骰子の眼

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2014-12-10 23:00


自分による、自分のための、自分ガイド☆2014年12月版☆

メディスンカードで、あなたと全体の現状&方向性をリーディング!!
自分による、自分のための、自分ガイド☆2014年12月版☆

みなさまごぶさたしております。
いかがお過ごしでしょうか。
なんとなく恒例の12月、年内にやっておきたい〜来年に向けて☆的なやつです。

よく季節感が失われた、とかいいますけどやっぱり11月からサンタとか出てたらそりゃ失われもするというか単純に早くないすか? と思いますよね、そんなわけでまだ12月感もない、と言いつつそれってどんな感じなのか、とかね、めんどくさくなるのでやめますけども、とにもかくにも今年もまあずいぶんダイナミックというかエキサイティングな年だったなあと思います。
そして、残りわずかとはいえ、まだまだ結構変わるひとは変わるでしょうな、それもわりと大きく、という感じがしています。

たしかに年の終わりはじまりの前という時節柄、変わり目のときではあるけれど、それにしても漂ってる雰囲気、“そういう感覚”ってよくわからない、というひとでもなんとなく昨今の変化とかちょっとちがう感じがするとか気づいてると思うんですよね、で、たいてい見方を限定してるだけで、実はすごいいろいろ感じてたりする。同じように感じてないからだめ、とか、こういう感じ、という具合に決めてしまってたりして、そこにあてはまらないからちがうだろうとかね。

来年こそは、と思ってる方とか、みえてこない、何か焦りを感じているといった方がどのくらいいらっしゃるかわからないですけど、自分のことでいっぱいいっぱい、と思ってもやっぱりどうしても全体とのかかわりは切れないわけで(というか実のところ周囲の動きに無条件に反応して怒ったり不安になったり行動したりしなかったりしてるんですよね)、ミクロだけみててもみえきらないことが多いと思うのです。

たとえば年末なのでこれから大掃除をされる方もいらっしゃるかと思うのですが、それも結局は自分の周囲、部屋や家という環境と呼応してますよね、そんな具合に、一個人のそれと周囲、全体ってやつは、結局つながってる、というか一部でありそれ自体。
個をみるから全体がみえてくるし、全体をみるから個がみえてくる。
そういった諸々を含めて、個と全体の要望、方向、みたいなことをテーマに、12月23日(火・祝)に、ひさしぶりにワークショップをします(詳細はこちら)。

年末の折、ご自分の模様替えとかメンテ感覚、そしてちょっと濃い忘年会感覚で、いらしていただければと思います。

というわけで、いきましょう。


今年の3月のこの連載更新時に「今年も行きたいっす」って書いたんですけど、夏に思いがけず行くことができました伊勢、今回はそのときに撮った伊勢神宮の木! やっぱりほんとにいい、最高にいい、いますぐ行きたい気持ちでいっぱいです。

そして今回は前回とか一年前に出たのと同じやつとかがまた出た&↓の「全体のメディスン」は奇しくもワークショップのテーマに関連する感じのが出ました。まさに個と全体の感じでみていただけるといいんじゃないかと思う次第であります。

では、Let's medicine☆.。.:*・゚゚



使い方は、あなたの自由!!

使い方ガイド

*ベーシックな使い方
ぴん、ときた画像をひとつ選んでクリックしてください。
そこに書かれているテキストが、あなたのガイドになります。

*自由な使い方
・いま、知りたいことをイメージしてクリック!
・恋愛、仕事、健康など、自分で決めたテーマごとにクリック!
・毎朝、起きたときに今日1日をイメージしてクリック!
・全部クリックして、好きなテキストを選ぶ!
など、自由に、フレキシブルにつかってください。

また、「全体のメディスン」も組み合わせてみてください。

▼直感でクリック!(1クリックでテキストが開き、再度クリックで閉じます)

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▽この画像を選んだあなた

信頼すること、閉ざさないこと、構えるならゆったりと。
信じられないというとき、信じたくないほうを信じている、それはつまり望んでいる方向へ続く通路を閉ざしているのと同じ。
結局のところ、ひとはみんな、信じてはいるんです。ただそれがどちらか、というだけ。

「果報は寝て待て」ということわざがあります。メッセージはまさにそれなのですが、ただ寝て待てる方はどのくらいいるでしょう。
小さいころから何かにつけて我慢を強いられてきたわたしたちに、それはちょっと難しいかもしれない、けれども欲しいものを前に耐え、嫌な状況に耐え、おなかがすいて耐え、不安に耐え、耐えて耐えて耐え抜いたところで報われるわけでもないことくらいとっくにわかってる、それでも必要なんでしょうか。だとすれば、何故?

寝て待て、というのはもちろん喩えです。それは何をしててもしなくても同じだけ時間は過ぎるし、焦れば焦るほど不安は増量し混乱するばかりだし、じたばたしたところでどうにもできないのならこまけえことはいいじゃねえか、みたいなことです。

って開き直ったらなんだかすっと道が開くようにあれよあれよと進んでいったり、シンクロニシティが多発してなんもしなくてもいい感じになったとか、その背後にあるのはそういった構えであり、結局のところだいじょうぶなのだ、という深い信頼なんですよね。


▽この画像を選んだあなた

肉体を切れば血が流れるように、思考には限界があります。はっきり申し上げると、いくら頭で考えても、見つけることはできません。それならば…と対象をぶっ壊したり、蓋をして見ないようにしても、姿を変えてまた現れますし、いままでも現れ続けてきたことと思いますし、これからも続くだろうと思います。

過去を教師にした推測も計算もいらない、誰かの思考や経験、だってそういうもの、根拠のない掟。頭、経験値、感情、むしろ捨ててしまってください。ましてや他者の存在、運命とかいうもの。そうしたものこそを宇宙の彼方にぶん投げて、あなたのスペースを開く、飛び込む。

だめだ無理、ぶっ壊す、諦める…限界いっぱいの自分…これは思考が織りなす単なる物語であり、あなた自身、本体ではない。そうしたすべてをぶん投げて、あなたはあなた自身のスペースに身を預けてしまってください。

魔法、と思ってください。
善も悪も良いも悪いも、いつだってあなたの望むことが“外”にあらわれています。


▽この画像を選んだあなた

一日でいいので、「判断をくださない」というゲームをしてみてください。たとえば「自分にダメ出しするのをやめてみる」とか、「確認する前にこうにちがいない」と決めつけないとか。
やってみるとわかると思うんですけど、これ結構難しいです。

でも、ほんとは、すべてのことはニュートラル。善も悪も簡単にひっくりかえるのはどちらも誰かの“判断”だから。国によって決まりが変わるのもそう、価値観がそれぞれちがうのもそう、だめだと言ってもやるひとがいるのは、“正しさ”が真実ではなく“判断”にすぎないから。そもそも最初から装飾を通した目で、いったい何がわかるというのでしょう。

すべてをジャッジせずにみることはきびしかったりこわかったりするかもしれないですけど、その背後は「自由」といった“制限”などではおさまりきらない限りのないひろがり、広大さであることに気づくと思います。


▽この画像を選んだあなた

自由自由というけれど、なんだかんだいって人間は制限が好きなんでしょうなと思います。あれだめこれはそういうもの自分は認めない、って、認められないとどうなるんすかね…。

他人や何やらに制限を課すことは同時に自分をもそこに縛りつけることですよね、だから腹も立つし全部ぶっこわしたくもなる、ダムが決壊するがごとく、そりゃあそうですよ、キャパをわざわざせまく設定してるんですもん、あふれちゃうよこわれちゃう。

せきとめずにそれを、それらを自由にさせてやってくだされ、自分もらくになりますし、むしろ勝手に開かれていく、なんだかんだいって阻んでいるものはその“枠”ですもん、それをただはずしてゆるめてやることでむしろ苦しくなるとしたらそれはなぜだろう。

はずすことで流れます。
そこにただ船を浮かべるようにして。
もう、結構前から、待たれているんじゃないでしょうか。


▽この画像を選んだあなた

火事場の馬鹿力、書いてみるとあらためてすごい言葉だなと思いますが、この馬鹿、というのは考えてない、常識的じゃない、想像を超えてるみたいな、いってみれば奇跡的な力のことですよね。
けれど、ふってわいたように一瞬与えられて失ってしまうわけではなく、どんなひとにも等しく潜在している。そしてピンチのときや、たまたまとかではなく、ほんとうは常に出すことのできる力。

合気道に近いんじゃないかと思います。力づくでは倒せない、腕力ではないんです、攻撃でも抵抗でもなく、計算でも論でもない、説明はいつでも後付けであって、的確にあらわせる言葉はないでしょう。

受け容れることと預けゆだねまかせることは、同じだと思います。これはわたしの印象ですが、合気道は相手を受け容れ、自分を預け、ゆだね、場にまかせる感覚。火事場ではなくとも、身長150cm足らずのわたしが170cm以上の男のひとを、ふわりと宙に浮かせることができるのです。

意図と共振、響き合い、動く、という感覚。
力、というよりもそれは、愛、に近いんじゃないでしょうか。

※2014年後半のときにも出たメディスンです。もし同じものを選ばれた方、“統合”“融合”について意識してみてください。


▽この画像を選んだあなた

決めたいのかもしれません。
そのためにも、あるいは確かめるためにも、いやそのどちらにもとらわれず、いまはただただご自身に両手両足を思いっきりひろげられるスペースを与えてあげてください。 折しも年末、南の島とかどうですか、温泉でもいいですし、水と、緑や土、そして清潔ですべすべとしたここちよいシーツ、携帯もネットもとりあえずオフにしてみてはどうでしょう。
なんの干渉もなく自分でいられるところ、日常のあれこれから遠ざかれる場所、頭を文字通りからっぽにできる空間。

以前、プールでねこに泳ぎを教わる夢をみたことがあります。わたしは息つぎが下手なのでクロールができないのですが、ばしゃばしゃやってるわたしにねこは言いました。「もがくと沈むよ」。

どうぞ、しばらくゆったりされてください。
自分本来の“軽さ”を取り戻して。

※2014年後半で「キーワードはクリア」というやつを選んだ方、いったん、ポーズボタンを押す感覚でブレイク入れてみてください。こころのリゾート休暇、みたいな感じです。


■「全体のメディスン」(2014年12月)

ときどき、列車の線路ががしゃん、と切り替わるような感覚をおぼえるときがあります。
最近、まさにそんな感じ。よく転機とか変化の時期、といったりしますけど、いまはいわゆる個々の人生の中の、というよりももっと全体的なそれ、という感覚です。

全体的、といってもわれわれはその一部であるわけで、影響されないわけはなく、というか万華鏡とかが近い気がするんですけど、本体がまわると中にあるきらきらも動くじゃないですか、あんな感じ。

あるいは細胞。
細胞ひとつひとつの動きによって身体全体に変化が起こる。
ウィルスが侵入してきたら白血球だの血小板だのいろんなものらがそれに伴った動きをするわけで、身体もあうあういいながらその局面を超えてく。

で、万華鏡も肉体も、別のかたちに変わるときは混乱の状態にあるようにみえるじゃないですか、細胞とかきらきら的にはただ各々の動きなわけですけど、その全状態を眺め、二元にもとづいて“判断”するならば「混乱」とか「混沌」、“感情”であらわすならば「苦しい」とか「わけわかんない」とか「いやだ」とか、もしかすると「興奮」「エキサイティング」と感じるひともいるかもしれない。

どちらにしても、“呼吸”して、整えてください。
いまのこの状態がどんなであれ、どこかズレた感じや興奮もまた状態としては過剰だし、つまりいつでもニュートラルであること、ここちよくあなた自身にくつろげるあなたであること。

実際、呼吸が浅くなってることってすごく多いです。
自分、ほんとに息してんのか、とあらためて驚くほどかすかだったりすることが。

リズム、です。あなた自身の。


それではまた☆
読んでくれてありがとう。
ワークショップ、よかったらきてみてね。
素敵な12月を☆☆☆



ananya

■ANANYA(アナンヤ)PROFILE

'93年にネイティヴ・アメリカンの智慧を集約した「メディスン・カード」に出会い、それを元に自らカードを作成、ライフワークとして都内カフェ、雑貨店およびイベント等でリーディング・セッションをはじめる。「SONIC PLATE」暫定運営。タケ・ロドリゲス&ヒズ・エキゾチック・アーケストラにヴォーカリストとして参加。その他、チベットのマントラなどをモチーフとした手芸作品「prana」など。

ANANYAのサイト
・webDICEのANANYAのページ


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