耳を聾するばかりの轟音を伴うハイテンションかつパワフルなライブ・パフォーマンスにより、ノイズ・ミュージックの現場のみならず国内外の音楽ファンからの熱烈な支持を集めながらも、飄々とその活動を継続してきたノイズ・ユニット「インキャパシタンツ」が30周年という節目を迎えている。12/23(金・祝)と12/24(土)という、クリスマス・シーズン真っ只中の二日間にアップリンクで開催される二つのイベント「緩やかで深い情念 Slow Life Avant-Garde at Shibuya」「酒とノイズ」に大きく関わるインキャパシタンツの美川俊治氏に、これまでの、そして現在の活動について話を聞いた。
インキャパシタンツ30周年 ─「よくこんなことをずっとやってきたよな」
──今年はインキャパシタンツとしての活動を開始して30周年とのことですが、これまでの活動を振り返られて、率直に思うことは?
よくこんなことをずっとやってきたよな、とは思いますね(笑)。色々なところで書いたり喋ったりしているんですけど、僕が演奏で参加している非常階段の初期は「音組」と「パフォーマンス組」みたいにわかれていたところがあった。暴れるみたいな感じがメインみたいな人たちがいて、(JOJO)広重君の立ち位置はまた難しいんですけど、僕はどちらかというと音に注力したい人間だったんですね。だからと言って非常階段自体を否定するということではないんですけど、自分としては純粋なノイズをやりたいという気持ちがあった。それで、インキャパシタンツをレコーディングプロジェクトとして始めたんです。ソロで、録音物を形にしていくユニットだったんです。音をやりたかった。それに、そもそも録音だけをやりたいのであれば、暴れる必要がないじゃないですか。
LUFFでのインキャパシタンツのパフォーマンス
──これまでにインキャパシタンツがリリースした作品には何人かのパートナーがクレジットされていますよね。
録音をやってる分には別に一人で良かったんだけど、そういうことやってるって知られると「ライブやってくれ」ということになって、どうしても断りきれなくて。でも一人じゃやりたくなかったんですよ。最初のライブは「月刊かえる」というミニコミをずっとやっている倉本(高弘)君と一緒にやった。その後は山塚(EYヨ)君と。僕は初期のハナタラシを高く評価していたので、当時、文通して交流があったんです。テープの交換とかね。文通と言えば、リチャード(・ルペナス/ザ・ニュー・ブロッケーダーズ)ともその頃からしていましたね。で、山塚君とは、インキャパシタンツとしてエッグプラント(かつて大阪・西成にあったライブハウス)に出るようになったり、スタジオで録音したり。でもその後に僕が就職して東京に来ちゃったんで自然消滅したかたちかな。東京に来て職場も変わったし、大人しくしてたんですよ。87年の7月から12月まではニューヨークにいたしね。
──インキャパシタンツのライブを再開し始めたきっかけは?
ニューヨークから帰って来てしばらくして、広重君から「インキャパシタンツのアルバムを作ろう」という話をもらったんです。それが『REPO』というLP。それを出しちゃったもんだから「なんだ、やってるじゃん」という話になっちゃって、「ライブやって」という話がだんだん増えてきた。経緯は今ひとつ思い出せませんけど、「じゃあ小堺君と一緒にやろう」ってことで話を受けたのかな。
──現在のパートナーである小堺文雄さんと初めて会ったのはいつですか?
まだ大学生だった時に、彼の出ていたイベントを見たのが最初なんだけど、はっきり覚えているのは、85年かな、非常階段で渋谷の東横劇場でやったことがあって、その時にタコが対バンだった。小堺君はタコのメンバーだった。彼は非常階段のファンだったらしくて、その時に発振器の話をしたのかな、確か。彼も自作楽器オタクみたいなところがあって。それで一緒にやってみることになった。彼も暗中模索みたいなところがあったと思うし、最初は「どうかな?」というのがあったんですが、一緒にやれるようになって良かったと思うよ。唯一無二だと思うので、パートナーとして。
──お二人とも関東在住ということもあり、活動が活発になっていったのでしょうか?
それはある。でも90年代はそんなに頻繁じゃなかったと思う。ここ数年だよね、ライブがすごく増えたのは。
──いかにしてインキャパシタンツは、見るものすべての耳目を惹き付ける、あのハイテンションかつパワフルなステージを実現するに至ったのでしょうか?
なんででしょうね。基本的に僕は大阪の人間なのでウケればよいというところはある。ウケれば良いんだけど、一方で或る程度節度がある。小堺君は限界を突破するパワーがあるので最後は彼に任せるみたいな(笑)。役割分担がうまくいっているという気はするんだけど。彼が暴走した後、僕が後始末をして帰るみたいな。それはライブの話ですけど、でも彼は別にああいうことをやりたいわけじゃないんですよ、本当は。スタジオ入って演奏しているのが好きなの。この間、10数年ぶりにレコーディングのためにインキャパでスタジオに入ったんだけど、喜々としてやってるわけ。時間の余裕があって十分に準備できて、音が色々出せるんで。本当はそういうことはやりたいんだよね。
トレードを通じて育まれた海外のアーティストたちとの交流 ─ 「僕はメールアートってのはよくわからなくて普通に文通してました」
──先ほど名前が挙った、ザ・ニュー・ブロッケーダーズ(以下、TNB)との出会いについてお聞かせ下さい。昨年TNBのトリビュート盤が世界各国でCDリリースさましたが、今年はTNBも30周年という節目の年だったんですよね?
TNBってかなり特殊なユニットではあるので、実は本当に誰も実態がわからないといってしまって間違いない。リチャード・ルペナスという人物が中心であるということは今も間違いないんだけれども、誰がどう関わっているのか実はよくわからない。彼がコントロールしているんだけど、彼がどういう存在としてTNBに関わっているのかがよくわからない。作品は「ファイナル」とか「ラスト」とかいいながらガンガン出るので、面白いんだけど。昔、イーオンというコロラドの通販屋があって、83年のカタログにTNBのファーストアルバムの情報が載っていた。だけど、僕がカタログを入手した時点でソールドアウトだった。100枚しかリリースしていませんでしたからね。カセットなど、他の作品は殆ど全部買えたんですよ。で、ニューキャッスルに住む彼に直接コンタクトをとった。彼は非常階段のことを知っていたみたいで、それからお互いの作品の交換をするようになった。
今年30周年を迎えたTNBのトリビュート盤CD『ヴィヴァ・ネガティヴァ!─ ア・トリビュート・トゥ・ザ・ニュー・ブロッケーダーズ VOL.IV 日本編』。ジャケットに使用されたコラージュ作品は(おそらく)リチャード・ルペナス自身によるもので、美川氏によるライナーノーツが封入されている。
──メールアートという意識ではなく、国外のアーティストとの交流は作品のトレードを通じて育まれてきたのですか?
僕はメールアートってのはよくわからなくて普通に文通してました。僕がやっていたことはトレードなんですけどね。ボルビトマグースは文通じゃなくてニューヨークで会いましたけどね。ライブ観て「録音して良いか?」って聞いて、「実は君たちのアルバムはこれとこれとこれとこれを持っている」って説明したら、もう信じられないみたいな、日本人がそんなもの持ってるわけないという反応をされた。まあ、びっくりするよね(笑)。
──先日、代官山UNITでインキャパシタンツとの共演を果たした『ホワイトハウス』のウィリアム・ベネットによるユニット『カットハンズ』、そしてラムレーとの出会いは?
ホワイトハウスの最初に出たアルバム『バース・デス・エクスペリエンス』は、「すごい変なものが出たな」という感じで買った。実際聴いてもわけわからなかった。「なんだこれは?」という感じだったんです。スロッビング・グリッスル(以下TG)を初めて聞いた時も驚いたけど、それでもTGはまだ音楽に聞こえたんです。当初ホワイトハウスはTGのフォロワーなのかなと思っていた。だけどフォロワーにしては粗雑な音楽、無茶な音楽だなと思った。聴いているうちに面白くなってきて、ずっと追っかけているうちに本人が来日するっていうんでライブを観に行ったんです。秋田(昌美/メルツバウ)さんも観に来ていたので、二人で「話しに行こうぜ」って楽屋に乱入したんです。その時に初めてウィリアムに会いました。それからしばらくして、青山CAYで行われたホワイトハウスとコンシューマー・エレクトロニクスのライブにインキャパシタンツで出演し、再会した。その時に楽屋でけっこう親しくなって、2007年に北九州でまた会った。それはウィリアム・ベネットとラッセル・ハズウェルと僕がレクチャーをするという、CCA(センターオブコンテンポラリーアート北九州)のイベントで。2008年にもウィリアム・ベネットが横浜トリエンナーレのために来たので、その時は彼とセッションをやりました。
ウィリアム・ベネット(写真提供:アルテクニコ)
──昨年、非常階段とインキャパシタンツはスイスのローザンヌで行われているフェスティバル『LUFF』に招待され、出演しましたよね。非常階段はラムレーと、インキャパシタンツはディスチャージとの対バンというかたちで共演を果たしました。
スイスでは、僕が酔っぱらっていたので、ラムレーのライブを殆ど見ていない(笑)。で、終わったら彼らもスッと帰ってしまったので、話すことも出来なかった。話したかったんですけどね。かなりシャイな感じの人でした。うちらは5人もいて、厚かましく飲んだり食ったりしていたから寄り付きにくかったということもあるんでしょうけど。ホワイトハウスに遅れること数年、ラムレーが最初出てきた時もすごいびっくりしました。
ラムレー(写真提供:アルテクニコ)
「結局、日本とLAFMSの関わりっていうのは、色々あったにせよ、それってすべて坂口卓也がいたからでしょう?」(ジョン・ダンカン)
──スイスでラムレーと同じ舞台に立った直後に、非常階段とインキャパシタンツはロンドンで開催された「The Lowest Form Of Music」というLAFMS(ロサンジェルス・フリー・ミュージック・ソサエティ)のトリビュート企画に出演されたんですよね。美川さん個人のLAFMSとの関わりについてお聞かせ頂けますか?
僕は「ブロープ・エセット・ボリューム1」というLAFMSのコンピレーションアルバムを、当時何もわからず買ったんです。大阪のLPコーナーというレコード屋に「アングラ」と書かれた箱があって、そこに入っていた。なんでそれを買ったかっていうと、ジャケットを描いたのがビーフハートだった。それと、収録アーティストの中にレジデンツがいたから。後で、貴重なアルバムだったということがわかったわけですが。LAFMSについては坂口卓也さんが「JAM」とか「HEAVEN」とか色々なところに書いていました。そしてこれはそもそもの話になりますけど、坂口さんがLAFMSを何で知ったかっていうと、「ジャズ・マガジン」っていう雑誌に竹田賢一さんの「世界的蓄音盤」というコーナーがあって、そこでLAFMSのアルバムが紹介されていて、それを読んですごく聴きたいと思ったんだそうです。そういうことがあって、LAFMSというものに対して関心を持った坂口さんが、84年くらいかな、ロサンジェルスへ旅行した時に、住所を調べて地図を頼りに真夏のロサンジェルスを歩いてLAFMSのジョーとリックのポッツ兄弟が住む家へいきなり行ったんだそうです。途中死ぬんじゃないかと思ったそうですが、彼らには相当びっくりされたみたいですね。それで坂口さんは彼らと親しくなった。
──坂口卓也さんが主催されているイベントシリーズ「Slow Life Avant-Garde」について少し説明して頂けませんか?
坂口さんは「音薬談」などのブログで色々なことを書きながら、ご自身の考えを整理されているのだと思うんですけど、阪神大震災の復興に対してチャリティー・イベントをずっと続けてらっしゃいます。僕も一回出させてもらいました。大した収益金が上がるものではないとは思うんですけど、LAFMSの連中もこの主旨を良くわかっていて、例えば珍しいレア盤を送ってくれてたりして、それを会場で売って得たお金を寄付するとか、そういうことをされている。これをライフワーク的に続けて行きたいという考えが、坂口さんの中にはあるんじゃないかな。坂口さんと竹田賢一さんのあり方には似たものを感じるんです。というのも、あんなに色んなことを書いているのに本という形になって残っていないんです。坂口さんは本が何冊出来てもおかしくないくらい書かれていますよね。それで、「Slow Life Avant-Garde」という名前で企画をやり始めたのはわりと最近のことだと思いますけど、「Slow Life Avant-Garde」という言葉の意味はLAFMSのあり方に繋がっていると思うんですよ。LAFMSってすごく日常に根ざした活動をしていて、しかも緩い。ユニットとしての結びつきがそれぞれ緩いんですよ。なんかこう、ギリギリしたものではなくて。そこに彼は非常に魅力を感じていているのだと思いますね。
「絶対にこれは僕らとしてはやらないといけないことだったろうなと思います」
──美川さんがアップリンクで行われているイベント「酒とノイズ」に、坂口さんをゲストにお招きしたいということはイベントが始まった当初の頃から話されていましたよね?
酒を飲みながらノイズを聴くだけ、ま、多少は僕が喋るんだけども、そういうイベントをやりたいって話になって、今年になってから「酒とノイズ」っていうイベントを始めました。アーティストだったりコンセプトなどテーマを決めて、僕が選んだ日本酒をきこしめてもらいながら、音を紹介するという形でやらせてもらっています。今回はLAFMSという集団に脚光を当てる形でやりたいと。これをやるにあたって、ずっと前から思っていたんですが、自分一人ではなく坂口さんにやってもらわないとダメだと思っていた。
今回の「酒とノイズ」のために美川氏がチョイスした日本酒たちの一部。左より花陽浴(南陽醸造・埼玉)、奥播磨(下村酒造・兵庫)、タクシードライバー(喜久盛酒造・岩手)、麓井 山長(麓井酒造・山形)。
──ロンドンでのLAFMS企画には坂口さんも一緒に行かれたんですよね?
スティーブ・アンダーウッド(レーベル「Harbinger Sound」のオーナー、「Lowest From~」主催者の一人)に「タクヤを呼ばないとダメだ」って言ってやったんです。ロンドンのイベントの中で「日本とLAFMSの関わり」というテーマでトークセッションがありました。僕や広重君も入ってやってたんですけど、最後にジョン・ダンカンが「結局、日本とLAFMSの関わりっていうのは、色々あったにせよ、それってすべて坂口卓也がいたからでしょう?」って言って、彼を賞賛してトークセッションが終わった。本当にその通りなんだよね。おべんちゃらでもなんでもなくってさ。坂口さん無しにしてはLAFMSの話は出来ないっていうのが、僕的にはあるんですよ。「酒とノイズ」が他力本願で始まったとはいうものの、自分のイベントだと思っているので、坂口さんをゲストに迎える形でLAFMSを特集することができるというのは、僕は大変嬉しいです。
──UPLINKで二日にわたって行われる「Slow Life Avant-Garde」と「酒とノイズ LAFMS特集」の二つのイベントは、坂口卓也さんの活動を媒介に非常階段/インキャパシタンツとLAFMSのミッシングリンクがよりはっきりした形で浮き彫りになるような、相互に補完しあうような内容ですね。
絶対にこれは僕らとしてはやらないといけないことだったろうなと思います。
「自分のやりたいようにやっても出てきた結果がやりたかった通りにはならない。だから面白い。だけど、自分の思った通りがそのまま伝わるようなものをやりたいなっていう風にだんだん思うようになった」
──近年、美川さんはインキャパシタンツ/非常階段以外でのライブも精力的に行われていますね。
最近はソロやセッションを増やしています。Soundings(美川俊治+石川高+山本達久+康勝栄)っていうユニットは面白いと思っている。僕はノイズであれなんであれ、基本的には即興しかやらないので、セッションに対して違和感はないんですよ。単にめちゃくちゃな爆音でっていうのは、インキャパシタンツの場合はそれ自体が目的みたいなところありますけれども、もうちょっとセンシティブな演奏も出来ないわけではない。
──最近の美川さんご自身のライブが明らかに増えていると思うんですね。Soundingsの発起人である康勝栄さんのような、若い世代が美川さんを引っ張り出したようなところもあるんでしょうか?
それもあるかもしれないね。僕はこれまでにまったくソロでライブをやらなかったんです。レコーディングは残ってるんですけど、ライブはすべて誰かとやっている。非常階段はJOJO広重ひとりでもできる。インキャパも僕一人で出来るはずなんだけど、ソロのライブをずっとやりたくなかったので、ずっと誰かを誘っていた。小堺君との関係がうまくいったので、今もパーマネントなユニットとして一人のインキャパはあり得ないっていうことになってるわけですけれども、だけどね、それが今ちょっと、ソロという意味では、変わってきたってのはある。康君の影響ももちろんあります。担ぎ出されてね。ただまあ、彼にいわれなくてもソロをやってた可能性もなくはなくて。だから、インキャパはすごく良いですよ。良いし、面白いし、やれるんだけど、難しいんだよね。変な言い方だけど。自分のやりたいようにやっても出てきた結果がやりたかった通りにはならないんで。だから面白いんだけど。だけど、自分の思った通りがそのまま伝わるようなものもやりたいなっていう風にだんだん思うようになった。インキャパシタンツをずっとやっている中で。それは、繰り返しになるけど、インキャパの否定では全くなくて、小堺君とのデュオということで言えば、20年かけてそういうこともやってみたいと思えるようになった。
──こういう風に聴かせたいとか、こういう思いを伝えたいという具体的なイメージはあるんでしょうか?
メッセージ性はないんですよ。まあ、さっき言ったように大阪の人間なので、「どうだ面白いだろう」ということ以外にはない。これに尽きてるといえば、尽きてる。別に反省もしないし、深く考えもしないんだけど。
──共演者への思いは?
サブ(豊住芳三郎)さんにしても、今井和雄さんにしても、なんであんなちゃんとできる人たちが僕とやってくれるのかよくわかんないんですけど、なぜか結構評価してくれるんですよね。僕は生前の高柳昌行さんには一回も会ったことがないんですけど、高柳さんが明大前のモダーン・ミュージックに来た時に店内で非常階段のCDがかかってたということがあったんだそうです。それを高柳さんが聴いて「この人たちは音楽をすごくよく知っているね」って言ったという話を後で聞き、それをどう解釈してよいのか未だに悩んでいて。単純には褒められたっていう話だと思うんだけど、「高柳さん、耳ないんじゃないか?」って思うところもあって(笑)。だけど、僕にしたって広重君にしたって、リスナーとしては相当なもんだと思いますからね。やってることはともかくとして(笑)。それがなんか、技術のない中でも形になっていったものが、聴く人が聴いたら解るというものになっているということなのかな、って最近少し思うようにしてるんですけどね。今井さんなり、サブさんが解ってくれているということがそういうことなのであれば、僕はすごく嬉しいですね。
(インタビュー・文:倉持政晴)
美川俊治 プロフィール
会社員。ではあるが、大学在学中から「非常階段」のメンバーとして、また、同時並行で「インキャパシタンツ」のヘッドとしても活動を継続。数多くの作品をリリースし続け、また積極的にライブ活動も行っている。(以上、ele-king誌vol.1掲載のプロフィールより)
坂口卓也 プロフィール
35年ほど前から、音楽の持つ奇妙な魅惑と付き合って来ました。ブログ『音薬談』などにて音楽について記すのを、楽しみとしています。
★坂口卓也ブログ『音薬談』
http://onyak.at.webry.info/
■イベント情報
「緩やかで深い情念」Slow Life Avant-Garde at Shibuya(企画と進行:坂口卓也)
2011年12月23日(金・祝)
渋谷アップリンク・ファクトリー
協力:Andrew Chalk、Scott Foust、Robert Haigh、Michael Intriere、LAFMS、鈴木大介(Siren Records)
※作品提供アーティストの意向により、入場料のうち¥500を東日本大震災の被災地への募金とさせて頂きます。
17:30開場/18:00開演
料金:予約/当日1,500円(ともに1ドリンク別)
http://www.uplink.co.jp/factory/log/004200.php
「酒とノイズ」第五回目 ─ 特集:LAFMS(出演:美川俊治、坂口卓也)
2011年12月24日(土)
渋谷アップリンク・ファクトリー
選曲と解説:美川俊治(インキャパシタンツ/非常階段/Soundings)
ゲスト:坂口卓也
17:00開場/17:30ノイズ開始
料金:予約/当日1,500円(1ドリンク&特製ステッカー付き)
http://www.uplink.co.jp/factory/log/004201.php
■リリース情報
『ヴィヴァ・ネガティヴァ!─ ア・トリビュート・トゥ・ザ・ニュー・ブロッケーダーズ(ヴォリュームIV:日本編/CD2枚組)』
発売中
解説:美川俊治/Incapacitants、非常階段
ULR-023
2,625円(税込)
ALCHEMY RECORDS / UPLINK RECORDS
『原爆スター階段 | LIVE AT SHINJUKU LOFT 2009.10.10』
発売中
ULD-569
2,625円(税込)
ALCHEMY RECORDS / UPLINK RECORDS
『非常階段 A STORY OF THE KING OF NOISE』
共著:JOJO広重、美川俊治、JUNKO、コサカイフミオ、野間易通
発売中
3,000円(税込)
K&Bパブリッシャーズ
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