映画『風たちの午後』
『三月のライオン』(1992年)『ストロベリーショートケイクス』(2006年)などで知られ、昨年『スティルライフオブメモリーズ』を発表した矢崎仁司監督が1980年に日本大学在学時に自主制作した長編デビュー作で、16ミリフィルムの劣化などの問題により観る機会が限られていた『風たちの午後』がデジタルリマスター版で3月2日(土)より公開。webDICEでは矢崎監督のインタビューを掲載する。
主人公の夏子はルームメイトの美津に恋い焦がれるがゆえに、美津の恋人・英男の子どもに近づき彼の子供を妊娠する。矢崎作品に連綿と漂う“清潔な死の匂い”と形容したい映像美、そして台所で落ちる水道の音をはじめとする細やかな音の効果に加え、かつての上映時には監督自ら劇場に赴き小さな音で上映するよう指示したという逸話もある。「愛が動機ならやっちゃいけないことは、何一つないと信じて作った」という矢崎監督ならではのラブストーリーは、40年の時を経てもなお鮮やかだ。
「あの頃の僕は、観ることを強いる映画を作りたかったんです。だから音を小さくしてみようかなって。上映会場では、音量を僕が自分で下げなければいけなかった。当時の観客が上映中に『聞こえない』と言いにきたりして、その対策として映写室の扉に『この音は監督の意図で、劇場の問題ではありません』みたいな紙が貼られました」(矢崎仁司監督)
小指のないやくざが弾いたような、何かが足りない音を
──『風たちの午後』はずっと見られなかった作品ですね。
二本のプリントしかなくて、世界中を回ったのでフィルムがボロボロで観せられる状態じゃなかったです。あと、BGMの問題もあったので。でも、メインテーマ曲は、出会いで生まれたんです。友部正人さんのライブを見に行ったら、その時にピアノを弾いた人がすごく良くて、友部さんに頼むつもりだったけど、楽屋でそのピアニストの信田和雄さんに「映画音楽を作ってもらえませんか」と。快く引き受けてくれて、「小指のないやくざが弾いたような、何かが足りない音を」と頼んだら、信田さんが片手の小指を縛ってメインテーマを作ってくれたんですよ。
映画『風たちの午後』矢崎仁司監督
──耳に残る、この映画のムードに合った曲ですよね。あの曲が何度もリフレインされると、最新作『スティルライフオブメモリーズ』の螺旋階段じゃないですけど、螺旋の中にはまり込んでいくような、そんな楽曲でしたね。
当時の音楽の楽しみ方としては、足音だったり、水道のポタポタとか夜の踏切の音だったり、効果音と音楽が同じに聴こえるようにしてくれないか、と信田さんに頼みました。
──近所の小学校の子どもたちの歓声が響き続けますね。「子どもの産めない身体である」と告白していた美津の借りたアパートの外では、校庭の子どもたちの歓声がずっと鳴り響いているという。
そんなに意図していなかったんですけど、今回見直してみて、美津がホテルに向かう坂道を歩いているシーンで、向こうから子どもを連れたお母さんが坂を上がってくるんです。「これ、エキストラで用意していないよな。偶然だよな」と思ってびっくりしましたね。
映画『風たちの午後』矢崎仁司監督
美津がマンホールの周りを歩く理由
──夏子と仲違いしたあとに、美津はもう少しグレードの高いマンションに転居しますね。そこへ忍びこんだ夏子が部屋を見渡して、以前のアパートと同じく蛇口から漏れる水道のポタポタという音と、校庭の歓声が外から聞こえてきた時に、夏子が少しニヤッとするじゃないですか。あのニヤリは素晴らしいですね。
撮影のとき、伊藤さんと綾さんに、「美津は水道をきちっと締めない癖がある人、夏子はマンホールがあるたびに周りを回る人なんだ」と言いました。それに、シナリオの準備稿では「夏子、走る」なんて書いてあったんです。でも友人の保坂和志さんに読んでもらったら「この“走る”という表現を全部“歩く”に変えないと、この映画は撮れないよ」とアドバイスをもらった。その時ちょうど、マンホールがあるたびにその周りを回る少女の光景に出会ったんです。これでいこうと思って、だからロケハンもマンホールのある道ばっかり選んでいました。
──夏子が街を歩くシーンは多いですが、どれも印象的です。この歩くというアクションが彼女の孤独ともつながってしまいますね。彼女の心のさまよいであり、と同時に膝丈のスカートのスタイル的な良さでもあるという。
本当に大好きでしたから。
──物語としてはちょうど一年間の季節の巡りのスパンで語られていますね。乙女座である美津の誕生日プレゼントを買う日から始まって、クリスマスの別れがあったあと、ラストも夏でしたね。そのつど、季節的な効果音も気象条件に合わせて変化していきます。
同時録音できないなら、アフレコでしかできないことをしようと考えました。例えば美津の部屋を出てからの夏子は外の音を聴かない。隣の部屋の人が窓からコップの水を捨てる音や、ガラス瓶を割る音など。夏子はもうまったく外の音を聴かなくなっている。
映画『風たちの午後』
リマスター版は新たな作品を作る感覚
──そして今回、「音の小ささを追求した」と資料で読みました。
映画館のロビーに座っていて、扉の中から渡哲也の声が聞こえてくるというのがすごく好きですが、あの頃の僕は、観ることを強いる映画を作りたかったんです。だから音を小さくしてみようかなって。
──つまり、セリフがギリギリ聞こえるか聞こえないかくらいでしょうか。
カメラの横にいる僕に「セリフが聞こえたからNG。僕に聞こえるはずのない距離感で話しているのに」という撮影の仕方をしました。上映会場では、音量を僕が自分で下げなければいけなかった。
──珍しいですね。音量を上げたがる監督は多いですけど、下げる監督はめったにいないと思うんです。
当時の観客が上映中に「聞こえない」と言いにきたりして、その対策として映写室の扉に「この音は監督の意図で、劇場の問題ではありません」みたいな紙が貼られました。
──それぞれのシーンにおけるノイズに関しては、この映画の中心的なものと言ってもいいくらいに強い印象をもたらしますね。
上映時間の中盤までいらいらするんですけど、それを過ぎると、つまり聴くことを諦めると心地よくなる映画になったらいいなと思っています。
映画『風たちの午後』
──私はまだ修正前の状態のDVDサンプルを拝見しただけなのですが、画質がそうとう劣化していました。現在進めているリマスター作業で画質は改善するのだと思いますが、でもこの劣悪な画質が抽象的な作品の神話性にもつながっているような気もしてくるくらいです。
修復作業担当のヨコシネD.I.A.に申し訳ないから言うけど、技術的にはもっときれいにできるんですけど、撮影の石井さんの監修のもと、当時の画の感じと音のバランスを追及して頂きました。
──楽しみですね、出来上がりが。
ただきれいになるということではなく、前の作品を踏まえた上で、あらためて作品を作るということをやってくれたなあって。
──画質をあえて落とすことによって、作品の夢のような、夏子というひとりの女性の意識の中を覗きこんでいる、膜を一枚隔てたような感覚があると思うんで。そんなにリアリズムじゃないじゃないですか。
そうですね。
──パキッと明確に見えるものじゃない。涙の滴のむこうに見えるような悲しみが画面を少し湿らせている気がします。
撮影の石井さんは素晴らしいです。今回整音をお願いした吉方さんは『スティルライフオブメモリーズ』の録音を担当してくれた人ですが、1980年代のマイクをオークションで買って作業した。馴染ませるという考え方ではなく、新たな作品を作る感覚です。
映画『風たちの午後』
──当時の素材を活用しながら、新作として再提示しようとしている。
そうですね。今回新しくBGMを入れたパートでは、『1+1=1 1』の高速スパムや『太陽の坐る場所』で出会った田中拓人さん、『無伴奏』のDrop’s、あと鉄割アルバトロスケットなど、僕がこの40年のあいだに出会った人たちの音楽をひっそり忍ばせています。それに、エンディングテーマ曲は、信田さんに新たに弾いて頂きました。そういった意味では、僕も新しい映画を作っている感覚になりましたね。
受け入れられないものがあるから、吐くという行為につながる
──夏子が各シーンで障害に遭って気落ちを強いられますね。彼女の反応というのは、床の上にごろごろする、うずくまる、公園のベンチでじっと時間をやり過ごす、そして嘔吐するとかですよね。妊娠する前から彼女は嘔吐する女として出てくるわけで、妊娠前から妊娠しているかのような体調です。
ちょっと恥ずかしいですけど、私はこれまでけっこう自分の登場人物に吐かせていますよね。受け入れられないものがあるから、吐くという行為につながるんですね。僕自身も緊張するとき、緊張がほぐれたとき、よく吐きます。
映画『風たちの午後』
──撮影前には実際にレズビアンの取材はなさったのですか。
いいえ。明け方の歌舞伎町で女の子どうしが肩を組んで並んで歩いてくる光景を見て、これを画にしたいと思ったんです。ゲイ&レズビアン・フィルム・フェスティバルにはよく呼ばれましたが、ニューヨークでは「この矢崎という映画作家は女性なのか?」という問いがあがったこともありました。
──実際にレズビアンとして生きる人たちが見ても、リアルなものが写っていると思われたのですね。取材していないにもかかわらず。
人を好きになるということ。ただそれだけをやりたかったのです。
(オフィシャルライター:荻野洋一)
矢崎仁司(やざき・ひとし) プロフィール
山梨県出身。日本大学芸術学部映画学科在学中に、『風たちの午後』(80)で監督デビュー。2作目の『三月のライオン』(92)はベルリン国際映画祭ほか世界各国の映画祭で上映され、ベルギー王室主催ルイス・ブニュエルの「黄金時代」賞を受賞するなど、国際的に高い評価を得た。95年、文化庁芸術家海外研修員として渡英し、ロンドンを舞台にした『花を摘む少女 虫を殺す少女』を監督。そのほか監督作品に、『ストロベリーショートケイクス』(06)、『スイートリトルライズ』(10)、『不倫純愛』(11)、『1+1=1 1』(12)、『太陽の坐る場所』(14)、『××× KISS KISS KISS』(15)、『無伴奏』(16)『スティルライフオブメモリーズ』(18)などがある。
映画『風たちの午後』
3月2日(土)よりK's cinemaにて、3月9日(土)よりアップリンク吉祥寺にて上映
キャスト:綾せつこ、伊藤奈穂美、阿竹真理、杉田陽志
監督:矢崎仁司
脚本:長崎俊一、矢崎仁司
企画:三谷一夫
プロデューサー:平沢克祥、長岐真裕
撮影:石井勲、小松原淳
録音:鈴木昭彦、吉方淳二
編集:中島吾郎、石沢清美、目見田健
音楽:信田和雄、阿部雅志、内田龍男、矢野博司、BOOZY
制作:追分史朗、長崎俊一
協力:ヨコシネD.I.A.、草野康太、原風音、本間淳志、戸丸杏
宣伝美術:林啓太、矢島拓巳
WEB:徳永一貴
製作:ABCライツビジネス、フィルムバンディット、映画24区
宣伝・配給:映画24区
2019年/日本/105min/パートカラー/モノラル/DCP