映画『僕がジョンと呼ばれるまで』より ©2013仙台放送
アメリカ・オハイオ州にある平均年齢80歳以上の高齢者介護施設を舞台に、認知症の改善を目指す人々を追ったドキュメンタリー『僕がジョンと呼ばれるまで』が3月1日(土)より公開される。今作は、高齢者とスタッフが対面でコミュニケーションを取りながら簡単な「読み」「書き」「計算」を行う認知症改善プログラム「学習療法」をテーマに、日本で誕生し、アメリカで初めて実践されたこの療法に取り組む現場を捉えている。プロデューサーの太田茂氏とともに共同監督を務めた風間直美監督が、撮影の状況や演出方法などを語った。
一人ひとりの症状に配慮しながらの撮影
──撮影以前、風間さん自身は今作のテーマである認知症をどのように受け止めていましたか。
介護の大変さばかりがクローズアップされている中で、一般的な情報としての認知症は知ってはいても、家族や親戚など、自分の身近に認知症の人がいなかったので、正直、今ひとつ実感がなかったんです。撮影が決まってから、まずは自分なりに介護される側とする側の気持ちをわかりたいと思って、川島先生(「学習療法」を提唱する東北大学・川島隆太教授)の学術論文や本を読み、認知症をテーマにした映画をいろいろ見ました。日本で学習療法を実践している施設の見学にも行きましたが、自分がどういったスタンスで取材をしたらいいのか、かなり迷っていましたね。
映画『僕がジョンと呼ばれるまで』の風間直美監督
──介護施設のあるクリーブランドには、どのくらいの頻度で通ったのですか。
2011年5月から11月までほぼ毎月一回、一週間ほど密着取材を、また経過を見るため、2011年12月と2012年4月にも足を運びました。この取り組みは、アメリカで初めての学習療法の実践で、関係者の方々もナーバスになっていたので、いろいろ気を遣いましたね(笑)。最初は入居者の方の情報もほとんどなかったんです。簡単なパーソナル・データをもらったのは初回のロケが終わる頃で、それでようやく顔と名前が一致したという感じで。ただ、先入観なしに入居者の方や施設の雰囲気をじっくり観察できたのは、むしろよかったのかなと。言葉も文化も違う日本人が取材することに対して、スタッフやご家族のみなさんも、多少なりとも不安があったでしょうし、私たちも学習者やそれ以外の入居者の生活を乱したくはなかったので、ことある毎に話をうかがいました。たとえば「あの人は何かが気になると、すぐに食事を止めてしまう」という話を聞いたら、彼女の目に入らない位置にカメラを構えようとか、一人ひとりの症状に配慮しながら撮影を工夫していきました。互いの信頼関係をつくるうえで、コーディネーターの本山さんが熱心に情報を収集してきてくれて、本当に助けられました。
映画『僕がジョンと呼ばれるまで』より ©2013仙台放送
「自分らしさ」を取り戻す挑戦
──カメラで誰を追いかけるか、どのように決めたのですか。
なぜこの人を、というのは難しくて、まずは勘に頼っていました。今回は学習者が歩んできた人生について直接インタビューしたくても叶わない状況だったので、松本カメラマンがファインダー越しに感じた印象が大切でしたね。
93歳でアルツハイマー認知症のため入居しているエブリン・ウィンズバーグさんは、初回はカメラを嫌がっていたのですが、翌月行った時はこちらを意識している感じだったので、挨拶から始めて徐々にカメラを向けていって。また、お話ししたいと思って横に座った時、私の日本人的な発音の英語を理解しようと耳を傾け、応えようとしてくれて……。そんなエブリンさんだったからこそ、自分の祖母と一緒にいるような「縁」を感じられたし、彼女のおかげで取材にも自信がもてるようになりました。
映画『僕がジョンと呼ばれるまで』より ©2013仙台放送
──月に一度、定点観測をしたことで、みなさんの変化をより明確に感じやすかったのではないでしょうか。
みなさん高齢なので、体調や気分がよくないときに休むことはあっても、基本的には楽しそうに学習療法に参加していましたね。記録をお願いしたジョンやサポーターの人たちも、日々彼らの変化を感じていたそうですが、1ヵ月ごとに通っていた私の場合、さらなる驚きがありました。認知症の方々は鬱もあって、引きこもりになりがちなのですが、1ヵ月ぶりに行くと、ハイと手を振ってくれるなど、社交的になっていて……。女性の学習者は、髪をきれいにセットしたり、エブリンさんも食事の後に口紅を塗るなど、おしゃれになっていくんです。その時初めて、本来の彼女と出会ったような気がしました。女性が自立する時代を切り開いてきた彼女たちが、今度は「自分らしさ」を取り戻す挑戦を続けていることに、女性としての底力さえ感じました。残念ながら、取材中に亡くなられた学習者もいたのですが、ご家族は、“最後にお母さんをあんなに輝かせてくれてありがとう”と、本当に喜んでいました。「安全に暮らして欲しい」「生きていてくれれば、それでいい」と、日々の介護の中でいろんなことを諦めていたご家族だけに、自分を取り戻していく母の姿が嬉しかったのだと思います。
映画『僕がジョンと呼ばれるまで』より ©2013仙台放送
──当初は取材の制限もあったそうですが、記録、そしてナレーションという重要な役をこの介護施設で働く男性、ジョン・ロデマンに頼んでいます。
基本、居住エリアでの取材は、学習療法のサポーターが同行してもらえる時間に限られていて、終日密着できるわけではありません。ジョンは施設全体のメンテナンスが主な仕事なので、入居者との接点は実は少なかったのですが、高齢者と話すのが大好きという明るくてきさくな人だったので、記録係をお願いしました。はじめ「認知症についてどう思う?」と質問したとき、彼は「怖いという印象しかないな」と答えたんですよ。それが自分に近いなあと感じて、だからこそ彼に私の視点を投影できると思ったんです。もし認知症にすごく詳しい人だったら、エブリンやビー、メイの小さな変化を当たり前の経過のひとつとして受け流してしまうかもしれない。でもジョンは驚き、感動して、私たちが行くたびに自分が察知した細かい変化を丁寧に教えてくれました。実は、彼は高齢者ケアとは別の仕事を探していたのですが、学習療法にかかわって「サポーターこそが僕の天職」と、人生の方向が変わってしまったんです。
映画『僕がジョンと呼ばれるまで』より ©2013仙台放送
──撮影現場・対象がアメリカということで、編集や構成において、風間監督がこれまで制作してきたドキュメンタリーのスタイルとは違う面もあったのでしょうか。
認知症はシリアスなテーマだからこそ、わざわざ暗い面に焦点を当てた演出は初めから頭にありませんでした。むしろ「自分の名前が書けない」「孫を忘れてしまう」といった日常生活が崩れる瞬間のせつなさを、学習者やご家族、施設スタッフの「温かさ」や「笑い」の裏に感じてもらえればと。その上で、海外を舞台にしたドキュメンタリーだったので、やはり海外で見てもらえる映画にしたい、また私も海外ドキュメンタリー風の演出に挑戦したいと思い、ロケ時から構成の武田さんには相談に乗ってもらいました。
難しかったのは「どこまで説明をするのか」という点です。学習者たちの変化は一見してわかるものではないので、ついカットを長く編集してしまうんです。ただ構成のロジャー・パルバースさんに“説明の押しつけは観る人の想像を狭める”と、欧米的な視点を指摘されて、ああそういうものかと。取材の水野と2人で編集室に閉じこもりながら、編集のカットを試行錯誤しました。
映画『僕がジョンと呼ばれるまで』より ©2013仙台放送
──実際、海外での評判は高いようですね。
初受賞となったアメリカンドキュメンタリー映画際では、「観客賞」として映画のタイトルがコールされたにもかかわらず、太田さんも本山さんも初めは全く気づかないほど、私たちにとって予想外の嬉しい初受賞でした。
上映後、観客からスタンディングオベーションをいただいた時は、取材に協力してくださった方々、仙台放送の認知症取材にかかわってきた方々、映画スタッフ全員の努力が報われた気がしました。「自分にも認知症の家族がいる。希望が持てた。ありがとう」「認知症を描いた暗い映画はたくさんあるけれど、暗い面ばかり知っても仕方ない。この映画の明るさがよかった」ということばを聞いて、私たちの映画が小さくとも明るい光を観客の心の中に灯したのではないかと思っています。
この映画は認知症の全てを描けているわけでありません。けれど今や認知症が世界共通の課題であるからこそ、最期の時に一歩一歩近づきながらも、自分らしさを取り戻してゆく学習者たちの姿や、介護をする方々の温かさや笑いの中に、一片の希望を見出してくれたらと願います。
映画『僕がジョンと呼ばれるまで』より ©2013仙台放送
──実際、みなさんの症状は改善され、明るくなっています。
学習療法のいちばんのポイントはコミュニケーションが生まれることなんです。プログラムはペアの参加者にサポーターが1人つくのですが、ここで自然に会話が交わされ、横のつながりが生まれることで、みなさん徐々に社交性を取り戻していきました。驚いたのは学習者の方々だけでなく、ご家族にも変化が見られたことです。エブリンさんの娘さんは、お母さんと接している時、笑顔が多くなりました。子どもにとって親が認知症を患っていることを理解はできても、どんどん進行していく症状に心がついていかないものです。けれど学習療法によって、失われてしまった時間を少し取り戻し、進行を和らげることができる。これは私なりに感じたことですが、ご家族にとって取り戻した時間というのは、最期の時に向けての心構えの時間ではないかと。「もう一度、自分の背中を押すことばをかけて欲しい」「思い出のアイスクリーム屋に、もう一度行きたい」。そんな何気ない日常をもう一度叶えてくれる、それが学習療法なのだと思います。
(映画『僕がジョンと呼ばれるまで』オフィシャルインタビュー 公式プログラムより転載 聞き手・構成 塚田恭子)
風間直美 プロフィール
新潟県生まれ。共同テレビジョン/演出・プロデューサーとしてドキュメンタリーやバラエティー、国際共同制作番組を手掛ける。「ハイビジョン特集京都茶の湯大百科」(2008) 「浅田真央17歳の伝説」(2008) 「Jブンガク」(2009~) 「ハイビジョン特集わたしのラストオペラ」(2010)「新日本風土記」(2011~) 「セロのマジカルバケーション」(2012) 「ノバク・ジョコビッチの覚醒」(2012) 「柿谷曜一朗 覚醒の時」(2013)他、和田アキ子記念DVD 「Akiko Wada Power &Soul」(2008)フィギュアスケーター浅田真央DVD 「20歳になった氷上の妖精」(2011)を演出。仙台放送では「脳テレ」(2010~2012) 「アメリカ感動ロード」(2012)。
映画『僕がジョンと呼ばれるまで』より ©2013仙台放送
映画『僕がジョンと呼ばれるまで』
2014年3月1日(土)より東京都写真美術館ホールほかにて全国公開
平均年齢80歳以上のアメリカ・オハイオ州にある高齢者介護施設。ここに暮らす多くの方が認知症です。スタッフのジョンは施設で暮らすおじいちゃんおばあちゃんに毎日たずねます。 「僕の名前を知っていますか?」でも、答えはいつも「いいえ」。何度名前を伝えても覚えていません。そんな彼女たちが挑戦した学習療法が、彼女たちの毎日を変えていきます。それはスタッフと一緒に、読み書きや簡単な計算などをすることで認知症の改善を目指すというもの。エブリン(93歳)は認知症と診断されて2年。自分の名前も書けず、ジョンとの会話も噛み合いませんでした。しかし彼女にも大きな変化が表れます。 趣味の編み物を再びはじめ、笑顔でジョンに話しかけるようになりました。そして、かつてお得意だった辛辣なジョークまで復活したのです。
監督:風間直美、太田 茂
プロデューサー:太田 茂
脚本:武田浩、ロジャー・パルバース
技術協力:コスモスペース・オブ・アメリカ
制作協力:共同テレビジョン
制作・著作・配給:仙台放送
2013年/83分/HD/16:9/カラー/日本/ドキュメンタリー
公式サイト:http://www.bokujohn.jp/
公式Facebook:https://www.facebook.com/bokujohn
▼映画『僕がジョンと呼ばれるまで』予告編