映画『エリザのために』 ©Mobra Films - Why Not Productions - Les Films du Fleuve - France 3 Cinema 2016
第60回カンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞した『4ヶ月、3週と2日』、そして『汚れなき祈り』で第65回カンヌ国際映画祭で主演女優賞・脚本賞を獲得したルーマニアの巨匠、クリスティアン・ムンジウ監督の『エリザのために』が1月28日(土)より公開。登校の途中で暴漢に教われた娘を卒業試験に合格させるために奔走する医師と彼の家族を巡る物語だ。webDICEではムンジウ監督、そして娘エリザを演じた女優マリア・ドラグシのインタビューを掲載する。
汚職や不正が根深いルーマニア社会を背景に、ムンジウ監督は、あらゆるコネやツテを頼りになんとか娘をイギリスで勉強させたいと手を尽くす父親の尽力について観客の倫理観に問いかけている。全編に漂うルーマニアの街の不穏さのなか、普遍的な家族のドラマをスリリングに仕上げたムンジウ監督はこの作品で、2016年の第69回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した。
映画の中に見て取れる変化というのは、脚本の違いや状況の違いからくるもので、僕の監督としての価値観というのは変わっていない。娯楽大作に見られるような、直截的で容易な効果や手法は避けてきた。例えば音楽を使って人の心を操るというのは簡単だ。そういったことは避けてきた。観客が自分なりの気持ちで感じることが大切だと思うから。(クリスティアン・ムンジウ監督)
クリスティアン・ムンジウ監督インタビュー
「集団としての解決策のある社会こそが本当の社会だ」
──本作を制作することになったいきさつを教えて下さい。
新聞の記事で強姦された少女について読んだ。ブカレスト市内で起こった事件で、彼女は強姦されるまで30分ほど町の中、雑踏の中を引きずり回されていた。けれど、誰も止めようとする人はいなかったんだ。その事実は、僕らが現在どんな社会に生きているかを物語っていると思う。我々は多くの人に囲まれて生きているにも関わらず、いかに自分のことしか考えていないのかと。
これは社会として健全ではないと思う。集団としての解決策のある社会こそが本当の社会だと思う。その視点から僕は映画を作っている。子供たちの未来が心配なんだ。こんな社会でいかにして子供を育てるべきなのか。社会の集団的な責任を子供たちに教えていくことが大切だと思う。
カンヌ国際映画祭にて、『エリザのために』クリスティアン・ムンジウ監督 ©Kazuko Wakayama
──映画に登場する父は穏やかで、怒ったり落ち込んだりなどあまりせず、感情の起伏が少ない人として描かれています。このキャラクターについて教えて下さい。
外見的には穏やかに見えても、内面では様々な気持ちが渦巻くことは可能だ。穏やかさというのは、非常にコントロールされた人の特徴だ。他人の目をコントロールしているともいえる。彼には自分の人生をコントロールしなければならないという欲求がある。それはさらに自分の子供をコントロールしたいという欲求につながっていく。親が子供にする悪い点のひとつだが……。子供に対する愛が根底にあるから、自分の行動がいかに支配的であるか、そしていかに子供から大きな自由を奪っているかに気がつかない。それをこの映画で触れている。
映画『エリザのために』父親役のアドリアン・ティティエニ(左)警察署長役のヴラド・イヴァノフ(右) ©Mobra Films - Why Not Productions - Les Films du Fleuve - France 3 Cinema 2016
──監督としての視覚的表現の進化について教えて下さい。
進化と言えるかどうかは分からないが、確かに変化はした。『4ヶ月、3週と2日』と次の『汚れなき祈り』を作る間に、自分の作風についてじっくりと考える時間があった。数年かけて、自分の過去の作品を考察し分析し、また多くの映画も見て、自分の作法のひとつひとつにどんな意味があるのかを考えた。
ただ監督としての考え方というのは現在までずっと一貫していると思う。映画の中に見て取れる変化というのは、脚本の違いや状況の違いからくるもので、僕の監督としての価値観というのは変わっていない。娯楽大作に見られるような、直截的で容易な効果や手法は避けてきた。例えば音楽を使って人の心を操るというのは簡単だ。そういったことは避けてきた。観客が自分なりの気持ちで感じることが大切だと思うから。
映画『エリザのために』 ©Mobra Films - Why Not Productions - Les Films du Fleuve - France 3 Cinema 2016
──アメリカでの映画制作に興味はありますか?
『4ヶ月、3週と2日』でカンヌの最高賞パルムドールを受賞してから9年程たっているが、いまだにいろいろなプロジェクトへの参加の声がかかる。アメリカからかなりの数の脚本も送られてきた。ただそれよりも自分が熟知している世界を描くことへの興味は薄れていない。だから自分のあまりよく知らないテーマについての映画を手掛けることに強い興味が湧いてこないんだ。
──あなたの国の監督が注目され、『私の、息子』のカリン・ペーター・ネッツァー〈ルーマニアン・ニューウェーブ〉などという言葉もささやかれていますが、ルーマニア映画に活気が出てきたのは何故だと思いますか?
まさかこういったことが起こるとは予想もしていなかった。特にマニフェストがあってムーブメントが起こったのでもなければ、90年代のドグマ(「ドグマ95」といわれる映画運動。映画を製作するにあたり10ヶの重要なルールがある)みたいなものでもないんだ。ただドグマよりもっと長続きしているけれど。それぞれが真摯に自分なりの映画づくりをしているというのかな。後世の人にも見てもらえる自分に正直な映画を作ろうとしてきた。映画づくりを真剣にとらえている人間がいる、ということなんだよ。それを誰かがやったら、次々にあとに続く映画が作られるようになった。近年のルーマニア映画を見てもらえば、いかに僕らが細部にまでこだわり、現実の社会を忠実に正直に反映したリアリズムで描こうとしているかを理解してもらえると思うんだ。
映画『エリザのために』 ©Mobra Films - Why Not Productions - Les Films du Fleuve - France 3 Cinema 2016
マリア・ドラグシ[エリザ役]インタビュー
「父親がなぜ娘のために不正をするのか、誰もが理解できると思う」
──子供のころから俳優をしていたようですが、演技をするきっかけは?
もともと俳優になろうと思ったわけではなく、ダンサーになりたかったんです。バレエ学校に7年間通い、クラッシックのバレリーナを目指していました。その頃『白いリボン』(ミヒャエル・ハネケ監督)に出演して、そこで初めてヨーロッパ映画について勉強をしました。ドイツ映画ばかりでなく、フランス映画とか、その詳細にまで気を配った映画作りについてを。そしてとても刺激を受け、映画に興味が湧いたのです。それでヨーロッパ映画についていろいろ調べたりしました。クリスティアン・ムンジウ監督にはベルリン映画祭の新人プログラムで知り合ったんです。そしてこの素晴らしい映画への参加が実現しました。
カンヌ国際映画祭にて、『エリザのために』マリア・ドラグシ ©Kazuko Wakayama
──家族を演じるために、映画の家族の共演者とはどのくらい一緒に過ごしたのですか?
父親役のアドリアンがドアを開けて入ってきた瞬間から、私たちは家族になりました(笑)。キャスティングの時に、何人かの俳優さんと一緒に台本を読みましたが、アドリアンと脚本を読んだとき、息もぴったりで、保護者としてのエネジーを彼から感じることができました。優しくて控えめな人柄で、共演は楽しかったです。いろんなことを学びました。母親役のリアは、アドリアンから演技を習ったことがあったらしく、彼のことを時々「教授」と呼んだりしておかしかったわ。二人にいろいろ助けてもらったし、一緒に仕事をすることができて楽しかったです。
映画『エリザのために』 ©Mobra Films - Why Not Productions - Les Films du Fleuve - France 3 Cinema 2016
──リハーサルはどのくらいしたのですか?
撮影前の1週間リハーサルをしました。全部のシーンを現場でリハーサルしたんです。カメラの位置なども決めて、正確に演技ができるようにしました。キャスト全員とリハーサルし、バイクの運転も習いました。私は運転免許を持っていなくて、先生について習いました。クールな経験だったわ。
──ロケ地の街のことは知っていましたか?
撮影で行くまでは知りませんでした。ロケ地のヴィクトリア(映画の舞台はクルージュだが、ロケ地はヴィクトリア)は興味深い歴史ある場所です。工場を中心にまわっている街ですが、過疎化し人口が減少しています。住民が移住してしまい、空になったたくさんの家がさっきまで人が住んでいたかのように残っているんです。
映画『エリザのために』 ©Mobra Films - Why Not Productions - Les Films du Fleuve - France 3 Cinema 2016
──お父さんはルーマア人だそうですが、教えてもらったことでルーマニア人として大切なことは?
父はルーマニアからの移民で東ドイツへ行きました。母はドイツ人で、ドイツで生まれ育った人です。近所にはルーマニアの家族がいたので、ドイツにいてもルーマニア人の中で育ちました。同世代の子供もいて、まるで従妹のように育ったんです。母もルーマニア語を習得して流暢に話せるんですよ。自分がドイツ人なのかルーマニア人なのかははっきりと決められないです。自分のことを何人と決めるのは難しい。ルーマニアの文化や習慣の中で育ちましたが、具体的に両国の違いを指摘するのは難しいですね。ルーマニアのほうが家族のつながりが強いというか。
汚職もそんな土壌から出てきているのですが、“私があなたを助けるから、あなたは私を助ける”というような関係があるんです。人びとが頼りあって生きている。人びとの絆は強まるけれど、逆にあなたの助けはいらないと断ることもできないというか……。
──試験でズルをしたことはありますか?そして演じるキャラクター、エリザの立場をどう思いますか?
ズルをしたことはないわ。高校では、とても優しい理解ある先生に恵まれたのでズルをする必要はなかったんです。ただこの映画で父親がやったことに共感はできます。昨晩父と一緒にこの映画を見たのですが、父は映画の中の父親がやったことを自分もやるに違いない、と言ったのです。世界の誰もが共感できる物語なのだと思います。父親がなぜあんなことをするのか、誰もが理解できると思うのです。
(オフィシャル・インタビューより インタビューと文:高野裕子)
クリスティアン・ムンジウ(Cristian Mungiu) プロフィール
1968年生れ、ルーマニア、ヤシ出身。映画デビュー作“Occident”は2002年カンヌ国際映画祭の監督週間でプレミア上映され、ルーマニアでもヒットする。2作目の『4ヶ月、3週と2日』では、監督・脚本を手がけ、第60回カンヌ国際映画祭でのパルムドール受賞を皮切りに、様々な国際映画批評家協会賞を受賞した。そしてヨーロッパ映画賞では最優秀作品賞、最優秀監督賞を受賞している。2009年、彼は再び脚本・プロデューサー・共同監督を務めたオムニバス映画“Tales from the Golden Age”でカンヌ国際映画祭に戻ってくる。そして2012年、第65回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で上映された『汚れなき祈り』は女優賞・脚本賞のW受賞を果たした。彼は2013年カンヌ国際映画祭では審査員を務めた。5作目となる『エリザのために』が、2016年、第69回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞し、ムンジウ監督にとってカンヌ3度目の受賞作となる。
マリア・ドラグシ(Maria Dragus) プロフィール
1994年生まれ、ドイツ出身。ドイツのドレスデンにあるパルッカ大学でダンスを勉強中にミヒャエル・ハネケ監督の『白いリボン』に出演し、同作で聖職者の娘クララを演じた。『白いリボン』は2009年カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞し、2010年ドイツ映画賞では彼女に最優秀助演女優賞をもたらした。それ以降も様々な作品に出演し、2016年には3作品、クリスティアン・ムンジウ監督の『エリザのために』、Jakob Lass監督の“Tiger Girl”、バーバラ・アルバート監督の“Light”が公開予定。
映画『エリザのために』
1月28日(土)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
医師ロメオには、イギリス留学を控える娘エリザがいる。彼には愛人がおり、家庭は決してうまくいっているとは言えない。ある朝、ロメオは車で娘を学校へ送っていくが、校内に入る手前で降ろし、彼女は徒歩で登校することに。しかし白昼人通りもあるなかで、エリザは暴漢に襲われてしまう。大事には至らなかったが、娘の動揺は大きく、留学を決める翌日の卒業試験に影響を及ぼしそうだ。これまで優秀な成績を収めてきたエリザは、何もなければ合格点を取り、ケンブリッジ大学で奨学生になれるはずだった。ロメオは娘の留学をかなえるべく、警察署長、副市長、試験官とツテとコネを駆使し、ある条件と交換に試験に合格させてくれるよう奔走する。しかしそれは決して正しいとは言えない行動で、ついに検察官が彼の元へやってくる……。
監督・脚本・製作:クリスティアン・ムンジウ
出演:アドリアン・ティティエニ、マリア・ドラグシ、ブラド・イバノフ、リア・ブグナル、マリナ・マノビッチ、バレリウ・アンドリウツァ
撮影:トゥドル・ブラディミール・パンドゥル
美術:シモナ・パドゥレツ
原題:Bacalaureat
配給:ファインフィルムズ
2016年/ルーマニア・フランス・ベルギー/128分