骰子の眼

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東京都 渋谷区

2017-07-06 18:45


自殺を扇動したと老歌手が逮捕─インド発の法廷劇『裁き』が描く社会のグラデーション

タームハネー監督「下級裁判所にいるすべての人々の表情に独自のストーリーがあった」
自殺を扇動したと老歌手が逮捕─インド発の法廷劇『裁き』が描く社会のグラデーション
映画『裁き』

『裁き』が7月8日(土)より公開。webDICEではチャイタニヤ・タームハネー監督のインタビューを掲載する。

物語の中心となるのは、自殺を扇動する歌を歌ったとして逮捕された民謡歌手カンブレ。若手弁護士が彼を弁護することになるが、刑の確定を急ぐ検察官や公正に裁判を進めようとする裁判官や偽証する目撃者や証人など様々な人々の思惑が交錯していく。タームハネー監督はインタビューでも語っているように、ことさらドラマティックな演出を廃しドキュメンタリー・タッチでカンブレが辿る運命と検察官ら周囲の人々の日常を追っていくことで、インド社会のレイヤーを表現してい

私はこの映画で、法廷の外にいる人々のグラデーションを描こうと試みたんだ。私にとってこの映画は、その場所で何とか生きようとしている人たちの記憶を捉える試みでもあるんだ。(チャイタニヤ・タームハネー監督)

司法機関は人の生死を決定する権限を与えられている暴力的な機関でもある

──本作を作ろうと思ったきっかけは?

裁判を実際に傍聴する機会があって、それがテレビで観るものと全く違うことに驚いたんだ。そこにはテレビで観るものとは異なるストーリーやユーモアがあった。物事は整理されていないし、マイクもないし、弁護士も弁舌さわやかなわけではなかった。それで興味を持って、深く掘り下げようと思ったんだ。そしてインドの司法制度に興味を持つに至った。司法機関は公的なものだが、人の生死を決定する権限を与えられている暴力的な機関でもある。

映画『裁き』チャイタニヤ・タームハネー監督
映画『裁き』チャイタニヤ・タームハネー監督"

また、階級や文化など異なるバックグラウンドを持つあらゆる人々が交流し協力し合うプラットフォームであるともいえる。私は、裁判官、検察官、弁護士という司法に関わる人々の人物像を探ることに興味があったんだ。彼らは権威である一方、組織の規則、手続き、序列といったものの奴隷であるともいえる。また、彼らといえども、市井の人々と同じ社会的、文化的、家族的な起源を持っている。唯一の違いといえば、彼らは権力を持つ地位にいることだ。そういう意味で、この映画は社会や集団の研究であるとも言える。

下水清掃人という設定は最後に出来上がったんだ。脚本を書き進める過程で、それ以外の設定はすべて固まったが、核となる事件だけが決まっていなかった。これは、マンホール労働者の過酷な環境に関するS・Anand氏の記事を読んだときに、ひらめいたんだ。

──実際に下級裁判所に取材に行ったのですか?

インドの司法制度を探究するという情熱を持つことになろうとは思いもしなかった。法廷ドラマというジャンルでは、これまで様々なことが描かれ尽くされてきた。しかし、実際にムンバイ郊外の平凡な下級裁判所を訪れた時に、私の想像力が喚起された。そこにはドラマチックな雰囲気はなく、気まぐれのように生と死が決定される様があった。しかし、そこにいるすべての人々の表情には独自のストーリーがあった。一日中興味なさげにタイプする速記官、わずかな賄賂のために階段を駆けのぼる召使い、時代遅れの法律書から引いた専門的な文章を読む口下手な弁護士、おそらく自分の訴訟番号が呼ばれるのを何年も待ち続けているのであろう控訴人。そして、自身の運命が決められるとき、慣れない言葉を必死に理解しようとしている市井の人々の希望と恐怖が、この劇場の中にはあったのだ。

映画『裁き』
映画『裁き』

この映画はムンバイの非常に特殊なシチュエーションを描いているが、この映画の本質は、集合体を構成している目に見えない事物を探究することにある。登場人物たちは、カースト制、階級闘争、家父長制、封建制など、見えざる引き金に翻弄されている。私の挑戦は、登場人物たち自身にも欠点があったとしても、彼らに尊厳と慈悲をもたらすことだった。

ムンバイの文化に対してインサイダーの視点を持った映画

──インドの司法制度を描くうえで、どのような苦労がありましたか?

私は数多くの弁護士、活動家、学者にインタビューをした。司法制度に関する彼らの洞察は、脚本を書く上での基礎となった。また、実際の行動よりもむしろイデオロギーのために迫害された文化的な活動家の裁判にも触発された。法廷で何時間も過ごしたという経験ももちろんあるけど、私は多くのニュース記事、法律書、研究論文を参照して、脚本の裁判シーンを書きあげたんだ。これらのシーンを撮影するときは、一定の距離感と客観性を維持したいと思っていたので、主観的な効果を狙った法廷モノの映画ではなく、実際の裁判を撮影したドキュメンタリー映像を参考にした。

実際の法廷の撮影許可はおりないので、私たちは、下級裁判所の雰囲気を再現したセットを作る必要があった。実際の法廷では写真撮影や書類作成も許可されないから、プロダクションデザイナーは法廷でこっそり書いたメモや記憶に基づいて作業しなければならなかった。

映画『裁き』
映画『裁き』

結局は、他の映画や小説よりも、ムンバイの下級裁判所で見聞きした事実の方がはるかに着想の参考になったよ。法廷で展開される事実のいくつかは、フィクションよりもはるかに奇妙だった。それは、私がこれまでスクリーンやテレビで観てきたものとは一線を画す、ムンバイ独特のものだった。その意味では、この映画はこれまでの映画で見られるような古典的な法廷劇の構造を破壊しているかもしれない。この映画の法廷では、書類に誤りがあるし、証人はあやふやだ。そして、そこにいる誰もができるだけ早くその法廷から出たがっている。

映画『裁き』
映画『裁き』

──ムンバイの街自体が本作の中で重要な存在となっています。あなたにとって、ムンバイはどういう意味を持っていますか?

ムンバイは工場労働者、労働組合、共産主義者、社会主義者、移住者、学者、ジャーナリスト、そして、教師の街だ。私は移住民ではなく、昔からムンバイに住んでいる地元民の家庭に生まれた。その意味でこの映画はムンバイやマハーラーシュトラの文化に対してインサイダーの視点を持った映画だね。だから、ごく自然に、衣装、キャスティング、サウンドデザイン、撮影方法などで、多くの選択肢を用意することができた。

各登場人物は、この街のそれぞれ異なる現実に生きている。この街に存在するそれぞれのコミュニティーは、密集して共存しているが、それらが重複することはない。私はこの映画で、法廷の外にいる人々のグラデーションを描こうと試みたんだ。検察官の個人的生活を映画の中で描き出そうと決めた時、1990年代の私の幼少期の思い出の一部であるムンバイを再現しようと思った。変革と開発のスピードはあまりに速いので、ある特定の人々と彼らのムンバイはもうすぐ絶滅してしまうだろう。私たちが撮影した労働者階級が居住する伝統的な建物でさえ、撮影のわずか2ヵ月後に高層ビルを建てるために取り壊された。だから、私にとってこの映画は、その場所で何とか生きようとしている人たちの記憶を捉える試みでもあるんだ。

映画『裁き』
映画『裁き』

──本作は、ムンバイだけではなく、現代インドの一面を定義する存在であり、とりわけカースト制度の堅忍さを表現していますね。

カーストは目に見えない無意識の力として、この映画全体に作用している。インドのカースト制度は、この場で説明するにはあまりにも複雑過ぎるので言及を控えるけど、映画の中に人の姓を読むシーンをたくさん入れたということだけ言っておく。この映画の登場人物の姓は社会階層を表しているんだ。私が実際の法廷で見たコミュニケーションの崩壊と理解の欠如は、この映画の法廷シーンにおいて不可欠な要素になった。理論的には憲法の原則は素晴らしいものだけど、実務の場で使用されている言語は非常に難解で、ほとんどの人にとって理解の外にある。

食べ物もカーストや階級を表現する重要なメタファーになった。その人がどこに住み、何を食べるかは、社会におけるその人の場所を理解するための重要なツールになると思う。

映画『裁き』
映画『裁き』

カンブレの存在は何千年にもわたる抑圧と疎外の歴史を表している

──劇中でカンブレが歌う音楽について、詳しく話してください。

こういった抗議的な音楽はイギリスの植民地主義への反応として生まれた。過去数百年間、ムンバイは抗議活動の中心地だったんだ。1930 年代以降、芸術家たちは抗議的な歌を歌い、扇動的な舞台パフォーマンスをした。

私は脚本を書く前にそのパフォーマンスを観て、ずっと心に残っていた。彼らの歌にはこの映画と同じ要素があると思ったんだ。音楽を担当してもらったサンバージー・バガトは有名な抗議歌手で、私は最初から彼に全幅の信頼を置いていた。形だけではなく、本物の抗議歌を作ってもらいたかったが、彼はそれに完全に答えてくれた。カンブレは、伝統的にカースト制度の外側に置かれている「不可触民」という最下層に属していて、彼の存在は何千年にもわたる抑圧と疎外の歴史を表しているんだ。この登場人物は、70年代のダリト・パンサー運動の歌手と、原理主義的な反カースト運動の一部分をベースにして作り上げた。ちなみに、現在ではこれらの団体や運動は衰退して、法的、文化的なあらゆる抵抗は無力化し、州の監視下に置かれている。

映画『裁き』
映画『裁き』カンブレ役のヴィーラー・サーティダル

──俳優たちについて話してください。

私が最初から意図していたのは、観客がスクリーンで見たことのある顔をこの映画には出さないということだった。プロではない俳優もまた、この物語の根幹を成す現実感と真実味をもたらしてくれた。私たちはムンバイという街に命を吹き込まなければならなかったので、実際にそこに住んでいる人たちよりもふさわしい人がいるのだろうかと悩んだよ。結果として、弁護士と警官以外のキャストの大半はムンバイに住んでいるプロではない俳優たちで構成した。私たちは、これまでカメラと対峙したことがない、様々な人生を歩んできた1,800人もの人々をオーディションした。教師や鉄道労働者から運転手やウェイターまで、映画に興味を持っているあらゆる人々と出会ったよ。

映画『裁き』
映画『裁き』

オーディションを6ヵ月間で集中的に行った後、脚本にフィットする人々を150人まで絞り込んだ。その中からキャストを決定し、セリフのある役には合わないけど興味深いと思った人々はエキストラとしてキャスティングした。そして、プロではない俳優たちがお互いに気分良くセリフを交わせるようにするため、大規模なリハーサルを行ったんだ。また、1シーンにつき平均30回の撮影を行い、1日に1シーンしか撮影しないというスケジュールにした。1シーンに60テイクかけたこともあったね。老いた民謡歌手カンブレを演じたのは、民主主義権利活動家のヴィーラー・サーティダルだ。彼もプロの俳優ではない。裁判官を演じたのは、特別支援学校の音楽教師プラディープ・ジョーシー。下水労働者の未亡人で夫の死亡時に多くの裁判手続きを経験したウシャー・バーネーが、劇中でも下水清掃人の未亡人を演じた。

──長回しを多用した撮影が非常に印象深いですね。

ワイドで長回しで撮るのが好きなのと、裁判所という時間がゆっくり流れて退屈な空間を撮るのに適していると思った。そしてよりリアリスティックに撮るには長回しがいいと思った。ドキュメンタリー風に撮るには一番合っていると思う。

(オフィシャル・インタビューより)



チャイタニヤ・タームハネー(Chaitanya Tamhane) プロフィール

1987年インド、ムンバイ生まれ。23歳の時に発表した短編映画『Six Strands』は、ロッテルダム国際映画祭、クレルモンフェラン短編映画祭、エディンバラ国際映画祭、スラムダンス映画祭など各国の映画祭で受賞。その後、長編映画第一作目となる本作『Court』を制作し、ヴェネツィア国際映画祭ルイジ・デ・ラウレンティス賞、ウィーン国際映画祭批評家連盟賞など16の賞を受賞。米アカデミー賞のインド代表にも選出される。米経済誌フ ォーブス「アジアのエンターテインメント&スポーツにおける30歳以下の30人」、米業界誌ハリウッド・レポーター「世界で最も将来が期待されている30歳以下の映画監督の一人」として取り上げられるなど、若手随一の才能として世界から注目されている。




映画『裁き』
7月8日(土)より、ユーロスペースほか全国順次ロードショー

ある下水清掃人の死体が、ムンバイのマンホールの中で発見された。ほどなく、年老いた民謡歌手カンブレが逮捕される。彼の扇動的な歌が、下水清掃人を自殺へと駆り立てたという容疑だった。不条理にも被告人となった彼の裁判が下級裁判所で始まる。理論的で人権を尊重する若手弁護士、100年以上前の法律を持ち出して刑の確定を急ぐ検察官、何とか公正に事を運ぼうとする裁判官、そして偽証をする目撃者や無関心な被害者の未亡人といった証人たち。インドの複雑な社会環境の中で、階級、宗教、言語、民族など、あらゆる面で異なる世界に身を置いている彼らの個人的な生活と、法廷の中での一つの裁きが多層に重なっていき……。

監督・脚本:チャイタニヤ・タームハネー
出演:ヴィーラー・サーティダル、ヴィヴェーク・ゴーンバル、ギーターンジャリ・クルカルニー、プラディープ・ジョーシー、ウシャー・バーネー、。シリーシュ・パワル
プロデューサー:ヴィヴェーク・ゴーンバル
撮影:ムリナール・デサイ
編集:リカヴ・デサイ
音楽:サンバージー・バガト
美術:プージャー・タルレージャー、ソームナート・パル
アートディレクター:ニレーシュ・ワーグ
衣装:サチン・ローヴァレーカル
キャスティング:サトチト・ポゥラーニク
音響:アニタ・クシュワーハー、アムリタ・プリータム

公式サイト


▼映画『裁き』予告編

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