骰子の眼

cinema

東京都 新宿区

2011-05-08 23:00


映画祭から映画館へ。SKIPシティ Dシネマ プロジェクト始動。 第1弾作品は岸 建太朗監督の野心的な長編デビュー作『未来の記録』に決定。
『未来の記録』より

これまでもジャ・ジャンクー監督やスサンネ・ビア監督などがノミネートされるなど、世界からデジタルシネマの可能性を感じさせる作品が選ばれているSKIPシティ国際Dシネマ映画祭(埼玉県川口市にて、今年2011年は10月8日~16日の開催)。米国「VARIETY」誌で「世界の見逃せない50の映画祭」に日本で唯一選ばれ、世界からも注目を集めている。
現在、日本全国には新旧および大小様々な映画祭が開催されているが、昨今、映画ファンの間でよく話題にされる「映画祭で上映される作品を見逃すと、その後、観る機会がない=一般劇場配給されない」という声を聞くことは少なくない。それは大規模な国際映画祭レベルで、しかもグランプリを受賞していても、日本国内で配給されない作品も多々ある状況である。

そこで、SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザは映画祭に集まった作品を映画祭終了後もより多くの人々に観てもらうため、一般劇場公開/配給する活動 SKIPシティ Dシネマ プロジェクトをスタートさせた。

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その記念すべき第一弾として岸 建太朗監督の『未来の記録』が5月14日(土)より新宿武蔵野館を皮切りに、その後も大阪、名古屋、横浜、京都での公開が決定している(2011年5月時点。その後も上映館/地域を拡大する予定)。今後も映画祭とともに、プロジェクト第二弾、第三弾にも期待はふくらむ。

呼び覚まされるもの〈記憶〉と呼び起こすもの〈記録〉

──『未来の記録』は岸監督のはじめての長編ということですが、どのようなきっかけで制作がはじまったのでしょうか。

『未来の記録』は、「WORLD」というワークショップを繰り返す過程で産み落とされた自主映画です。気の合う仲間達と不定期に集まって、「いっちょ撮ってみるか」なんて調子で、行き当たりばったりの道を歩んでいたので……今でも、こうして劇場公開が決まったことが信じられない気持ちです。

──それは内容的にもっとプライベートなものだったということなんですか。

『未来の記録』は、僕の親しい友人二人が自殺したことと、4年前にパレスチナに渡航した際の経験から着想されています。僕自身が「自殺」について深く考えてしまうような状況にありました。もちろん、死んでしまった人はもう帰って来ないけれど、だからこそあまり悲観的に思いたくなかった。僕は、死者を映画の登場人物に置換することで、自殺してしまった人の気持ちを実感しようとしたんです。「祈り」というのは、この映画のなかで重要なキーワードですが、創作をしながら祈っていたという感じでした。ただそういう作業って、通常、創作の現場ではショートカットされますよね。一見無駄に思えるかも知れない。だけど、回り道をしながら粘り強く取り組んだ時、一体どんな映画が作られるのか。そんなことを考えていたのだと思います。

それと関連するのですが、何かを長くやっていると、ついついその物事について分かった気になることって多いですよね。
僕の場合は「演技」とか、「映画」についてだったんですが、あるとき、「分かったつもり」になっている自分に気がついて、一から考えなおそうと思ったんです。

映画が始まって100年ちょっと経ちますけど、写真がまだ動いていない時代に、当時の人たちは映画に対してどんな夢を描いていたのか。例えばリュミエール兄弟はどんなイメージを持っていたんだろう、とか、そんなことを考えていましたね。

──かなり根源的な部分ですね。

100年前と今はもちろん技術も違うし、作品の内容も様変わりしたんでしょうけど、時代を問わず変わらないことだってあるはずだと。
映画から、様々な「つもり」を剥ぎ落として単純化してみたんです。すると、「カメラがあって、被写体がいる」、という、シンプルな二関係に行き着くんですよ。それだけは、どんなに技術が進歩しても変わりようがないのでは、と思ったんです。
じゃあその二つのことをとことん突き詰めてみようと。

──そのときに、今回の物語の軸となる〈記録〉と〈記憶〉というテーマで取り組もうと思ったのですか?

呼び覚まされるもの〈記憶〉、と、呼び起こすもの〈記録〉、ですよね。それは、僕の過去作品すべてに共通しています。凍結された時間〈記録〉と、とめどなく変化する時間〈記憶〉とも言えるかも知れません。その先に「過去」や「未来」という、「かつてあったこと」と、「これから起こること」があるわけですが、それらを「記憶と記録」という異なるフィルターから透かしてみたかったんです。過去や未来というのは、誰にとっても不確かで良く分からないものですけど、映画を通じて「時間そのもの」を炙り出してみたいという欲求がいつもある気がします。

『未来の記録』の場合は、「なにが善でなにが悪なのか」、どちらとも言い切れない、火急の状況を作り出そうとしました。観客の目の前で展開される映像が、「作りごと」の枠を越えて、まさに目の前で起こっている──「出来ごと」と映るくらいまで、俳優の演技のアンサンブルを高めたかったんです。それぐらい、俳優達の可能性を信じたかったということかも知れません。

実を言うと、未来の記録は、ワンシーン・ワンカットの映画にする予定でした。3年半前、最初の撮影の最終日には、すでに1時間半の作品ができあがっていたんです(笑)。その頃は、ヒッチコックの『ロープ』みたいな映画を目指していたので、ワンシーン・ワンカットの映画を集めてきては、一本ずつ、分析したりしてました。みんなで抜粋した映像を観て、このシーンはどうやって撮影されたのか、また自分だったらどう撮るのかのと仮説を立てて発表し合うんです。ある日、オーソンウェルズの『黒い罠』の秘密を発見した時は、感動のあまり雄叫びを上げてしまいました(笑)。

僕たちは、そういう作業から導かれた方法論を、実際に撮影して血肉にしようとしていました。その渦中に生まれたのが、『未来の記録』なんです。

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『未来の記録』より

カメラの前で展開する出来事を、僕自身が俳優と一緒に体験したかった

──そのワンシーン・ワンカットのバージョンというのは、今回の完成版に活かされているんですか?

実際はカットはされていますけど、随所に散りばめられていますね。
よく『未来の記録』を観てくださった方に、どこまでが演技でどこまでが即興なのかということを聞かれるんですけど、僕たちは、いわゆる演技体系としての「即興」とは、一線を引いて取り組みたいという気持ちがありました。概ね「即興」と呼ばれる演技を、僕はあまり信用していません。俳優たちが「何かをしてやろう」と企んでしまう場合が多いように思われるからです。別に、1時間でも2時間でも、ずっと黙ってたっていいじゃないかと。たとえば用意された5ページ分の演技が終わった時、僕はあえてカットをかけないようにしていたんです。バッテリーが切れるか、テープが終わるか。カットのタイミングを決められるのは、何も監督だけじゃないという気がしたので。すると、思いがけない瞬間が生まれたりするんですね。やがて、「台本が終わってからが勝負」という意識でみんなが取り組み始めました。カットをかけず粘り強く待っていると、俳優が自然に動き出すんですよ。で、ドキドキしながらそれを撮影するんです。6枚目、7枚目の白紙の台本の内容は誰も知りませんから、撮影に関わる全員が、「初見」で、観客になるんです。

──あらかじめ余白を作っておくんですね。

カメラの前で展開する出来事を、ただ一度きりのこととして、僕自身が俳優と一緒に体験したかったんでしょう。まあ、そうした挙げ句使わなかった映像も多いんですが、理屈を越えた映像を撮りたいという熱意が強かったです。

──そうした撮影方法は、今回のような自主映画のスタイルだから実現できたと感じますか?

どうなんでしょう。ただ、監督である僕自身がカメラを回したからできたことかも知れませんね。実際、上村くんと僕の二人だけで撮影したシーンも多いですし。

──ワークショップで作り上げていくというのは、今作では重要な要素だったんでしょうか。どんなワークショップだったんですか?

ワークショップっていっても、便宜上そう呼ぶしかなかっただけで、実際は気の合う仲間と好き勝手に喋り倒していただけというか(笑)。それにしても良くしゃべりましたね。だいたい3、4時間くらい、映画とは直接関係がないことをしゃべり倒したあとに、最後の1時間くらいでふっとアイディアが湧いてきたりする。で、そこで得たイメージを脚本にフィードバックしたり、思いついたことをそのまま撮影してみたり。そんなことを繰り返していました。

変な話かも知れませんが、僕は、もう死んでしまった友人を、映画という虚構の中で本当に救いたかったんです。描かれる救いがより大きなものになるめに、主人公の二人を窮地に追い込んで行きました。そんな窮地から、どうやって希望を捻り出すかというのがテーマだったんです。

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『未来の記録』より

変わりようがないものだけで物語を紡ぎたかった

──主人公は確かに絶望的な状況にはいるんだけれど、ラストシーンではとても希望を感じたんです。監督としては、この結末に辿り着いた、という感覚なのでしょうか?

ラストシーンは、この映画の中で最も時間をかけて紡ぎ出されています。主人公の治をさんざん絶望に追い込もうとしていたわけですから、希望を見いだすハードルがいつの間にか上がっていたんです。「納得するまでやろう」がコンセプトでしたから、ずいぶん長い時間がかかりました。現在のラストを見つけるまで、書き初めてから都合三年くらいかかってしまったんです。

映画って、もしかしたら自分が死んだ後も、ずっと残るかもしれないじゃないですか。それはすごく責任あることだと思います。だから、できれば1000年くらいの尺度で映画を眺めたいと思ったんです。それぐらい時間が経っても色あせない強度のある映画にしたかったというか。『未来の記録』には携帯電話が出てこないですが、そうした思いがあったからなのです。

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『未来の記録』の岸 建太朗監督(撮影:森友香理)

──風化していく物語にしたくなかったと。

記憶と記録と場所を巡っての映画ですからね。テクノロジーの部分をできる限り排除して、変わりようがないものだけで物語を紡ぎたかったんだと思います。

──他者とコミュニケーションを取るのが苦手な少年が、唯一自分の思いを託せたのが一冊のノートだった、というのが重要になってきます。

舞台となる「幸治子供の家」は、かつてほんとうにフリースクールをやっていた場所だったんです。撮影にあたり、僕たちは主人公の幸と治と同じような行動線をたどりました。その課程で、かつての生徒たちが残した「思い出を残そう」という表紙のノートを発見したのがきっかけになっています。場所から様々なイメージを受け取って、物語の可能性を発展させていけたということは、僕たちにとって大きな経験でした。

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『未来の記録』より

──時間軸がめまぐるしく移動する構成になっていますが、編集で注意したことは?

台詞や状況を微妙にずらしながらモンタージュさせることで、観客の時間感覚や平衡感覚を狂わせつつ、自分の立ち位置が不確かになるような構成を意図しています。分かりやすくて綺麗に梱包された作品が多い中で、『未来の記録』のようなゴツゴツとした映画に触れる機会があってもいいんじゃないかと。映画を「観る」という行為の裾野、その可能性が広がるような映画を作りたいという願いがありました。

──最後に、監督のイメージを具現化するものとして、デジタルムービーの可能性についてはどのように感じていますか?

テープやフィルムのような有形物が無形になって、デジタル情報に置き変わりつつあります。しかし、手元に形が見えないことに対して、編集なんかやっていると怖いなとよく感じますね。とはいえ、それを差し引いてもあまりある可能性が、デジタルシネマには秘められています。ただ、テクノロジーの進化が映し出す現実は、「誰もがそれなりの映像を撮影できてしまう」ということでもある。プリセット一つでそれなりの質感に映像が変化できてしまうこと。それは、みんなが「それなり」になってしまうということだとも言える。
そういう視点からの挑戦として、『未来の記録』では、現在、過去、未来と、異なる時間軸に合わせてカメラやフォーマットそのものを変えて撮影しました。現在がHVX200、過去がDVX100AにDOFアダプターを装着して、未来にはデジカメや5DMARK2を使用しました。乱立するフォーマットやカメラの特性や質感の違いを逆手に取った方法でしたが、そういう部分もこの映画の見所だと思うので、是非、刮目して頂ければと。

(インタビュー・文:駒井憲嗣)



岸 建太朗 プロフィール

1973年、東京都出身。98年より劇作家宮沢章夫氏に師事し、演出助手に従事。02年 「映像演劇実験動物黒子ダイル」を旗揚げし、自主映画、PV、ネットドラマ、各種映像を多数制作。10年『未来の記録』が、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭 2010 長編コンペティション部門正式ノミネート。第20回TAMA CINEMA FORUM 新人監督部門「TAMA NEW WAVE」グランプリ受賞。俳優としても、映画、演劇、CM、TVドラマなどに多数出演している。




『未来の記録』
2011年5月14日(土)より新宿武蔵野館、5月21日(土)より大阪シネ・ヌーヴォXにて公開

監督:岸 建太朗
出演:上村聡、あんじ、鈴木宏侑、町田水城、杉浦千鶴子、小林ユウキチ、高橋周平、鈴木雄大、吉田真理子、川上友里
音楽:大杉大輔、後藤健、相川隆司
照明:尾崎智治
撮影:大竹正悟
美術:市川愛奈
脚本協力:稲泉広平、大地康仁
制作進行:宮川祥恵
プロデューサー:清水徹也
『未来の記録』公式HP
SKIPシティDシネマプロジェクト 公式HP


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