映画『ノーコメント by ゲンスブール』より (c) Zeta Productions/ARTE France Cinéma/Ina/2011
セルジュ・ゲンスブール自身が秘められたゲンスブールについて語るドキュメンタリー映画『ノーコメント by ゲンスブール』。今作の公開にあたり、評論家で、今作の字幕監修を担当した永瀧達治氏によるエッセイを掲載する。評伝『ゲンスブールまたは出口なしの愛』(ジル・ヴェルラン著)の翻訳など、ゲンスブールについて多くの著作・評論を手がけてきた永瀧氏が「もはやゲンスブールを語ることも二度とないだろう」と形容する決定版ドキュメンタリー『ノーコメント by ゲンスブール』は、7月27日(土)よりBunkamuraル・シネマにて特別ロードショー、そして8月3日(土)より渋谷アップリンクでもロードショーとなる。
ゲンスブールに関する最後の私的回想文
──永瀧達治(評論家)
「このまま煙草を吸い続けると、数年後には確実に酸素ボンベを引きずっての生活ですよ」
坂道を上がると息が切れるとか、階段が辛くなったとか、その前兆は数年前からあったので減煙の努力はしていたのだが、レントゲン写真を前に医者から、そのように宣告されると小心者の私は禁煙を決意せざるを得なかった。重度のニコチン依存症の私にとって、禁煙は一朝一夕に出来たわけでなく、地獄の禁断症状を抱えながら、ありとあらゆる方法を試みた後、結局はニコチンガムを噛むことによって禁煙達成。禁煙は達成できたが、軽度のニコチン依存は相変らずで、今もニコチンガムなしでは人と話もできない。「煙を肺に吸い込まなければいいでしょう」と医者も諦めている。以来、五年近く、みっともないと知りながら、常にガムをクチャクチャと噛んでいる。煙草を捨てながら、ニコチン依存が続くなど、まるで深情けの女に引きずられる哀れな男のよう。とは言っても、一日に四個ほどのガムでは一瞬にして大量のドーパミンが放出される煙草のような効力はない。高いテンションを必要とする原稿やプロデュースなどの仕事を整理して、数年前から東京を引き上げ金沢に蟄居して、隠遁プレイを楽しんでいる。「煙とアルコールは肉を保存する」などと嘯いている時代は終わったのだ。気がつけば、ゲンスブールが死んだ年齢を既に超えていた。ボリス・ヴィアンが死んだ三九歳を越えたときには若い頃からの夭折願望の残滓のせいか、「さようなら青春」とでも言うような感傷に浸っていたが、今や家庭の事情も含めて「出来得る限り長生きしたい」と願うどこにでもいる好々爺。
映画『ノーコメント by ゲンスブール』より (c) Zeta Productions/ARTE France Cinéma/Ina/2011
人は誰もがそうなのだが、私自身が時代の落とし子というか、単に時代に振り回されて生きてきたのか、十代の頃から典型的なアンチ・コンフォルミスト(反既成概念)の道を歩んできた。寺山修司、大江健三郎「日常生活の冒険」の斎木犀吉、五月革命の首謀者「赤毛のダニー」、ボリス・ヴィアン、ナボコフの「ロリータ」…そしてアラン・ドロンのナルシズムとルルーシュ映画のロマンチズム。当時としては珍しくない青年の性向なのだが、やがて我がエルドラドはフランスにあり…と思い込むようになったのが運の尽き。二十歳のときに横浜から船に乗り、片道切符で日本脱出。頼る人もなく、言葉も話せぬが、ヒッピーやアナーキストの群れに入ればなんとかなる時代。振り返れば、半世紀近くも前のこと。
パリの中華食堂の地下で昼と夜、皿洗いをしながら、睡眠時間を削り、潜り込んだ大学に通っていたのだから、そこはエルドラドではなかったが、精神的にはパラダイス。日本で感じていた生き辛さから解放された。パリでは「みんな」の生き方や意見と関係なく、人種も年齢も関係なく、「ボク個人」として生きることが出来た。
言葉も不自由なそんな時期に、知ってしまったジョルジュ・ブラッサンスとセルジュ・ゲンスブール。もはや後戻りは出来ない。ブラッサンスとゲンスブールというのは陰と陽の関係にある。アンチ・コンフォルミストでありながら、禅僧のごとき悟りのブラッサンス。さしずめゲンスブールは悟りきれない破戒僧。どちらも言葉とメロディの天才的錬金術師。ヴァリエテというフランス歌謡の世界に《文学》を持ち込んだ。《文学》と言っても、詩や小説といった意味ではない。私なりの解釈だが、「残るものすべてはリテラチュール」と呟いたヴェルレーヌやナボコフ「ロリータ」の《文学》なのだ。
「ロリータ」と言えば、ゲンスブールが一九七一年に発表した「メロディ・ネルソン」のアルバム。この叙事詩がナボコフ「ロリータ」に向けてのオマージュであり、一種の《本歌取》作品であることは当時のフランスの若者の間でもそれほど知られていなかった。ゲンスブールの最高の作品と言ってもよいアルバムだが、ヒット・アルバムと言うには苦しい販売枚数だった。だが、この作品以来、ゲンスブールはジェーンをイコンとして、自らの虚像のメディア露出に専念する。「上着の裏地がミンクだったから宗旨変え(裏地を表にして着る)」とは裏の世界を露出することによる挑発の錬金術のことを言う。さらに破戒僧であるが故に、彼のアルコール依存は時代と共に重症化し、ス・バール(ずらかる)の隠喩を込めたゲンスバールと言う二重人格を演じるようにもなる。シャイで教養もあり、真面目なゲンスブールは酩酊の限界を超えると精神の混乱が、常識への冒涜という形でバランスを取ろうとする。
映画『ノーコメント by ゲンスブール』より (c) Zeta Productions/ARTE France Cinéma/Ina/2011
日本に帰国した私が、ポール・モーリア楽団で大儲けをしていたレコード会社のフランス担当と結託して、ゲンスブールの全アルバム発売を手掛けたのは七〇年代後半に入った頃だった。もちろん、ブラッサンスの全アルバムも同時に仕掛けた。当時、二人ともシャンソン歌手としてごく一部の知名度はあったが、アンチ・コンフォルミストとしての精神までは知られていなかったので、ライナーノートも歌詞対訳も自分で引き受けた。
ゴールデン街の片隅で、どこかの大学の仏文科助手の男から、「所詮、大衆文化の世界で、日本で受け入れられるのはアラン・ドロンのような美男子だけ。ゲンスブールやブラッサンスのような汚いオッサンが売れるわけがない…あんなのに共感するのはオマエのような変態青年だけさ」とまで言われて大喧嘩していたが、事実、どちらも売り上げは全国で千枚程度だった。
それから二十年近くたった或る夜。「おもしろいところがありますから」と誘われて出向いたのが恵比寿かどこかのDJバー。渋谷系とかいう小さなブームがあり、バーではひと回りぐらい年下の若者がフレンチ歌謡のレコードを回していたが、私の顔を見るなり、立て続けにゲンスブール・ナンバーをかけ始めた。昔の千枚のレコードと対訳とライナーノートが密かにフレンチ・オタクの間で増殖していたのだ。ひょっとしたら、日本でも「上着の裏はミンク」なのかもしれない…。
既にゲンスブール本人には何十回とインタビューを重ねていた私は「やっと日本でも傍流文化が本流文化になる時代が来たのかも」とほくそ笑みながら、ゲンスブールにまつわる書籍を次々と出し、フランスにも先駆けて世界初のゲンスブール・トリビュート・アルバムまで発表して、同時に東京の街を《サンジェルマン・デ・プレ化》してやろうと、あらゆるジャンルのアーチストや文化人に声をかけ『ゲンスブール委員会』なる実体のない冗談クラブをでっち上げた。ボリス・ヴィアンも参加していた戦後のサンジェルマン・デ・プレの『コレージュ・ド・パタフィジック』を意識したものだったが、そんな難しい話は別にして、ただただ流行に飛びつくスノビズム遊びだった。ゲンスブールを利用しての「パリの香りがする少し知的なサブカルチャー」は全国に浸透していった。メジャーではないが、古びたおフランス文化でもない、しかも、ちょっとおしゃれ…流行に敏感な編集者や、乗り遅れまいとするアーチストたちに続いて、全国の《ションベン娘、ションベン小僧》(ゲンスブール自身が名付けた若いファンたちへの愛称)が出現して、ゲンスブール委員会主宰者としての私は全国で『ゲンスブール・ナイト』なるイベントを手がけた。
映画『ノーコメント by ゲンスブール』より (c) Zeta Productions/ARTE France Cinéma/Ina/2011
ゲンスブールがメロディメーカーとしての天才であり、同時に天才的な言葉の錬金術師であることは言わずもがなであるが、私にとって長い間、ゲンスブールは憧れの対象ではなく、近親憎悪を伴った厄介な存在であった。取材者としての距離を保ちながら、決してゲンスブールの《お友だち》になろうとはしなかったし、ファン特有のコレクター趣味など微塵も持っていなかった。ただ、ゲンスブールの日本における《代理人気取り》で多少、図に乗ってしまったことは確か。アンチ・コンフォルミストとして『同じ匂いの仲間たち』を幻影と知りながら、年甲斐もなく二十ほども若い世代に求めてしまったのかも。
『モードは自ずからス・デモデする(流行はいずれ流行遅れの)宿命』とシャネルだかコクトーが喝破したように時代と共に日本におけるゲンスブールも飽きられ、ゲンスブール委員会なるイベントも手垢がついて、スノビズムとはほど遠くなっていく。レペットの靴を履いて、無精ひげを生やすゲンスブール気取りの若者や、チョイ悪オヤジに憧れるションベン娘には実害がないとしても、ゲンスブール気取りでアル中の果て、自死に向かった若者の噂を聞くと心も痛んだ。あれほど、『才能のないゲンスブールは単なるダメオヤジ』だと諭していたにもかかわらず。
ゲンスブールとは関係のないことであるが、ベルリンの壁とソビエト崩壊によって世界は《パンドラの箱》を開けてしまった。東西、あるいは右や左のバランスを失った世界で、歯止めとなる思想も常識もモラルも消えて、人間の金銭的欲望と自己顕示欲は暴走し、金になるなら、有名になるならナンデモアリの世界。今や、ゲンスブール気取りでノーネクタイに無精ひげでテレビに出ようと、ジーンズにスモーキングで裸足にレペットの靴を履こうが、エロチックな裏の意味を込めた歌詞を書こうが…ナンデモアリの世の中では挑発にすらならない。傍流が主流に侵食し、裏も表もない、挑発の矛先にあったモラルも常識もない薄っぺらな世の中で、ゲンスブールもアンチ・コンフォルミストも共にレゾン・デートルを喪失するのみ。『残るものすべてはリテラチュールだけ』というゲンスブールが愛したナボコフの呟きが時代を予言していたようだ。
映画『ノーコメント by ゲンスブール』より (c) Zeta Productions/ARTE France Cinéma/Ina/2011
今、あるいは将来の子どもたちに向けた漫画チックなゲンスブール伝説や、当分の間は《陽気な未亡人》による世界の悲劇を憂う歌声も、ゲンスブールを真似た野卑なパフォーマンスも…残滓の泡のごとく残るかもしれない。だが、《残るリテラチュール》とはゲンスブールの残した作品のみ。
ゲンスブールの享年を過ぎて「私が死んだら、私の黒いピアノも叩き壊してくれ」と言ったゲンスブールの真意がわかる気がする。『伝説もぶち壊せ』と、草葉の陰からゲンスブールの声がする。
映画『ノーコメント by ゲンスブール』はテレビのドキュメントや特別番組で紹介された夥しい数の映像から彼自身の精神の内側に迫る部分を編集している。芸能ニュース的な挑発を排除したので、《ゲンスブール通》でない限り理解しにくい部分もあるが、私にとっては、この映画の字幕監修と、この原稿を書くことによって、ゲンスブールからやっと解放される安堵に近いものを感じる次第である。
愛し合ったのはジャヴァネーズを踊る歌の間だけ。もはやゲンスブールを語ることも二度とないだろう。
(映画『ノーコメント by ゲンスブール』劇場パンフレットより転載)
パリ・モンパルナスのセルジュ・ゲンスブールの墓(2013年5月撮影)
映画『ノーコメント by ゲンスブール』より (c) Zeta Productions/ARTE France Cinéma/Ina/2011
映画『ノーコメント by ゲンスブール』
7月27日(土)より、Bunkamuraル・シネマにて特別ロードショー
8月3日(土)より、渋谷アップリンクにてロードショー
ほか全国順次公開
監督:ピエール=アンリ・サルファティ
出演:セルジュ・ゲンスブール、ジェーン・バーキン、シャルロット・ゲンスブール、ルル・ゲンスブール、ジュリエット・グレコ、ブリジット・バルドー、アンナ・カリーナ、エディット・ピアフ、ヴァネッサ・パラディ 他
原題:Gainsbourg by Gainsbourg: An Intimate Self-Portrait
(2011年/フランス/99分/カラー/DCP)
字幕監修:永瀧達治
配給・宣伝:アップリンク
提供:キングレコード
公式サイト:http://uplink.co.jp/nocomment/
公式twitter:https://twitter.com/NoComment_movie
公式facebook:http://www.facebook.com/NoComment.movie
▼映画『ノーコメント by ゲンスブール』予告編