骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2010-12-11 23:03


「アヴァンギャルド芸術運動には、仲間意識がはっきりあった」─基地反対を絵画で表現した池田龍雄が映画『ANPO』を語る

旺盛な創作意欲で常に革新的な作品を発表する池田氏がリンダ・ホーグランド監督とトークショーを開催。
「アヴァンギャルド芸術運動には、仲間意識がはっきりあった」─基地反対を絵画で表現した池田龍雄が映画『ANPO』を語る
映画『ANPO』より、池田龍雄『10000カウント』(1953年)

画家・池田龍雄が映画『ANPO』の監督リンダ・ホーグランドと渋谷アップリンク・ファクトリーでトークショーを開催した。日本のアバンギャルド芸術を支える多彩な活動で世界的な評価を得る池田氏は今作に自身の作品とともに出演、60年代安保をアートという視点から捉え直し、日本とアメリカの関係と歴史を考察する内容に大きな貢献を果たしている。『ANPO』は現在もアップリンクにて上映中、12月21日には西川美和監督、そして23日にはジャーナリストの岩上安身氏を迎え、トークショーを行う。
【池田龍雄×リンダ・ホーグランド監督トークショー・レポートの前半は こちら

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『ANPO』公開記念トークショーで観客からの質問に答える池田龍雄(右)、そしてリンダ・ホーグランド監督(左)

僕たちがそこに行って実態をよく見て、聞いて、探って、そして描いた作品

リンダ・ホーグランド(以下、リンダ):それでは『ANPO』の池田さんの感想を教えてください。

池田龍雄(以下、池田):僕は絶対戦争はいやだという思いがある。安保条約は戦争につながるものですよね。アメリカの基地を許して、そしてアメリカの代理戦争みたいになっていく可能性があった。だから絶対安保には反対だという思いがあった。あの頃の国民のほとんどが、僕の感じでは80パーセントくらいが反対していた。にもかかわらず通ってしまって、非常に残念だった。この映画の中では、多くの日本人の安保反対という気持ちが非常によく描かれている。しかも、「絵」というビジュアルなものを使って表現したという、リンダさんの着目するところがいいなぁと。資料をあたって、理屈っぽく安保を描いたってしょうがない。だから、非常にいい映画だと思います。

リンダ:ありがとうございます。映画の最後の最後で、こんなアートがいっぱいありますよ、っていう象徴的なモンタージュとして、池田さんが描かれた『10000カウント』(1953年)という、魚が網に埋もれている作品を使いました。

池田:あれは、原爆実験が行われてるときに描いたんです。ガイガーカウンター(放射線量計測器)というのがあって、五千カウントとか、何千カウントでガーって鳴るんです。獲ってきたマグロを放射能に汚染されていると、みんな捨てたんですよ。そういう原爆反対運動が杉並から立ち上がったと言われていて、全国に広がったんです。

リンダ:あの『10000カウント』は私も大好きなんですけど、あの魚たちの人間のような顔は、どういうところから湧いてきたんですか?

池田:放射能で汚染され殺されていく魚の恨みみたいなものがあって、網に引き上げられた魚はみんな線みたいなのをバババーっと這わせているんですけど、実際放射能は目に見えるものじゃない。そういうひどい状態になったことに対する僕自身の、魚に託した怒りといったようなものでしょうね。他にも同じテーマで『埋められた魚』(1954年)とかいろいろ描いています。『網元』(1953年)は基地反対闘争をテーマにしているんですが、52年あたりから非常に盛んになってくる。立川でも、米軍が立川の基地を拡張することに反対して農民たちが座り込みをしているのを、日本の警察が引っこ抜いたりする。その場面を55年くらいに中村宏は描いたんです。その前に、ルポルタージュという考え方がありまして、僕らは文学だけでなく、絵でそれがどのように可能であるかということを考えていました。1953年の春、絵画におけるルポタージュの問題というのを文章にして、実践したわけです。
石川県にある内灘にかなり長い、数キロに渡る砂浜があるんですが、そこを米軍は接収しました。つまり朝鮮戦争で新しい大砲を打って、着弾を見る試射場として、日本の漁民が使っていた浜辺を接収してしまい、漁業ができなくなってしまった。当然、漁民達は反対運動を起こして、座り込みをやっていた。そこにルポルタージュを支援も兼ねて行くんです。そうした生活をして『網元』という作品を描きました。それから『網元』だけじゃなく、他にも漁民や漁師の姿を描いています。だから僕たちがそこに行って実態をよく見て、聞いて、探って、そして描いた作品が『網元』なんです。

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映画『ANPO』より、池田龍雄『アメリカ兵・子供・バラック』(1953年)

リンダ:当時、例えば今おっしゃっていた内灘を描写した絵とか中村さんが描いた絵は、一般の方はどういうかたちで鑑賞していたんですか?

池田:一般の人はほとんど見ないような展覧会でやってるんです。僕らは青年美術家連合というのをつくりました。朝鮮戦争が始まって、またしても戦争になる可能性、戦争に巻き込まれる危険性を感じてつくった全国的な組織なんです。それが前衛美術会と、東京都美術館でニッポン展と名づけた展覧会をやって、そこに中村宏くんが最初に出したり、山下菊二さんは『あけぼの村物語』(1953年)などルポルタージュの作品を出した。前衛美術会の展覧会場そのものは一般の人はほとんど見ない。他の美術団体は二科会とか、いろいろありますがそういうのに比べて、十分の一くらいしか入場者はない。専門家でもあまり見ないですから。

リンダ:映画では入れる余裕がなかったので、ぜひ山下菊二さんの『あけぼの村物語』を見てほしいです。山下さんは87年に亡くなるんですが、本当に亡くなる直前から評価を受けるんですよね。

池田:山下さんは、日本ではほとんど評価されてなかったんです。日本という国は悲しい国で、ヨーロッパやアメリカで評価されたものが評価される。それまでみんな見向きもしない。日本の批評家たちもそうでした。山下さんの作品を取り上げたりするのは、ほんの一部しかなかった。ポンピドゥーでやりましたし、その前にイギリスのオックスフォードでやったんです。その展覧会でむこうの人達が評価したことが日本に伝わってきて、ようやく評価が高まって、そのうちに山下さんが亡くなったという状態です。

リンダ:石井茂雄さんは?

池田:石井茂雄くんもまさにそうです。彼は55、6年頃に僕らと一緒に制作者懇談会という団体をやっていたんです。彼はその頃まだ若くて、21、2でした。それだって全然評価されてないんですよ。彼は62年に若くして死んだんですが、そのあと、1981年に「1950年代展」というのを東京都美術館でやった。そこに彼の大きな油絵を出したんですが、そのまま遺族が寄託というかたちで美術館に預けてしまったんです。それをオックスフォードの展覧会にそのまま出したんです。それがよかったんですね。それがなければ誰も気付かない絵になったんだと思います。

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映画『ANPO』より、石井茂雄『不詳(しばられた男たち)』(1958年)

絵という物を通して作家の心を表す

(観客からの質問):いろいろな表現方法があると思いますが、文章とか映画とか写真に比べて絵画でなければ表現できない、絵画の卓越した優越性を持っているとすれば、どういう場合でしょうか?

池田:卓越した優越性ということはあまり思っていないんですけれども、やはり絵画っていうのは物なんですよ。言葉や文字も印刷されれば物と言えないこともないけど、絵画というのはキャンバスとか紙とか、現在は絵の具以外のものもいろんなものを使って表現します。要するに、物を通して作家の心を表している。人間の体も物ですから、その物性というものがどうしても強いですよ。だから映像とは違う物質性がある。絵を見るということの中には触覚や聴覚も含まれているので、そうした感覚がまとまって入ってくるので強い。しかも、物語は時間のなかに展開していきますけれど、絵は瞬間にぱっと入ってくる。逆に言えば絵は時間性がないんですけど、描くときに時間がかけられているんです。その時間のエネルギーが絵の中には入ってるので、力があるんだと思います。

(観客からの質問):映画のなかで加藤登紀子さんが60年代安保当時を回想する場面で、違和感というか、うらやましいという感じを持ったんです。それは加藤さんの世代は自然に、「私たちは」「我々は」という風に考えることができると思うんですけど、私などはもしかしたら生まれてから死ぬまで強い連帯感とか抵抗の精神を感じないで一生終わるのかもしれないと思っておりまして。だから何かを真剣に考えるときには、「私は」という語り口でないと語れないと感じています。それは私より若い人も共通して持っている感情ではないかなと思います。池田さんにお聞きしたいのは、絵を描くというのは基本的には一人で責任を負う孤独な作業だと思うんですが、その中でもしかして同じ世代の方とか、または社会との一種の見えない連帯を感じながら仕事をされてたんじゃないかという気がしたんですが。

池田:それは一部分ですよね。「ニッポン展」をやったその頃の、言ってみれば同士というようなものが、そんなに固いものじゃないですけど、ちょっとはあったでしょうね。「私たちは」とか「我々は」という言い方は、僕はあんまりしないです。だけど、連帯感はあったと思います。特に戦後まもなく、アヴァンギャルド芸術運動をやっていた頃は、人数は少ないですけど、仲間意識はかなりはっきりありました。それは現在でも続いている。だけど、ほとんどその頃の人は亡くなってしまって、非常に少なくなってしまいました。その頃の作品を並べている展覧会が岡本太郎美術館で行われるんです(「池田龍雄─アヴァンギャルドの軌跡」展 2011年1月10日まで開催)。

リンダ:映画を観てもらって解ってくださったと思うんですけれど、良かれ悪しかれ、ここに出てくる絵の大半はいつも綺麗にしまってあるんです。たまにこうやってちゃんと開放されて風通しのいいところに出してもらっている場合があるので、最近はどちらかといえばそうした機会は増えたんですよね、なのでぜひご鑑賞ください。

池田:映画は多少動くからいいんですけど、絵というのは実物を見ないと、本当に写真や印刷物ではわからないものなんです。

(取材・文:駒井憲嗣)



★『ANPO』トークイベント
出演:西川美和(映画監督)×リンダ・ホーグランド(『ANPO』監督)
日時:2010年12月21日(火)開場18:30/開映19:00/トーク20:30
場所:渋谷アップリンク・ファクトリー
予約・イベント詳細はこちら

出演:岩上安身(ジャーナリスト)×リンダ・ホーグランド(『ANPO』監督)
日時:2010年12月23日(木・祝)開場20:15/トーク20:30/上映21:30
場所:渋谷アップリンク・ファクトリー
予約・イベント詳細はこちら




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■リンダ・ホーグランド プロフィール

日本で生まれ、山口と愛媛で宣教師の娘として育った。日本の公立の小中学校に通い、アメリカのエール大学を卒業。2007年に日本で公開された映画『TOKKO-特攻-』では、プロデューサーを務め、旧特攻隊員の真相を追求した。黒澤明、宮崎駿、深作欣二、大島渚、阪本順治、是枝裕和、黒沢清、西川美和等の監督の映画200本以上の英語字幕を制作している。

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■池田龍雄 プロフィール

1928年佐賀県生まれの絵画家。メッセージ性の強いルポルタージュ絵画運動に参加。戦時中、16歳で神風特攻隊に任命された。戦後、他人の命令から逃れる為、アーティストの道を選んだ。 1954年最初の個展以来海外合わせて48回開催。国立近代美術館、都美術館等美術館の企画展に多数出品。




映画『ANPO』
渋谷アップリンクほか全国順次公開中

監督・プロデューサー:リンダ・ホーグランド
撮影:山崎裕
編集:スコット・バージェス
音楽:武石聡、永井晶子
出演・作品:会田誠、朝倉摂、池田龍雄、石内都、石川真生、嬉野京子、風間サチコ、桂川寛、加藤登紀子、串田和美、東松照明、冨沢幸男、中村宏、比嘉豊光、細江英公、山城知佳子、横尾忠則
出演:佐喜眞加代子、ティム・ワイナー、半藤一利、保阪正康
作品:阿部合成、石井茂雄、井上長三郎、市村司、長濱治、長野重一、浜田知明、濱谷浩、林忠彦、ポール・ロブソン、丸木位里、丸木俊、森熊猛、山下菊二
2010年/カラー/6:9/89分/アメリカ、日本
配給・宣伝:アップリンク

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