骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2018-03-17 19:15


震災・家庭内暴力・子供の疎外・生と死、パペットアニメの定型を越える映像作品群

3/17(土)より映像作家・村田朋泰の初期代表作から最新作まで一挙公開
震災・家庭内暴力・子供の疎外・生と死、パペットアニメの定型を越える映像作品群
『松が枝を結び』©TMC

アニメーション作家・村田朋泰によるパペット・アニメーションの傑作選『村田朋泰特集—夢の記憶装置』が、3月17日(土)よりシアター・イメージフォーラムにて公開される。webDICEでは、村田朋泰監督のインタビューを掲載する。

今回の特集上映では、台詞を排し、パペットの細やかな動きや風景描写のみで「喪失」をテーマに制作を続ける村田監督の世界を堪能することができる。日本古来から伝わる神話・信仰をモチーフにしたファンタジックな世界と日常を交錯させる自身の手法について村田監督は、そのイメージに震災以降の経緯が色濃く反映されていることを明かしている。

「『松が枝を結び』の津波の場面は、特定の地域を襲った悲劇として描くことはあえて避けました。黒い波については、CGのようなデータ的再現的映像でなく、あえて人の手で造形することで、生きもののような有機的な存在感を出したいと思いました。あの波も海にとっては営みの一つであり、人間の善悪の価値判断では測れないものだと思うからです」(村田朋泰監督)

パペットの定形から外れた作品を目指す

──村田さんの作品の大きな特徴の一つにボールアイ(球状の眼)を持つパペット(人形)が挙げられます。『朱の路』から始まる『路』シリーズのピアニストの男性の眼は特に印象的です。大きな目を覆う瞼の開閉や眉の動きが感情表現の中心に置かれていると思いました。

大学の卒業制作として『睡蓮の人』を制作した後に、大学院に進学して『朱の路(あかのみち)』に取りかかりました。前作は棟方志功をイメージしたメガネの叔父さんが主人公で、基本的に無表情でした。次はもっと表情を作れるキャラクターを造成することが課題でした。眼で感情を表現出来る造形を考えた結果、あのような眼になりました。

村田朋泰監督
村田朋泰監督

──パペットが美しい風景の中に佇む静的なシーンが多々あります。カメラをキャラクターに寄せた喜怒哀楽に頼らず、ロングショットの臨場感で観客の想像力を刺激する作品になっており、ミニチュアセット撮影の限界に挑んでいるようにも見えます。

全編主人公が一人で放浪する様子を客観的に綴った静的なシーンで構成しようと決めていました。その中で伸びやかさや侘しさが染み出して来るような作品にしたいと考えました。「パペットアニメーションとはこうゆうもの」という定型から外れた作品を目指したいとも思っていました。

©TMC
『朱の路』©TMC

──パペットの存在感と風景がどちらも距離を保って等価に扱われていて、まるで自由律俳句のような印象を持ちました。『朱の路』のラストで夕景の中を走る列車など、空間が広々としていてグリーンバックの3D-CG合成カットのように見えますが。

あのカットは自分で撮影した実景写真を拡大したものを設置して撮影しました。予算も時間も限られていたので、全てアナログです。結果的にはうまく行ったと思います(笑)。

──風景をめぐる心理的な旅の中で記憶を回復していくというモチーフは、その後も様々な作品に受け継がれていますね。キーアイテムの存在、写真や花の象徴的な扱いなども共通しています。

ええ、確かにそうですね。意識はしていませんでしたが、花を大切な物として扱う点は共通していますね。

──『家族デッキ』シリーズは家族や家屋の記憶にまつわるお話ですね。高度経済成長期を思わせる鄙びた理髪店のセットが丁寧に作られていました。

谷中(東京都台東区)におばあさんが二人で営んでいた古い理髪店がありまして、ある日ジョギング中に取り壊されているのを見ました。慌てて解体業社の方にお願いして、店内の物を譲ってもらいました。その時貰い受けた理髪用の大きな椅子を今も愛用しています。作中の舞台は、その理髪店をミニチュアで再現したものです。

『家族デッキ』 ©TMC
『家族デッキ』 ©TMC

──店内中央に水場があるのが良かったです。造形ではお父さんの伏目がちに見上げる眼に、ボールアイとは異なる説得力がありました。

作品ごとにその世界にふさわしい造形を考えます。このお父さんは、何とか複雑な表情にしたかったんです。この作品に限らず、常に挑戦したいと思っています。

現実とファンタジーの境界線を曖昧化する

──2011年からは「祈り、信仰、記録」をコンセプトとした全5作品のシリーズを制作されていますね。

リーマンショックで仕事がかなり減りました。さらに東日本大震災が起きて、多くの表現者と同様に僕も何をどう作るべきかと悩みました。そして、もっと日本人のアイデンティティを掘り下げる作品を作らなければという思いで新たなシリーズに取り組もうと決めました。

──その第1作『木ノ花ノ咲クヤ森(このはなさくやもりこ)』は「翁舞」で幕を開けます。本編と直接繋がらない印象ですが、翁が「これから各々の物語を語ってしんぜよう」と告げているのではないかと思いました。あれはシリーズ全体の導入であり、「夢幻能」の前口上のような役割ではないかと。

その通りです。翁神は現実世界の反転させる「鏡の神」でもありますから、「あの世」と「この世」を行き来する世界観への入口を提示したかったという意図ですね。

©TMC
『木ノ花ノ咲クヤ森』©TMC

──木で出来た狼の頭を持つ青年は防護服風の追っ手に狙撃されます。舞台は近未来か異世界のようにも見えます。造形も設定もファンタジーの色合いが濃く画期的でした。

現実とファンタジーの境界をあえて曖昧にしています。手塚治虫さんの『火の鳥』の壮大な世界観と輪廻転成というテーマや、村上春樹さんの『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の現実的な近未来にも影響を受けています。主人公は『火の鳥 太陽編』の狼の皮を被せられた青年のイメージです。木の頭部、透明で丸い眼と言ったパーツ素材をどう見せるかということを考えて造形しました。

──第2作『天地(あめつち)』は、打って変わって定点観測で延々と造山運動を記録した実験作という印象です。これまでは「記憶」でしたが、この作品では「記録」をメインにして、ついに風景が主人公になったのではと。

あれは実際に鉄と硫黄で噴火から大地の形成までをミニチュアで再現した展示用インスタレーションの記録です。土地はどのような過程を経て形成されるのかを一度体感しておきたかったのです。コマ撮りアニメーションかと言われると違いますが。

──唐突に『松が枝(え)を結び』の姉妹の喧嘩シーンに変わりますね。プレートとプレートのぶつかり合いのモンタージュということでしょうか。

そうです。力と力の衝突という意図で、自分の中では自然と繋がりました。

震災の影響と生と死の認識をめぐる描写

──シリーズ第3作『松が枝(え)を結び』は初めて主人公が二人の姉妹になっています。

実は僕も双子なのです。双子というのは、いつも自分と同じ容姿の人間と一緒にいるという特殊な環境で、特有の感情があるものです。幼い頃は必然的に同じ服の色違いが多かったので、親も勝手に間違えていました。喧嘩もしょっちゅうでした。そういう独特の感覚を表現したいと思いました。

©TMC
『松が枝を結び』©TMC

──監督は姉妹のパペットを別々に演技させているのですよね。どちらが姉でどちらが妹なのか、見分ける方法を教えていただけませんか。

双子自身は意識としては対等のはずなので、あえて姉妹の区分は考えていません。一人は黒いドロドロが見えるが、一人は見えない。一人は素行が荒い。一人は襟をちょっと立てているとか、性格的な違いは結構はっきりと演出していますので、じっくり観てほしいですね。

──姉妹の眼はボールアイでなく横長で、顔全体もフラットです。これまでの少女よりもきつめで感情が読み取りにくい表情に見えました。

顔のない少女は陶土で造形していて、素材も変えました。少女たちは撮影時に予想外の複雑な表情を見せることがあり自分でも驚きました。ライティングも工夫しています。

──平地に点在する家屋を押し流す黒い粘土の津波は衝撃的です。表面に刻まれた引っかき傷のような線が異様です。海岸線の高低差や堤防のセットを設けず、意図的に災害地域や津波のイメージを抽象化しているようにも見えます。

特定の地域を襲った悲劇として描くことはあえて避けました。黒い波については、CGのようなデータ的再現的映像でなく、あえて人の手で造形することで、生きもののような有機的な存在感を出したいと思いました。あの波も海にとっては営みの一つであり、人間の善悪の価値判断では測れないものだと思うからです。

©TMC
『松が枝を結び』©TMC

──『路』シリーズの孤絶した個人の記憶の回復というモチーフを受け継ぎつつも、被災・家庭内暴力・子供の疎外・「あの世」と「この世」といった、より広く重いテーマに踏み込まれていますね。

「松の枝を結ぶ」とは、『万葉集』に詠われた旅の安全を祈る当時の習俗で、「無事に帰って来て、結んだ松の枝をまた見よう」という意味です。そこには震災以降の経緯も反映されています。生と死の認識をめぐる描写については、高畑勲監督の『火垂るの墓』の影響も受けています。

僕の中では『松が枝を結び』と『朱の路』のラストシーンは対になっているんです。通底するテーマをより発展した形で表現していると言いますか。その意味では、今回の上映プログラムは、自分の作品の歴史が一周りして円環になっていることを示しているのかも知れませんね。

(取材・構成/ 叶 精二 2017年12月9日トモヤスムラタカンパニー スタジオにて)



村田朋泰(むらた・ともやす)

1974年東京出身。東京芸術大学修士課程美術研究科デザイン専攻伝達造形修了後、コマ撮り アニメーション制作会社TMCを設立。言葉やセリフを排し、仕草や佇まいによる演出で心情を表現し、光の陰影や雨風の移ろう風景を巧みに織り込み「不在」「喪失」「記憶」「死生観」を題材とした作品を通して日本人のアイデンティティを探る制作をしている。代表作 として『睡蓮の人』、『朱の路』、Mr.Children「HERO」のMVなど。2011年から<生と死に まつわる記憶の旅シリーズ>の制作を始め、第1幕に当たる『木ノ花ノ咲クヤ森』は、シ ュトゥットガルト国際アニメーション映画祭2016に入選。劇場版『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』の主題歌Galileo Galilei「サークルゲーム」のMVに使われた。 また目黒区美術館、平塚市美術館など美術館やギャラリーでの個展も多数開催。 現在、Eテレ「プチプチ・アニメ」にて『森のレシオ』を放送中他、ランダル・ジャレル原作の『陸に上がった人魚のはなし』を制作中。


聞き手:叶精二(かのう・せいじ)

映像研究家。早稲田大学・亜細亜大学・大正大学・東京工学院講師。高畑勲・宮崎駿作品研究所代表。著書に『日本のアニメーションを築いた人々』(若草書房)、『宮崎駿全書』(フィルムアート社)、「『アナと雪の女王』の光と影」(七つ森書館)、共著に『王と鳥 スタジオジブリの原点』(大月書店)など。




白の路 ©TMC
『白の路』©TMC

『村田朋泰特集—夢の記憶装置』
3月17日(土)シアター・イメージフォーラム他全国順次公開

配給:ノーム, TMC

公式サイト


▼『村田朋泰特集—夢の記憶装置』予告編

キーワード:

村田朋泰


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