骰子の眼

cinema

2014-05-19 16:30


池内紀さんと豊崎由美さんによる『ドストエフスキーと愛に生きる』アフタートーク

「ガイヤーさんのドストエフスキー訳は、名訳の例にもれず、わんぱくで大胆な翻訳です」(池内)
池内紀さんと豊崎由美さんによる『ドストエフスキーと愛に生きる』アフタートーク
KBCシネマでの映画『ドストエフスキーと愛に生きる』アフタートークに登壇した池内紀さん(写真左)と豊崎由美さん(写真右)。

ドストエフスキーの新訳でドイツ文学界に旋風を起こした女性翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーさんの数奇な半生を追った、全国順次公開中のドキュメンタリー映画『ドストエフスキーと愛に生きる』。去る4月5日(土)、福岡市のKBCシネマで、ドイツ文学者の池内紀さんと書評家の豊崎由美さんをゲストに迎え、アフタートークが開催された。ガイヤーさんの出身国ウクライナの時代背景について、カフカ小説全集を訳した池内さんの考えるカフカ作品の“5頭の象”について、名訳といわれる翻訳についてなど、1時間以上にわたる充溢したトークとなった。

(主催:西南学院大学 学内GP「ことばの力養成講座」)


スターリニズムとナチズムという2つの全体主義に引き裂かれた女性


豊崎:私は“海外文学応援団長”を勝手に名乗っているくらいのガイブン好きで、ここ6年間ほど偶数月に、ゲストを招いて海外文学の楽しみをお伝えする“読んでいいとも!ガイブンの輪”というイベントも開催しています。自分は語学がまったくできないので、こうして海外文学を読めるのも、翻訳家の方がおられてこそで、私が世界で一番感謝している職業は翻訳家です。今日は、その翻訳家である池内紀先生に、翻訳家が主人公のドキュメンター映画についてのお話をお聞きします。池内先生は、以前からスヴェトラーナ・ガイヤーさんのことをご存知だったそうですね。

池内:私はドイツ文学をやっているものですから、洋書を取り扱っている書店でドイツの『シュピーゲル』という週刊誌をたまに買うことがあります。その『シュピーゲル』のある号で、白髪のきれいなおばあさんについて4ページほどの記事が載っていたことがありました。ドストエフスキーの翻訳者で、しかも5大長編[『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』=ガイヤーさんが呼ぶところの“5頭の象”]を訳し始めたのは65歳からと書いてあった。「すごい人がいるもんだ」と思いました。彼女が10代の頃のモノクロ写真と、現在の白髪の写真が並べて掲載されていたのですが、どちらの写真も本当にいい顔をしていました。この映画のドイツ語原題は『5頭の象を伴った女性[Die Frau mit den 5 Elefanten]』といいますが、不思議なタイトルだなというのもあって、たまたまその記事を切り抜きしていたんです。

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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。ウクライナ出身のドイツ語翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーさん。

豊崎:この映画と池内先生はそういったご縁があるんですね。実際に映画をご覧になっていかがでしたか?

池内:僕にとって興味深かったのは、ガイヤーさんがドイツに来る前にウクライナで、1930~1940年代始めのスターリン体制の時代と、ナチス・ドイツ占領下の時代の両方を経験していることです。スターリン体制下においてもウクライナは実に厳しい現実を経ていて、2000万人ぐらいが逮捕されています。

豊崎:農場主だったガイヤーさんのお父さんも逮捕されて、1000人の釈放者のうちの1人ではあったけれども、結局、拷問の後遺症で1年半後に亡くなられてしまったんですよね。

池内:スターリンは、工業を発展させるために食糧輸出で外貨を得ようと、農民をコルホーズ=集団農場に組み入れる政策を取り、効果的に農作物を収奪しようとしました。しかし当然ながら農民たちは、先祖代々の土地を手放すことを承知しません。そこでスターリンは、ウクライナに収穫高の4割を供出することを定め、圧政による大飢饉が起こり、実に悲惨な状況が続いたわけです。そのためウクライナでは、ナチス・ドイツ軍がめずらしく歓迎されたんです。

豊崎:解放軍のごとく迎えられたんですね。

池内:ガイヤーさんがドイツへ来て、由緒あるフンボルト奨学金を手にするまでには、ウクライナでのそういったスターリニズムからナチズムに移行していく時代背景があったわけです。

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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。少女時代のガイヤーさん。

豊崎:ガイヤーさんは、スターリン体制下で父を失い、さらに親友がナチスに殺されます。彼女の恩人であるナチの将校が親友を殺した人物ではないか?と監督が問いかけるシーンで、ガイヤーさんはすごく苦しそうな表情を見せます。この映画に出演することによって、彼女は辛い過去と向かい合わざるを得なかったのですね。

池内:そのシュピーゲルのインタビュー記事の冒頭で、「この映画の話がきたときに、どう思いましたか?」という質問を投げかけられて、ガイヤーさんは「私は見えない存在だから、映画出演などできるわけないと思った」と答えていました。これはもちろん、自分を消して小説を他言語に移し替える翻訳家という特殊な職業について語ってもいるわけです。87歳のおばあさんが実に正確に自己規定している、しかも大変に鮮やかな言葉で。なかなかの人だなと思いました。

豊崎:彼女の言葉の鮮やかさについては、ヴァディム・イェンドレイコ監督もインタビューで語っています。「彼女が話す言葉のひとつひとつが光っていて、的確に言葉を選ぶさまは、まるで芸術のようだった」と。それから、冒頭のシーンで橋が映りますね。彼女が65年ぶりに故郷キエフを訪れる場面でも出てきますが、おそらく橋は、監督が考える翻訳家の象徴であり、2つの全体主義に引き裂かれた彼女の象徴でもあるんだろうなと思いました。

池内:彼女は1923年生まれですが、この世代は物心ついて勉強を始めた頃にナチズムにぶつかって、やっと生きのびて戦後デビューしようとすると、歳を取りすぎていたという、非常に運の悪い世代です。その分、自分に対する見方、自らの仕事に対する見方が大変に厳しい。

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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。孫娘とともに65年ぶりに故郷キエフへ向かうシーン。

従来のドストエフスキーの解釈にアンチテーゼを提出した翻訳家


豊崎:池内先生はカフカの全集訳を手がけられていますが、カフカの作品の中から“5頭の象”を選ぶとしたら、どれになりますか?

池内:まず3つの長編『失踪者』『審判』『城』は、どれも未完で終わりがない作品で、20世紀を代表する小説だと思います。“未完成”というと劣った作品のように捉えられますが、終わりがないことによって終わる、あとは読者が想像しながら創る小説こそ、僕は今この時代の小説ではないかと思います。

豊崎:“象”という意味は長さだけではなく、深さもあると思うのです。長編3作の他にあと2作、カフカの“5頭の象”はどれになりますか。

池内:『流刑地にて』という短編、それと『変身』ですね。『変身』は、ある朝、起きたら虫になっていたセールスマンが、虫になっていたことを不思議と思わず、むしろ目覚まし時計の音を聞き過ごしてしまったことに驚く。つまり仕事の虫だという点が非常におもしろい部分です。

豊崎:私は池内先生の訳を読むまで、『変身』が笑える小説であることに気づきませんでした。実際、カフカは妹たちに、自分の書いた小説を笑いながら読み聞かせていたそうですね。

池内:ドイツなどでは、本は目で読む以上に耳で読む、つまり誰かの朗読を聞いて意見を言う伝統があります。この映画の中でガイヤーさんも訳文を朗読してもらっていますが。カフカが虫になった男の物真似をしながら読み聞かせている途中、おかしくて吹き出してしまい後がなかなか続かなかったというエピソードを、カフカの友人たちも書き残しています。だから本人は相当おもしろく書いたつもりだったと思います。ただ、『変身』が日本に紹介されたのが戦後、実存主義が風靡していた時代で、「カミュやサルトルより30年も前に、実存主義が小説化されていた」というふれこみだったため、一度定まったその堅苦しいイメージがなかなか直せなかったんですね。

豊崎:それを池内先生の訳が覆したわけですね。

池内:ガイヤーさんによるドストエフスキーの訳がドイツで大きな反響を呼んだのは、それまでのドストエフスキーの解釈に対するアンチテーゼが提出されたからです。これまでの読み方を疑わせるほど、非常に新鮮な翻訳だったんですね。『罪と罰』という題は、ドイツ語でもそれまでずっと『罪と罰』だったんですが、彼女は『罪』を『犯罪』、罰を『罰則』と訳した。つまり宗教的な意味合いを断ち切り、純粋に「罪を犯したからには罰則を与えられる」という題にしたことで、この小説に新しい読み方を与えたんです。

豊崎:そういう事情があったんですか。

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池内紀さん(写真左)と豊崎由美さん(写真右)。

池内:僕は「翻訳はかくあるべし」とか、自分の翻訳理論とかがある人間ではないですが、オリジナルに動かされた体験がなければ、原作を読んで「これを日本語に移してみたい」という動機がなければ、いい翻訳は生まれないと思っています。それと、原作が持っている性格なり雰囲気なりを、自分の全人格で受け止めて解釈をするのが翻訳だと思っています。まわりくどい言い方になりますが、語学的には正確でも、とんでもなくひどい訳もありうるということです。

翻訳は、大雑把に3つに分かれる思います。1つめは、おとなしい翻訳。語学的に正確だけれど、いわば国語辞典がそのまま入り込んだような、訳書としては弱いもの。2つめは、おりこうな翻訳。これは言葉の裏の意味や、複雑な表現もきちっと捉えているけれど、どこか冷ややかで、2度3度と読みたいとは思わないもの。3つめは、わんぱくな翻訳。これが一番やっかいで、名訳と言われるものは大抵わんぱくです。とんでもないところをすっとばしていたりするような、訳者が前面に出た、個性の強い訳です。

豊崎:小林秀雄のランボオ訳みたいなものでしょうか。

池内:あれは原作に基づいた小林秀雄の創作になっていますよね。今日、会場にお越しの皆さんは若い方ばかりですが、僕らの世代は名訳を熟読していました。小林秀雄の(アンドレ・ジッド著)『パリュウド』とか、中原中也のランボオとか、堀口大學のアポリネールとか。「日も暮れよ、鐘も鳴れ/月日は流れ、わたしは残る」という(アポリネール『ミラボー橋』の)有名な一節がありますが、原文はかなり違います。

豊崎:(笑)意訳なんですね。

池内:「日も暮れよ、鐘も鳴れ」の「も」は、並列助詞なので普通は前に係りますが、あの訳詩では最初から「も」です。アポリネールが常に語っていたことは、時が過ぎて気がつけば自分がこの世から立ち去る状況にいる寂しさです。それが堀口大學の訳だけにあって他の訳にはない。つまり堀口大學が彼の個性と好みとを賭けて日本語にした2行であり、意訳だけれど原作の性格は非常に正確に捉えている。名訳としか言いようがありません。だから翻訳というのは場合によっては、自分の人格を賭けるような、危険な仕事でもあるんです。

豊崎:訳す対象になる作品にも、翻訳家の個性が出ますよね。

池内:そうですね。たとえば神西清のチェーホフや、呉茂一のギリシャ詩歌集などが思い浮かびますが、いずれも訳者の個性が強く出た名訳です。さきほども言いましたが、ガイヤーさんは『シュピーゲル』のインタビューで、翻訳者を「見えない人間」と規定していた。確かに自分を透明にすること、鴎外は“無私”と表現していましたが、それは翻訳者の取るべき姿勢です。でも同時に、この人でなければできない日本語にしなければならない。そんな、極めてやっかいな役割を引き受けるのが翻訳者です。経済的にも見合う仕事ではないですから、僕は若い人にそうそう薦めたりはしませんが、非常におもしろい作業ではあります。言語には、一方で自分を消しながら、一方で自分を出す二重性を許す力があります。映画も含め造形でそれを表すのは難しいでしょうが、言語はその点において、とても幅の広いメディアです。

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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。グロートさんと読み合わせの作業をするガイヤーさん。

豊崎:ガイヤーさんの翻訳は、さきほどの池内さんのおっしゃった分類では、どれにあたりますか?

池内:僕は一部を読んだだけですが、彼女の翻訳はわんぱくで、かなり大胆ですよ。たとえば、これまでの翻訳者が1ページ使っていた訳文を、彼女は7割くらいにしていたりします。僕自身、カフカを翻訳したときがそうでした。担当編集者に出来上がった原稿を渡したら、予測していた枚数より少ないので、彼は訳の抜けがあるんじゃないかと思って、原文に克明にあたったくらいでした。

豊崎:彼女の翻訳の方法が変わっていますね。まず、ハーゲンさんというご近所に住んでいると思われる教養豊かなおばさんが、ガイヤーさんが口述した訳文をタイプライターで打ちます。次にグロートさんという音楽家のおじさんが声に出して読みます。このグロートさんが、「ここはコンマを入れた方がいいんじゃないか」とか、自分の意見をいろいろ言ってくるんですよね(笑)。

池内:音声で聞いて、ここは一息入れた方が良い、と指摘するグロートさんの意見は正しいと思います。彼女が訳しているのは詩ではなく散文ですから、散文というのは、リズムを持たなければ単なる死物です。英語で「translate」とは“移動させる”という意味で、つまり「translator」は“移す人”です。ドイツ語では「Übersetzer」と言いますが、2つの言語を仲介する文化的運送屋です。ただし、別の言語に移すときに、その新しいメロディの中でリズムを持たせて蘇らせなければなりません。言葉はリズムがあって、はじめて命を得るからです。スヴェトラーナさんはそのことをよく踏まえた上で、あのように2人のチェッカーと作業をしている。とても聡明なやり方だと思います。

豊崎:彼女にとってドイツ語が母語ではないことが、あのような翻訳の仕方をとっている理由の1つかもしれないと思うのですが。

池内:彼女は小さい頃からドイツ語もフランス語も学び始めていたそうなので、ネイティブに近いドイツ語だったのではないでしょうか。常に大国のエゴで振り回されてきたウクライナで生き延びるために、一番重要なのは言葉だと、彼女の母親が学ばせたそうですね。見事な知恵です。日本人がいかに能天気かわかるでしょう。日本は単一民族国家だというようなことを、政治家が発言したりする。世界の政治状況の中で、その鈍感さが、もしくは鈍感を装うことが許されないことであるのは、とっくの昔に判明していたのに。

豊崎:本当に。今の状況は関東大震災の前とすごく似ているらしいんですよ。怖いなと思います。最後に、ガイヤーさんは「翻訳は憧れ」と言っていますが、池内さんにとって翻訳とはどのようなものでしょうか。

池内:訳したいものには人生でそうそう出くわしません。自分の中に求めるものがない限り、たくさん読んだからといって出会いません。ガイヤーさんはその求めるものが65歳で見つかって、それから十数年かけて5作の長編を訳した。非常に強い精神力だと思います。僕は55歳で大学教師を辞めましたが、理由が3つあって、1つはカフカを個人で訳したい、もう1つが北から南へ主だった山に登りたい、3つめはなるたけ簡素に生きたかったからです。カフカは以前から訳していましたが、新しい版権がなかなか取れなくて、本になったのは5年後ぐらいでした。やっぱり一言では、“夢”か“憧れ”といったものがありました。だから毎日、手書きで原稿を書いていく作業を続けてきましたが、苦痛だとか労働だとか思ったことはありません。異国語としてじっと止まっている言葉を動かすわけですから、言葉を使う人間からすれば大変楽しい作業です。経済的な見返りはなくても、そんなにしんどいとは思わない。ただ、「売れる本だから2カ月でやって下さい」と依頼されるような仕事は、多分それほど楽しくないだろうなと思います。



池内 紀(いけうち・おさむ)プロフィール

1940年生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。東京外国語大学外国語学部卒業、1965年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1966年神戸大学助教授、東京都立大学教授を経て1985年東京大学文学部教授。定年前の1996年に退官。ドイツ、オーストリアの世紀末文化の研究や翻訳のほか、大衆芸能や温泉などにおよぶ幅広い文筆活動をおこなっている。主な著訳書に、『カフカ小説全集』(白水社)、パトリック・ジュースキント『香水──ある人殺しの物語』(文藝春秋)、ヨーゼフ・ロート『聖なる酔っぱらいの伝説』(白水社)、ゲーテ『ファウスト』(集英社)、『池内紀の仕事場・全8巻』(みすず書房)、『恩地孝四郎―― 一つの伝記』(幻戯書房)など。

豊﨑由美(とよざき・ゆみ)プロフィール

1961年生まれ。ライター、書評家。「Ginza」「TVBros.」などで書評を多数掲載。主な著書に『そんなに読んで、どうするの? 縦横無尽のブックガイド』(アスペクト)、『ガタスタ屋の矜持』(本の雑誌社)、『ニッポンの書評』(光文社)、『文学賞メッタ斬り!』シリーズ(PARCO出版、筑摩書房/大森望との共著)、『石原慎太郎を読んでみた』(原書房/栗原裕一郎氏との共著)など。最新刊は『まるでダメ男〔オ〕じゃん!「トホホ男子」で読む、百年ちょっとの名作23選』(筑摩書房)。



映画『ドストエフスキーと愛に生きる』
渋谷アップリンク他にて、全国順次公開中

84歳の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーの横には、華奢な姿に不似合いな重厚な装丁の本が積まれている。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『未成年』『白痴』──言わずと知れたロシア文学の巨匠・ドストエフスキーの長編作品。それらを"五頭の象"と呼び、生涯をかけてドイツ語に訳した。1923年ウクライナ・キエフで生まれ、スターリン政権下で少女時代を過ごし、ナチス占領下でドイツ軍の通訳として激動の時代を生き抜いた彼女の横顔には、戦争の記憶が深い皺となって刻まれている。一人の女性が歩んだ数奇な半生に寄りそう静謐な映像が、文学の力によって高められる人の営みを描き出す。

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■監督:ヴァディム・イェンドレイコ
■撮影:ニールス・ボルブリンカー、ステファン・クティー
■録音:パトリック・ベッカー
■編集:ギーゼラ・カストロナリ・イェンシュ
■出演: スヴェトラ-ナ・ガイヤー、アンナ・ゲッテ、ハンナ・ハーゲン、ユルゲン・クロット
■製作:ミラ・フィルム
■配給・宣伝:アップリンク
(2009年/スイス=ドイツ/93分/ドイツ語・ロシア語/カラー・モノクロ)

映画公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dostoevskii/
映画公式ツイッター:https://twitter.com/DostoevskiiJP
映画公式facebook:https://www.facebook.com/DostoevskiiMovieJP




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◆名翻訳家スヴェトラーナさんにちなみ、柴田元幸さん、野崎歓さんなど、日本国内で活躍中の気鋭翻訳家9名の仕事風景をとらえた貴重な写真とインタビューを掲載

◆ドストエフスキーの新訳が大反響を呼んだ亀山郁夫さんによるエッセイ

◆平野啓一郎さん、太田直子さん、伊藤聡さんらによる、お薦めドストエフスキー作品の紹介

◆小林エリカさんによる描き下ろしイラスト

【図書コード】ISBN978-4-90072-859-2
【定価】800円(税抜)
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