映画『ラスト・タンゴ』より、マリア・ニエベス(左)とフアン・カルロス・コペス(右) © WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion
ヴィム・ベンダースが製作総指揮を務め、1948年から50年間にわたりペアを組みアルゼンチン・タンゴの普及に尽力した伝説的ダンサー、マリア・ニエベスとフアン・カルロス・コペスを追うドキュメンタリー『ラスト・タンゴ』が7月9日(土)より公開される。webDICEでは、ヘルマン・クラル監督のインタビューを掲載する。
この作品は、10代の頃に出会い、恋人として、そしてダンスパートナーとしてダンスに打ち込み華々しい活躍を繰り広げるものの、1997年の東京公演を最後にコンビを解消した二人の愛憎の歴史を、現在80代のマリアとフアンへの取材による赤裸々な証言を軸に描いている。ダンス一筋で生き、一度はフアンと結婚するものの、公私に渡るパートナーと別れひとりで踊りを続けていくことを決め、新しいダンスの世界へ挑んでいくマリア。そしてタンゴブームが終焉した70年代、落胆のなか別の女性と家庭を築きマリアとは別の道を歩もうとするフアン。情熱的なアルゼンチン・タンゴの隆盛の陰にある人間模様を、現在のタンゴ・ダンス界で活躍する気鋭のダンサーが若き二人に扮した再現ドラマとエネルギッシュなダンスシーンを織り交ぜ描写している。
何よりもタンゴを愛している二人
──「ラスト・タンゴ」の着想のきっかけを教えて下さい。伝説のタンゴダンサー、マリアとフアンを描こうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。
ピナ・バウシュの3D映画『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』を観た時に、ブエノスアイレス中のタンゴのダンサーを集めて映画を撮りたい!と思ったんです。ミロンガ(アルゼンチン・タンゴを踊る場所)があり、そこに集う人たちがいて、そのダンサーたちを3Dで撮ったら面白いのではないかと。でもそれだけではストーリーにはならないと思った時、マリアとフアンというあまりにも有名なアルゼンチン・タンゴのダンサーがいて、二人を撮ったら面白いと思ったんです。
『ラスト・タンゴ』ヘルマン・クラル監督
最初にマリアに会いに彼女の家に行きました。そして30秒後には彼女に恋をしてしまいました。彼女は知的で、感受性も豊かで、隣に座っているだけで、彼女の重要性を感じたんです。そして彼女なくしてこの映画は撮れないと思うまでに至りました。
──二人の愛情と情熱のエネルギーは年を重ねても変わらないように感じました。まだタンゴを続けていらっしゃるのでしょうか?
フアンは84歳です。マリアは81歳です。フアンは毎晩テアトルポルテーニョというところで踊っています。マリアも1ヵ月に1回ダンスのエキシビジョンを開いて、そこで踊っています。なのでそういう意味でも二人はとてもパワーに溢れていてタンゴを心から愛しています。フアンはいつも、もし毎晩踊れなくなってしまったら死んでしまうだろうと語っています。つまり、生きるためにタンゴが必要だということです。何よりもタンゴを愛しているということではないでしょうか。
時代とともに進化するタンゴという表現
──マリアとフアンそれぞれの魅力があり、人生観があります。監督にとってこの作品のポイントはどこにあるのでしょうか。
私としては全体をひとつの映画としてみてもらいたいと思っています。始まった瞬間から最後の瞬間まで全て見てもらって、全体として捉えてもらう。それが映画を成立させるものだと思っています。
映画『ラスト・タンゴ』より、フアン・カルロス・コペス(83歳) © WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion
映画『ラスト・タンゴ』より、マリア・ニアベス(80歳) © WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion
──アルゼンチンでは当時、貧乏人の娯楽だったというタンゴダンスですが、現在はいかがでしょうか?
マリアとフアンが最初に出会った40年代には、タンゴはみんなに親しまれているダンスでした。確かに社会の低い階層の人たちから始まりましたが、そこを突き抜けて、金持ちの層にもどんどん広まっていったんです。そしてブエノスアイレス中全体に広がっていきました。50年代になると今度は他のタイプの音楽が入ってきました。ロックなど他の音楽が入り込むことによって、タンゴの楽しみかたの形態が変わっていきました。ダンスとして踊るタンゴということより、聴くためのタンゴへ変化したんです。よりシンガーへフォーカスされるようになって、歌ベースのタンゴが広まっていったんですね。そういった衰退を経て、80年代になると、「タンゴアルゼンチーノ」というショーによって再びタンゴの大きな盛り上がりを見せるタイミングがありました。
映画『ラスト・タンゴ』より、青年時代のマリアを演じるアジェレン・アルバレス・ミニョ(左)、青年時代のフアン役のフアン・マリシア(右) © WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion
「タンゴアルゼンチーノ」は、アルゼンチン・タンゴの黄金期を生きてきた人たちを集めて作り上げたショーなんです。もちろんその中にはフアンとマリアも入っていました。1983年だったと思いますが、パリで初演されとても大きな成功をおさめました。それが世界中にどんどん飛び火していったんです。ブロードウェイでも成功をおさめましたし、そうやって世界に、タンゴマニアのような形で広まっていったわけです。そして世界で盛り上がったタンゴが今度はアルゼンチンに帰っていくということになりました。そこから現在まで、タンゴはずっと息づいていると思います。
今でもたくさんのミロンガがあって、老若男女集まってきます。昔の動きを知る人たちはちゃんと着飾ってエレガントな装いでやってきて、その1メートル離れたところにはカジュアルな格好をした18歳から20歳くらいの若者たちがいるんです。そういったさまざまな人たちが同じところに集まって踊っています。それがとても普通のこととして捉えられている状況です。
映画『ラスト・タンゴ』より © WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion
ヴェンダースから『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の続編を撮らないかと言われた
──監督にとって、製作総指揮を務めたヴィム・ヴェンダースはどんな存在ですか?
彼は私の人生において非常に重要な人物です。僕は18歳のときに映画の勉強を始めたんですが、その頃はフィルムワークショップのようなかたちでスーパー8で映画を撮っていました。ヴィム・ヴェンダースの作品に完全に映画に恋してしまいました。それから彼のさまざまな他の作品を見て勉強していったわけです。そして彼と同じような形で映画を学びたいと思いはじめました。つまり彼が出た学校に行きたくなったわけです。それでミュンヘンの「フィルム&TVスクール」に行くんですが、当時はドイツ語をまったくしゃべれませんでした。しかしとりあえずベルリンに行き、そこからミュンヘンに行って、学校に受け入れられたんです。その後、教授がヴィム・ヴェンダースに、映画についてレクチャーを行うようオファーをしたんです。そいう意味で僕はとても幸運でした。
学校で教えることになった彼は、教壇に立ってどうしろこうしろと教えるということはやりたくなかったようです。そしてその時の彼の天才的な考えで「これからベルリンに行って一緒に映画を撮ろう」というということになりました。プロジェクターの発明家についての映画を撮るということになったんですが、そこで、昔のカメラを使って映画を撮るという素晴らしい体験をすることができました。彼と映画を撮るということもあり、私にとっては天国のようでした。しかもベルリンでです。
映画『ラスト・タンゴ』より © WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion
それ以来、先生と生徒というかたちでいい関係を築いていきました。そして『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(2000年)の続編を撮るという話が出てきた時、彼自身は監督したくないということで「やるかい?」と僕へ声がかかりました。期せずして、キューバ音楽家たちのライブが東京で行われることになり、それを記録して『ミュージック・クバーナ』(2004年、ヴェンダースが製作総指揮を担当、ヘルマン・クラルが監督を務めた)という形になっていったわけです。
今回、この映画の共同プロデューサーを探していろんな人にコンタクトを取り、もちろん彼にもコンタクトしました。そして彼にトレーラーをみせたんです。彼はその時『Every Thing Will Be Fine』という映画で忙しかったためプロデューサーにはなれないとのことだったのですが、エグゼクティブ・プロデューサーでなら参加しようとありがたい申し出をしてくれました。私はとても誇らしく、光栄に思い、もちろん素直に受け入れました。
映画『ラスト・タンゴ』より、マリア・ニエベス © WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion
──最後に、あらためて今作上映にあたっての気持ちを教えてください。
これはマリア・ニアベスとフアン・カルロス・コペスという、タンゴカップルとしてはブエノスアイレスでトップにいる人たちを扱っている映画です。4年かけてこの映画の完成にこぎつけました。ブエノスアイレスの最高のトップダンサーたち、最高の振付け師たちを集めてこの映画を作ることができました。この業界で最高の人たちが集まって、この映画を撮ることができたのです。ダンスは日本でもとても重要な役割を持っていると思います。皆さんがこの映画を楽しんでくれることを望んでいます。そして、この映画の感想を、私にいつかなにかのかたちで教えてくれたらとても嬉しいです。東京の街を歩いている時なんかでも、もし僕を見かけたら声をかけて感想を聞かせてください。
(2015年10月、山形ドキュメンタリー映画祭来日時に取材したオフィシャル・インタビューより)
ヘルマン・クラル(German Kral)
1968年、ブエノスアイレス生まれ。1991年にドイツに渡り、ミュンヘン テレビ・映画大学で映画を専攻。1993~96年にヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリンのリュミエール』(未/95)に参加。卒業制作の『不在の心象』(未/98)はアドルフ・グリンメ賞にノミネートされ、日本の山形国際ドキュメンタリー映画祭で大賞を受賞したほか、バイエルン映画祭にて若手ドキュメンタリー賞を受賞した。ヴィム・ヴェンダースを製作総指揮に迎えて制作された『ミュージック・クバーナ』(04)はベネチア国際映画祭でワールドプレミア上映され、世界中で公開。ドイツ、アルゼンチン、日本共同製作となった『EL ULTIMO APLAUSO』(未/09)は、ミュンヘン国際ドキュメンタリー映画祭でバイエルン州映画映像基金のドキュメンタリー・タレント賞、およびミュンヘン市の新人映画賞を受賞した。現在は一児の父となり、ミュンヘンとブエノスアイレスを行き来する生活をしている。
映画『ラスト・タンゴ』
7月9日(土)Bunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー
映画『ラスト・タンゴ』より、青年時代のマリアを演じるアジェレン・アルバレス・ミニョ(左)、青年時代のフアン役のフアン・マリシア(右) © WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion
伝説のアルゼンチン・タンゴペアで、世界的なタンゴの普及にも貢献したマリア・ニエベス(80歳)とフアン・カルロス・コペス(83歳)。14歳と17歳で出会い、時には愛にあふれ、時には憎しみを伴い、50年近くも一緒にダンスを踊ってきた彼らが歩んだ愛と葛藤の歴史。二人の証言や美しい再現ダンスシーンを通して、 官能的で情感に満ちたタンゴの魅力が映像に焼きつけられる。
製作総指揮:ヴィム・ヴェンダース
監督:ヘルマン・クラル
出演:マリア・ニエベス、フアン・カルロス・ロペス、パブロ・ベロン、アレハンドラ・グッティ、フアン・マリシア、アジェレン・アルバレス・ミニョ
2015年/ドイツ・アルゼンチン/85分
原題:Our Last Tango
公式サイト:http://last-tango-movie.com