佐藤薫 photo:青木一成
昨年の5月21日、フルバンドとして30年ぶりのライヴを行い話題を呼んだEP-4。その佐藤薫とBANANA-UGによる別働隊、音響系エレクトロニクス・ノイズ・ユニットEP-4 unit3が初の単独アルバムをK-BOMB、skillkills、大谷能生などをリリースし異彩を放つレーベル・BLACK SMOKER RECORDSよりリリースする。1月21日に発売となる『À Artaud』は、ふたりが音楽を担当した人形劇団・江戸糸あやつり人形座の公演『アルトー24時』の舞台音楽がベースになっている。このところ数を増やしているライヴ・パフォーマンスの音源にスタジオ・レコーディングを加え、同舞台やライヴ演奏の一部映像を収めたDVDも付属。壮絶なノイズのなかにも、EP-4に通じる不思議な整然さとグルーヴを感じることのできる内容となっている。今回は、電子アプリ『MUSIC LIFE+』(旧ミュージック・ライフ)で新連載をスタートするなど、執筆業も精力的に行なっている佐藤氏によるセルフ・ライナーノーツを掲載する。
この世は黒魔術の城塞である。そんな風にアルトーは言った。
── 佐藤薫
彫刻家のジャコメッティは、自分の作品を土に埋めるというアイデアをジャン・ジュネに語ったことがある。つくられたもの、誕生したものは、すべからく埋葬しなければならない。焼成の圧倒的な痕跡は錬金術のように丁重に扱わなければならないからだ。すべては塵のまた塵、塵のなかの塵なのだから、一度は土に帰してやるのだ。そいつを空間のどこかに保存するために。それはジャコメッティが他者を評するときに用いる詐術などではない、文字どおりの。保存? いったい誰のために?
それに倣えば、まずわれわれの埋葬先はポリカーボネートの基盤層に保護された反射膜であり、そこに蒸着したアルミニウムが酸化するまえにそれを空間へと再配分することだが、棺桶そのものが作品となる過失は免れない。
EP-4 unit3 photo:青木一成
ある神秘家は、世界の記憶は宇宙のどこかにアーカシック・レコードとして保存されると説いた。イマージュも音も死ぬことはない。死はどこにもない。その意味で、ライヴ演奏はライヴの記憶としてはそのままどこかに保存されざるを得ない。これだけはどうしようもない。記憶の像、音/イマージュは、しかし誰かがその音を聴かなければ、その音波の振動を誰かの身体が、たとえ擬似的にでさえ取り戻さなければ、分散し、やがては保存されたまま消えていくだけだろう。お察しのとおり、われわれがこの記憶をCD『À Artaud』として映し替えたわけはそのためである。ライヴの音圧は明らかに別の空間を産出する。それはわかりきっている。瞬間瞬間の音が空間を共有するアイソレーション・タンクを構築するのだ。しかし、いや、だから空間は壊れない。だが、美術家イヴ・クラインがしたように、空間すら埋葬すべきなのだ。「空間、ここに眠る」と。そこにいるあなたがたも眠っていた。生きたまま、墓のなかで。
CDより再生される空間はもちろんライヴの空間とはまったく別のものである。たとえそれがライヴ演奏をCD化したものであっても。いや、だからこそ。同じものはない。だが差異だけがここにあるわけではない。そのために絶えずズレを生じる驚くべき同一性を探しに行かなければならない。明哲な囀りにあるとおり「EP-4 unit3 のライヴはCDで聴きなおすなど有り得ない。ライヴでしか有り得ない音」なのだ。ただし、言っておかなければならないが、われわれは原理的にわれわれのライヴを経験不可能であり、ましてや記憶にとどめることなど及ばぬことだ。だが、誰のものでもない記憶としてのCDならば、土に埋めて、宇宙のどこかに埋葬してやることができる。消滅するものは放っておいても消えていくのだから、CDもいつかはわれわれの前から消えてしまうだろう。それはほんの束の間、CDのように見えているだけなのだから、在るがままに消え去るのだ。記憶もろとも、煙のように。後のことなど、われわれの知ったことではない。
EP-4 unit3 photo:青木一成
このCDはアントナン・アルトーに捧げられている。自らが書いた演劇理論『演劇とその分身』のなかで、アルトーが音楽の重要性について触れているからではない。われわれはアルトーを新しい方策をもって読まねばならないとずっと考えてきたからだ。アルトーのまだ読み解かれたとはとても言うことのできない数々の作品からは、タムタム太鼓やドラの音、シンバル、ラッパ、聞き慣れないノイズ、野獣や非人間的な叫びが聞こえてくる。われわれはずっとそれを聞いていた。それがアルトーを読むことにほかならないからだ。この世は黒魔術の城塞である。そんな風にアルトーは言った。この城塞は「ひらけ、ごま」の号令では重い青銅の扉が開くことはない。トロイの木馬など役に立つはずもない。これではどこにも行けないし、息をすることさえ無理だ。すでにわれわれは水も漏らさぬ微細な網の目状に、巨大で、まとわりつく、鳥もちのような、何かしら言いようのないネットワークにとらえられているからだ。すべての呪術がまずは悪魔払いのためにあるのはそのためである。アルトーがショック療法を強いられた理由もそこにあった。例えば、宇宙空間に向け出立する飛行士が、月界に臨む恐怖に気がふれたとして、誰がそれを咎めることができるのか。おなじように、アルトーはどうにも身体を畏怖していたにちがいないのだから。
ここや、そこに、破裂する心臓がある。血が薄暗い静脈をさらさらと流れる音がする。堰門が決壊し、地下水脈があふれる轟音がする。苦し紛れに世界が産みの苦しみの声を上げている。空間は軋み、膨張し、破裂寸前だ。もしかしたら、世界が誕生する前に空間が溜息をもらした音が聞こえるかもしれない。この音を聴く努力をすべきである。それは妄想的なまでに巨大な受信装置だけの仕事ではない。そのためにわれわれは何を知っているのかを探ってみなければならなかった。ノイズに固有の音を返してやらねばならなかったのだ。ドレミはそのためにあるようなものである。実のところ、宇宙空間はフローティング・タンクであり音感は内部にしか開かれていないにもかかわらずだ。
アルトーは「どれも厳密には作品ではない」と言った。すべての人間が死者としてそこを通り過ぎたような恐ろしく古い歴史がある。そこには秘密があり、秘密だけがある。「実無限」を数学的にしか示せないように、ここには何か可能なものや、潜在性があるのではない。われわれの世界にはリアルな「濃度」があり、薄皮を剥ぐようにそれを殺いでいかなければならない。だが、この無限のループに飛び込み、エネルギーと欲動を輝かせ突き動かす、それに触れる準備ができているのかどうか、われわれはそれを知りたいと思っているのだ。
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「永遠に完成しない作品をどう面白く作るか」ジム・オルーク、千住宗臣、中村達也ら参加の貴重な一夜直前に活動史を語る(2012-05-19)
http://www.webdice.jp/dice/detail/3518/
佐藤薫 プロフィール
京都のニュー・ウェイヴ系ディスコ「クラブ・モダーン」に集まっていた仲間たちとEP-4を結成。'83年には京都、名古屋、東京と3都市において時間差でライヴを開催するなど確信犯的な活動で熱心なファンを獲得する。近年活動再開。83年発表の代表作『Lingua Franca-1』のデラックス盤『リ・ン・ガ・フ・ラ・ン・カ DELUXE』、かつてプロデュースもつとめた山崎春美率いるタコのボックス・セットなど多数の作品再発を自ら監修する中、'12年5月にはEP-4として約30年ぶりにフル・バンドでライヴを敢行し大成功を収めた。また、当時から執筆作業にも積極的で、電子書籍『MUSIC LIFE +』では執筆連載も行なっている。
EP-4 unit3 プロフィール
EP-4の佐藤薫とBANANA-UGによる音響系エレクトロニクス・ノイズ・ユニット。重厚なニューウェイヴ・ダンス・ミュージックのEP-4本体に対し、アナログ・シンセや様々なガジェットを用いたこのunit3では、より即興性の高い、マッシヴで音響彫刻的なパフォーマンスを展開する。80年代初期におけるノイズ/エレクトロニク ス系ユニットのオリジネーターの一つとして、'10年に活動を再開。積極的にライヴ・パフォーマンスを展開している他、'11年9月に東京で開催された江戸糸あやつり人形座 『アルトー24時』(演出:芥正彦、人形演出:結城一糸、原作:鈴木創士)の舞台音楽を担当するなど活動の場を拡大中。ディーター・メビウス('12/大阪)、ワイヤー('12/東京)、Zs('13/東京)など海外アーティストの来日公演のフロント・アクトでも高い評価を得ている。1月21日に初のアルバム『À Artaud』をリリース。
■リリース情報
EP-4 unit3『À Artaud』
BLACK SMOKER RECORDS
2,100円(税込)
BSJ010
2013年1月21日リリース
解説:丹生谷貴志 佐々木敦
★作品の購入はジャケット写真をクリックしてください。Amazonにリンクされています。
■ライヴ情報
『CASE OF TELEGRAPH 2013』
2013年2月3日(日)青山CAY
開場18:00/開演18:30
料金:前売3,000円 当日3,500円【ドリンク代別】
出演:くじら、すきすきスウィッチ、ニウバイル、EP-4 unit3
https://www.spiral.co.jp/e_schedule/detail_439.html