常に非常に強くなければいけません。同時に、誰かの調子の悪い時はその日の撮影を中止することもあります。ただ機械的に行うのではありません」。

Vitalina ©Locarno Film Festival
ヴィタリナ・ヴァレラ ©Locarno Film Festival

一年という長い時間をかけて撮影した理由について、コスタ監督曰く「私の場合、一度か二度見ただけの場所では全てを理解していないため上手く行きません。家や地区など、撮影場所は人間に似ています。例えば一人の俳優を3日間で撮影するなど、どうすれば良いのか見当がつきません。一つの場面にしても同じです。4ヶ月の撮影で4秒のシーンがやっとでしょうか。私のチームはプロの俳優でもなく技術者でもなくスーパーヒーローでもありません。長い時間と、根気が必要です。惜しみない労働が必要です。時にはどこに向かっているのか分からなくなる時もありますが、最終的には着地しますし、それも日々の労働の結果です」「撮影には長い時間をかけます。軽く8~9ヶ月はかかります。それが何だと言うのでしょう。映画撮影が3~4週間で行われ、その原因が資金や組織上の都合であることも理解します。ただ、私にとっては長い時間をかけずしては上手くいかないのです」。

Pedro Costa
ペドロ・コスタ監督 ©Locarno Film Festival

ポスト・プロダクション

長期間にわたる撮影を終えた後の仕事も、多くの労働の結果であるとコスタ監督は表現する。「ポスト・プロダクションでの私の仕事は物事を整えることでした。各シーンは最初5~10倍の長さなのでカットし、短縮し、少し装飾を加え美しくします。撮影後もたくさんの手がかかりますが、ヴィタリナはそれも恐れませんでした。何をしているのか興味もあったようです。続くモンタージュは複雑ではありません。ただ選ぶのみです。5~10パターンの時間やリズムや美しさを見て、残念ではありますが最後は最も優れた1つに絞らなくてはいけません。テキスト、照明、音響、ヴィタリナの存在、全てが絡み合った複雑な巨大な塊です。完成までに多くの労働を要しますが、そうでなければ実施すべきでありません」

記者会見
『ヴィタリナ・ヴァレラ(原題)』記者会見の様子(撮影:維倉みづき)

全てのクレジットはヴィタリナに

ヴィタリナが長期間にわたって根気強く自らの過去と対峙し、コスタ監督とチームが彼女の声に耳を傾け続けた結果生まれた『ヴィタリナ・ヴァレラ』。合計3年に及ぶ製作を振り、コスタ監督は静かに語る。「決して俳優が本業でない素晴らしい人を前にし、彼女の人生経験が作品を主導してゆくことで、より濃厚な結果になったと私は思います。全てのクレジットはヴィタリナにあります。 私はまるで大海原に浮かぶ小舟に乗っているようでした。振り落とされないためにも、正しく、真剣に取り組みました。彼女も言っていますが、愛情があれば、物事は上手く運ぶはずなのです」

(執筆:moonbow cinema 維倉みづき)
▼映画ヴィタリナ・ヴァレラ(原題)』抜粋映像

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