映画『作家、本当のJ.T.リロイ』公開初日の舞台挨拶に登壇したローラ・アルバート
1996年に突如として文壇に現れた天才少年作家J.T.リロイ、自伝『サラ、神に背いた少年』で時代の寵児になった作家は実在しなかった──文壇を揺るがす衝撃の実話を映画化したドキュメンタリー映画『作家、本当のJ.T.リロイ』の公開に合わせて“J.T.リロイ”こと、作家のローラ・アルバートが来日。初日舞台挨拶が4月8日、新宿シネマカリテで行われ、聞き手に、映画評論家の森直人さんを迎えた公開インタビューが実施された。当日、ローラ・アルバートは映画『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』でヘアメイクを手がけたデザイナー、Scathaが来日を祝してデザインしたというスペシャルなドレスに身を包んで登壇。日本の観客に向けて熱いメッセージを送った。
本当に一日一日を生き延びることは大変で、何かに縋りつかなければ生きていけないというときに、アートは救いの方法になります。小説を通じて「自分は一人じゃないんだと思った」という声が寄せられますが、そんなふうにたった一人でも苦しんでいる人が救われるのであれば、自分のやっていることには意味があるのだと思います。(ローラ・アルバート)
「自分がここにいる」ことを知ってほしかった
──J.T.リロイとは何だったのでしょう?
人生を苦しみなく生きていくことは難しいことです。みなさんもそれぞれにいろんな苦しみやトラウマを抱えていると思います。
過去の虐待の経験から、私は自分自身を「恥ずべき悪い人間」だと考えていて、そんな自分が他人の目には「見えない存在」になっているように感じていました。
しかし、本当は私は「自分がここにいる」ということを知って欲しかったし、自分の話を聞いて欲しかったのです。「人に仮面を与えれば真実を語り出す」というオスカー・ワイルドの言葉がありますが、そういう意味でも私にとってのJ.T.リロイは「いたずら好きなお茶目なイノセンス」のようなものでした。
自分では言えないことを、アートを使って痛みや苦しみも含めて自由に表現するということがJ.T.リロイの存在そのものだったと思います。
たとえば『ザ・ウォーク』という映画では、主人公はワールドトレードセンターのツインタワーの上にワイヤーをかけて綱渡りをしているときに「自分が生きている」と心から実感します。もちろんそこに死の可能性はあるのですが、彼は他のやり方では生きていけないのですね。それと同様に私も他の方法では生きていけなかったのです。
映画『作家、本当のJ.T.リロイ』 © 2016 A&E Television Networks and RatPac Documentary Films, LLC. All Rights Reserved.
「理解されている」という感覚はとても感動的
──この映画を公開したことで何か大きな影響はありましたか?
J.T.の騒動があった後、私は自分の行った悪意のないアーティスティックなジェスチャーを理解できない人々からずっと攻撃を受けてきました。
患者の説明する症状に耳を傾けずに診断を下す医者のように、彼らは私の説明や動機には一切耳を傾けず、そこにあるパラダイムを勝手に組み替えて判断を押し付けてきたわけです。最終的に私は彼らと闘おうと決意しましたが、絶望や怒りや悲しみから立ち去るには多くのエネルギーを要し、また多くの人や状況から自分を切り離さなくてはなりませんでした。
そして、なにより私は自分のことをきちんと説明しなくてはならないという気持ちを持っていましたが、このドキュメンタリーがその役割を果たしてくれたと感じます。映画を通じて、自分のすべてをさらけ出すことはとても大事なプロセスであると同時に、自分と向き合わなければならない辛い行為でもありました。
映画『作家、本当のJ.T.リロイ』 © 2016 A&E Television Networks and RatPac Documentary Films, LLC. All Rights Reserved.
しかし、こうして日本の観客のみなさんと直接お会いして感じたことは──とくに日本の方は公の自分とプライベートな自分、あるいは、本音と建前ということをよく理解していらっしゃるからだと思うのですが──ここでしかできないかたちで自分のことを理解してくれるということです。
この「理解されている」という感覚はとても感動的で、日本での経験やみなさんとの対話によって、私は解放されました。
映画『作家、本当のJ.T.リロイ』 © 2016 A&E Television Networks and RatPac Documentary Films, LLC. All Rights Reserved.
誰もがみなアーティスト、魂を自由に
──ローラさんにとってアートとは?
一度自殺を考えたことのある人であれば理解出来ると思いますが、本当に一日一日を生き延びることは大変で、何かに縋りつかなければ生きていけないというときに、アートは救いの方法になります。少なくとも私にとってはそういう役目を果たしてしてくれたと思っています。
私に限らず、誰しも他人から認められたいという気持ちを持っていると思いますが、それは言い換えれば、クリエイティブな欲求や表現の必要性を持っているし、誰もがみな潜在的なアーティストであるということです。
たとえば、自分の子どもがアーティストになりたいという場合には「どうやって稼いで生きていくのか」ということに注意が向き、魂の表現したいという欲求よりもお金の問題が重視されますが、私は健全でさえあれば表現方法はなんでもいいと思っています。大事なのはアートをつくり続けることです。最終的にそれが他人にどういう影響を与えるかはわかりません。しかし自分自身への影響は非常に大きいと思います。
アートはイマジネーションを使う行為ですが、それに携わることで別の高度な次元のものとつながる時間が生まれます。通常、人生のなかで私たちは自分をコントロールしながら生きていると思うのですが、アートを生み出す過程においては、神聖な未知のスペースに入り込み、そこから何かが降りてくるのを信じることが必要になります。そして、アートをつくり続けることは、自分のコントロールを手放し、魂を自由にするためのプロセスだと思っています。
映画『作家、本当のJ.T.リロイ』 © 2016 A&E Television Networks and RatPac Documentary Films, LLC. All Rights Reserved.
私の使命はアートを通じて世の中にインパクトを与えること
──今後の活動について教えてください。
当時、自分が闘っているときはとてもそんな気持ちになれなかったのですが、いまは様々なプロセスを経て、自分の回想録を書き始めたところです。
ここでも書くことによって「癒し」が起こっていると感じます。また、この映画によっていろんな〈ギフト〉が与えられましたが、まだ私は完全に立ち直ったというわけではなくて、今でもときどき絶望する瞬間というのはあります。しかし、そういうときに私が考えるのは「きっとすべてのことには理由がある」ということです。
自分がアートを行い続けることでスピリチュアルな次元での〈ガイダンス〉が得られるはずだと考えています。また、私がやらなければならないのは、アートを通じて世の中にインパクトを与えること、よりよい世界をつくることだと思っています。時折、小説を通じて「自分は一人じゃないんだと思った」という声が寄せられますが、そんなふうにたった一人でも苦しんでいる人が救われるのであれば、自分のやっていることには意味があるのだと思います。
イベントの最後には、ローラの話に涙を流す観客に向けて「大丈夫?あとでゆっくりお話しましょう」とやさしく声をかける場面もあり、あたたかな拍手に包まれながら初日イベントは大盛況のうちに幕を閉じた。
映画『作家、本当のJ.T.リロイ』公開初日の舞台挨拶に登壇したローラ・アルバート
1965年、アメリカ・ニューヨーク州ブルックリン生まれの女性。J1996年からJ.T.リロイ名義で小説を書き始め、「サラ、神に背いた少年」(2000)、「サラ、いつわりの祈り」(2001)がベストセラーになる。2004年には「かたつむりハロルド」を出版。「J.T.リロイ」という名前は、先に自分が創り出していた2つの名前「ジェレマイア」と「ターミネーター」の頭文字と、彼女が相手をしたテレホンセックスの客の名前「リロイ」から取っている。
映画『作家、本当のJ.T.リロイ』
新宿シネマカリテ、アップリンク渋谷ほか上映中
監督:ジェフ・フォイヤージーク(『悪魔とダニエル・ジョンストン』)
撮影監督:リチャード・ヘンケルズ
音楽:ウォルター・ワーゾワ
出演:ローラ・アルバート、ブルース・ベンダーソン、デニス・クーパー、ウィノナ・ライダー、アイラ・シルバーバーグ ほか
(2016年/アメリカ/111分/カラー、一部モノクロ/1.85:1/DCP/原題: Author: The JT Leroy Story)
配給・宣伝:アップリンク
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