骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2014-06-25 22:47


ホドロフスキー23年ぶりの新作は社会や歴史に囚われた人を開放する「心の治療」の映画

「『リアリティのダンス』で私はバラバラだった家族を団結させ、子供の頃に欲しかったものを実現させた」
ホドロフスキー23年ぶりの新作は社会や歴史に囚われた人を開放する「心の治療」の映画
アレハンドロ・ホドロフスキー監督 写真:西岡浩記

チリの映画作家アレハンドロ・ホドロフスキー監督(85歳)の新作『リアリティのダンス』が2014年7月12日(土)より、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開される。現在公開中のフランク・パヴィッチ監督の『ホドロフスキーのDUNE』では、未完に終わったSF大作『DUNE』の顛末を語った監督が、その『ホドロフスキーのDUEN』で再会したプロデューサー、ミシェル・セドゥーを迎え、故郷であるチリの町トコピージャで撮影を敢行。1920年代軍事政権下のチリで権威的な父と元オペラ歌手の母と暮らすアレハンドロ少年が世界と対峙する姿を、現実と空想を交錯させ描いている。公開にあたり、ホドロフスキー監督が完成までの経緯や、家族をキャストやスタッフに迎えた理由について明かした。

私はこの映画の中で自分が誰だったのかを探し出した

■23年ぶりの新作

私は映画以外の、詩やコミック、サイコマジック(監督が提唱する独自の心理セラピー)の発明などで、23年間創造することを止めませんでした。23年間映画を作らなかった理由は、映画的に言うべきことがなかったからです。私は商業映画監督ではなく、映画で生活しようと思ってはいません。もしそれなら毎年一本映画を撮らないといけなくなってしまいます。誰もが毎年新しく言うべき事を持っているとは思えません。『ホーリー・マウンテン』から『サンタ・サングレ/聖なる血』まで6年掛かりました。『ホーリー・マウンテン』が終わった後、自分の中に何も残りませんでした。『DUNE』の時もそうです。企画だけでしたが全て吐き出しました。

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映画『リアリティのダンス』より

■何故今自伝を作ったのか

この作品は自分の人生をベースにした物語です。もし、私の人生が本物だと証明されれば、全ての人たちの人生も本物なはずです。子供の頃の傷は誰にでもあるものです。この物語は多くの人に共感してもらえると思います。これは、心の治療のようなものなのです。
私は過去は変えられると思っています。過去というのは主観的な見方だからです。この映画では主観的過去がどういうものか掘り出して、それを変えようと思ったのです。
例えば、撮影をした故郷のトコピージャの家の前の通りは、子供の頃、私にとって巨大な道でした。しかし、実際はせまく小さかったのです。
少年時代、私はとても苦しみました。でもそれは主観であって事実ではなかったのです。本当に起こったことではなく、子供から見た主観の解釈なのです。
この映画で重要だったのは、両親を再構築した事です。母は胸が大きかったので、胸の大きな女優を、子供の頃の主観で選びました。母はオペラ歌手になりたかったのですが、両親に反対され、店の売り子になってしまいました。抑圧されたアーティストです。ですから私は映画の中で彼女をオペラ歌手にしたのです。このように映画の中で自分の思い出を変える事で、打ち拉がれた母ではなくオペラ歌手の母を再構築する事ができたのです。それは、自分の魂にとっても良い事でした。父親もそうでした。抑圧的だった父を、映画の中で人間的な父親にしたのです。そして、バラバラだった家族を団結させ、子供の頃に欲しかったものを実現させました。
人はみな、自分の思った通りに行動しているわけではなく、「他人にこう思われたい」と思って行動しているところがあると思います。社会や歴史、家族などに囚われ、思うように生きられないことがあります。ですから私は映画の中で自分が誰だったのかを探し出したのです。

『リアリティのダンス』ブロンティス・ホドロフスキー
『リアリティのダンス』より

私映画は単なるエンターテインメントではなく、一つの経験だ

■故郷、トコピージャ

当時、両親が店を構えていた通りで撮影を行ったのですが、通りも街も当時と同じ、80年前と何も変わっていませんでした。父の店は火事で消失していましたので映画のために再建しましたが、それ以外は全て一緒でした。映画の中で少年が髪を切るシーンの、日本人の散髪屋さんも昔から変わらずあったものでした。
トコピージャは鉱山の街で、公害による空気汚染がひどく、しかも当時はアメリカの経済不況の影響を受けていました。鉱山の採掘でダイナマイトを使うので手足を無くす人がいる。そこで使えなくなった人がトコピージャに来るわけです。ランプに入れるアルコールを飲んで中毒になっている人も多くいました。
非常に貧しい場所で、電力会社が海を汚染しているので死んだ魚が上がってきます。鳥と貧しい人が魚を取り合っている。そういった、当時目にした風景を美的感覚で作り上げました。売春婦がいるパーティーのシーンもそうです。トコピージャは娼婦でもっていた町とも言えます。鉱物を運ぶ水夫さんがそこに来るわけです。

■家族の癒し

私は95年に事故で三男のテオを亡くしました。その時私のエゴは崩壊し、恐ろしい現実に直面したんです。テオを慕っていた末っ子のアダンがテオが亡くなったのと同じ歳になって、この映画を作ろうとしました。テオが亡くなっていなかったらこの映画は出来ていなかったと思います。
この映画では、長男ブロンティスが、私の父親を演じています。そして次男クリストバルが行者の役で出演し、私の“師”となっています。アダンは、アナキストの役で出演しています。しかもこの物語を私が実際生まれた街で撮影するのですから、演じる息子たちにとっても深い心理的な経験にもなると思ったのです。私にとって、ただストーリーを語るものではなく、心理的な精神分析や心理的な経験が伴うのが映画です。今回の作品では息子を中心におく事で、重要な要素をそこに封じ込めました。

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映画『リアリティのダンス』より

■過去作品と今

『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』を作った頃、私の人生は私だけのものだと思っていました。まだ私の中に寛容さが無かったと思いますし、選ばれた観客にたいして芸術を作っていたと思います。人生でいろんなことが起こると、この世には自分以外に他の人達も存在するのだという事に気付きます。人間というのは一人であると同時に色んな人間が集まって出来ている。日本人の方にはよく分かるかもしれませんが、古くから日本で言う「我」は集団の我です。西洋の世界では人間一人対世界という風に見ます。それが本当の事ではないことが段々と分かってきました。ほとんどの芸術家は自分自身のことを語ります。私はある瞬間から自分のことではなく、他の人全員の事を語ろうと思いました。年齢を重ねていくにつれ、芸術に対するビジョンが変わりました。これまではたくさんのメタファーを用い、直接的には物語を語りませんでしたが、本作は直接的に描きました。映画は単なるエンターテインメントではなく、一つの経験だと思います。まるでおじいさんが孫に話をするように、私は円熟の人生をみなさんに語りかけるように映画を作ったのです。
芸術というものは寛容、誠実、正直であるという事を今感じています。若かった頃は成功を求め、良いものを食べたり良い物を持つ為に映画を作りたいと思いましたが、今は全くそう思う事は無くなりました。もう何も必要ないのです。私の為だけでなく、みんなの為の寛容な芸術を作ろうとしています。

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映画『リアリティのダンス』より

■『リアリティのダンス』というタイトル

人生で起こること、この世に存在するものは全ていろんな形で繋がっています。ただ、その中で何が原因で何が結果だということは分からない。もしあなたが意識的になれば、常に瞬間、瞬間で、世界は、人生は変化している事、ダンスをしている事が分かります。あなたも、周りも、全てダンスしているのです。花が開く瞬間も、死ぬ瞬間も、退化していくことも、昼が来て夜が来ることも、ダンスだと思うのです。ですから『リアリティのダンス』というタイトルをつけました。
私は毎朝起きると、生きていることに幸せを感じます。そしてもう一本映画を撮ろうと思うと、より大きな喜びを感じます。私の中の“リアリティのダンス”は何かを作り上げることです。芸術だけでなく何か他のものでもそうです。あなたがリアリティのダンスを理解できれば、何も怖いものはありません。

(『ホドロフスキー新聞 VOL.3』より)



アレハンドロ・ホドロフスキー プロフィール

1929年2月17日、チリのボリビア国境近くの町トコピージャで、ロシア系ユダヤ人の子として生まれる。サンティアゴ大学で心理学・哲学を学んでいたがマルセル・カルネの『天井桟敷の人々』に感動し、パントマイムにのめり込んだ後大学を中退。1953年にフランスでマルセル・マルソーと出会い戯曲を共著、パリでの学生時代にはトーマス・マン原作で実験映画を撮り、ジャン・コクトーに絶賛を受ける。1967年、メキシコに移り、フェルナンド・アラバールの原作で処女作『ファンド・アンド・リス』を完成。続く1970年に代表作『エル・トポ』を発表する。「エル・ジン」というスペイン語圏の映画を扱うミニシアター系映画館での深夜上映で、噂が噂を呼び大ヒット、映画を観たジョン・レノンが虜になり、『エル・トポ』と次作の『ホーリー・マウンテン』の配給権を45万ドルで買い取ったという逸話もある。1973年に『ホーリー・マウンテン』を発表。1975年4月まで続くロングランを達成する。1975年、ミシェル・セドゥーのプロデュースによりフランク・ハーバートのSF小説『DUNE』の企画をスタート。イギリスの画家クリス・フォスやフランスのコミック作家メビウス、画家でデザイナーのH.R.ギーガー、後に『エイリアン』の企画、脚本を手がけたダン・オバノンを特殊効果のスーパーバイザーに配し、ミック・ジャガー、サルバドール・ダリの特別出演もかなったところで、金銭面の問題からプロジェクトが頓挫してしまう。1980年、インドを舞台にした『TUSK』(日本未公開)を製作。1989年、『サンタ・サングレ/聖なる血』を発表。1990年、ピーター・オトゥールとオマー・シャリフ出演のスター大作『The Rainbow Thief』(日本未公開)を発表。1980年以降、バンド・デシネ(フランスのコミック)の原作者としてメビウスと『アンカル』を、フアン・ヒメネスと『メタ・バロンの一族』などを共作。現在も複数のタイトルを並行して書き続けている。また、サイコマジックやタロット・リーディングの活動もしている。2013年、本作『リアリティのダンス』を発表。2014年現在、次回作『フアン・ソロ』の製作準備中。




ホドロフスキー新聞
THIS IS ALEXANDRO JODOROWSKY

多くのクリエイターに衝撃と影響を与えた映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキーの魅力に迫るフリーペーパー、通称"ホドロフスキー新聞"は、全国にて配布中。PDFでもダウンロードすることができます。
http://www.uplink.co.jp/jodorowsky/

ホドロフスキー新聞vol.3



『ホドロフスキーのDUNE』
新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほかにて上映中、全国順次公開

監督:フランク・パヴィッチ
出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H.R.ギーガー、クリス・フォス、ニコラス・ウィンディング・レフン
(2013年/アメリカ/90分/英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語/カラー/16:9/DCP)
配給:アップリンク/パルコ
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dune/

公開記念イベント連続開催決定、詳細は下記より
http://www.uplink.co.jp/jodorowsky/news/





『リアリティのダンス』メイン写真
『リアリティのダンス』より

『リアリティのダンス』
2014年7月12日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンク、キネカ大森ほか、全国順次公開

監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー
出演:ブロンティス・ホドロフスキー(『エル・トポ』)、パメラ・フローレス、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー
音楽:アダン・ホドロフスキー
原作:アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(文遊社)
原題:La Danza de la Realidad(The Dance Of Reality)
(2013年/チリ・フランス/130分/スペイン語/カラー/1:1.85/DCP)
配給:アップリンク/パルコ
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dance/


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