岡田敦「I am」より
見どころ!川崎市市民ミュージアム 学芸員 林司
1990年頃から、写真界の一番の大きな問題は写真のデジタル化でした。従来のフイルムや印画紙はハロゲン化銀を使用していることから、「銀塩(アナログ)を選ぶのか、非銀塩(デジタル)を選ぶのか」という問題を、写真家だけでなく、カメラ製造会社や、感光材料メーカーといった、写真業界全体が考えなくてはならなくなりました。プロだけでなく、一般の人々にもデジタルカメラが普及し、携帯電話にもカメラ機能がついた2000年以降、自宅のパソコンで画像を見たり、プリントしたりできるようになったため、街の写真現像店で現像を注文する必要はなくなりました。また、画像加工ソフトも手軽に扱えるようになったため、誰もが画像処理を行えるようになりました。そして、これまでは写真スタジオやカメラマンに写真撮影を依頼していた会社も、出来あがりの写真の質は劣っても、コストダウンには代えられず自分達でデジカメで撮影するようになりました。このような時代背景もあり、かつて写真家になるには、写真の専門学校や大学で、写真理論と実践、歴史といった事柄を学んでから、写真家のアシスタントとなって、そこで修行を積んでからフリーのカメラマンとして独立する、といった道が一般的でしたが、こういった従来の道筋が崩れていったのです。
木村伊兵衛写真賞の受賞作品にもこの影響が見られます。写真学校の出身者ではなく、デザインや美術といった、アートスクールで勉強した人たちや、写真を独学で学んだ人たちが、受賞するようになってきました。彼等は写真を自分が表現したいイメージの素材として、あるいは媒体として使用しています。そこからは、従来の写真という概念を超えた、新しい表現が生まれています。木村伊兵衛写真賞の最新受賞者8人の作品を通して、時代の流れを感じていただけたらと思います。
木村伊兵衛(1901‐1974)
昭和を代表する写真家である木村伊兵衛は、スナップ写真の名手であり、日本近代写真の父ともいえる人物である。 1929(昭和4)年に最先端技術を駆使した小型カメラ「ライカ」に出会って以降、大型カメラでは撮影できない軽やかなスナップを撮り続け、戦前は、革新的な写真雑誌「光画」や、名取洋之助主宰の日本工房で才能を発揮し、戦中は対外宣伝雑誌「FRONT」を発行した東方社で写真部責任者として活躍した。戦後は初代日本写真家協会会長や、日本中国文化交流会の常任理事、紫綬褒章受章など、写真の枠を超えて日本の芸術文化に寄与した。東京の下町、下谷生まれということもあり、人柄も写真作品も、軽やかで粋で庶民的で、後進の写真家やアマチュア写真家から慕われ、理想とされる存在であった。亡くなった翌1975年に木村伊兵衛写真賞が設立された。
第30回(2004年度)
中野正貴
1955年、福岡県生まれ。1956年より東京在住。1979年武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン科卒業後、広告写真家・秋元茂氏に師事。1980年にフリーの写真家となる。大型カメラで、人の姿が全く無い東京を撮影した「TOKYO NOBODY」は、年始やゴールデンウイークなどを利用し、約十年かけて撮影されたもので、2001年に日本写真協会賞新人賞を受賞し、現在も写真集のロングセラーとなっている。2005年に、窓から見える東京の風景を撮影した写真集「東京窓景」により、木村伊兵衛写真賞を受賞した。2008年にフィルムを使用する大型カメラから、デジタル一眼レフカメラに移行し、東京の発展の原点である川を中心に撮影した写真集「Tokyo Float」を発表する。また同年、大学3年から2007年まで撮影し続けてきたアメリカの街のスナップ「My Lost America」により、第8回さがみはら写真賞を受賞した。「TOKYO NOBODY」「東京窓景」に続いて、雪景色の「東京雪景」や、光のない「Black out Tokyo」、船から見た「TOKYO FRONT」と、視点を変えて東京を記録し続けている。
中野正貴「東京窓景」より
第31回(2005年度)
鷹野隆大
1963年福井県生まれ。早稲田大学政経学部経済学科に在学中、舞台の撮影を知人より頼まれたことがきっかけで写真に興味を持つ。1994年に初の写真展「こわれてゆく女の標本」(平永町橋ギャラリー)からヌード作品を発表し続け、これまでマイナーな存在であった男性ヌードを、アートという檜舞台に引き上げた写真家として知られている一方で、屋上から見える東京タワーや、自分の顔を毎日撮影したシリーズや、「花街びと」「花々し」など街で見られる花のシリーズ、海外で撮影されたスナップをまとめた「それでも、ワールドカップ」など、日常のスナップのシリーズにも定評がある。2005年に出版された写真集「In My Room」(蒼穹舎)で木村伊兵衛写真賞受賞。現在、早稲田大学芸術学校空間映像科講師。また、次回の第36回木村伊兵衛写真賞の選考委員に、岩合光昭、瀬戸正人とともに任命されている。
鷹野隆大「IN MY ROOM」より
11月20日(土)午後2時より、川崎市市民ミュージアムで鷹野 隆大トークショーが開催されます。
予約不要、当日先着順、定員30名
第32回(2006年度)
本城直季
1978年生まれ。東京工芸大学芸術学部写真学科卒業、同大学院芸術研究科メディアアート専攻修了。2005年に初の写真展「small garden」(superstore Inc./東京都千代田区)を、翌2006年に写真展「play room」(水戸芸術館クリテリオム)を開催し、2006年に出版された初の写真集「small planet」(リトルモア)で第32回木村伊兵衛写真賞を受賞する。ジオラマのように見えるこの作品は、実際の人や建物を大判カメラのアオリ(ティルト)を利用して撮影されたもので、擬似的に被写界深度を浅くすることでミニチュアのように見せている。通常の風景写真ではボケるはずのない距離でボケが生じているので、現実感が薄れ、見る者に小さなフィギュアを眺めているような錯覚を起こさせる。これらは逆アオリ、箱庭写真とも呼ばれ、本城直季の木村伊兵衛写真賞受賞以降、プロ・アマチュア問わずブームとなった。明るい色で、かわいらしく見える作品だが、本城は逆アオリの作品を通して、作り物のように外だけで中身の無い現代都市への文明批判を込めている。
本城直季「small planet」より
第32回(2006年度)
梅佳代
1981年、石川県生まれ。野球選手のイチローのファンで、高校時代にイチローに近づくためには、スポーツキャスターかスポーツ担当のカメラマンにならなければと思い、日本写真映像専門学校(大阪)に進学する。2000年に「男子」、2001年に「女子中学生」で、キヤノン写真新世紀佳作を受賞。2002年に日本写真映像専門学校卒業し、活動拠点を東京に移す。2002年に雑誌「美術手帖」の写真表現特集で、注目の写真家として取り上げられ、2003年に写真展「うめかよ展」(site/恵比寿)、2004年に写真展「うれしい連続」を開催(アウラクロス/大阪)する。2006年に、編集者で自身も木村伊兵衛写真賞受賞者である都築響一に見出され、初の写真集「うめめ」(リトルモア)を出版し、木村伊兵衛写真賞を受賞。2007年に2冊目の写真集「男子」を出版、2008年に女子高生だったころから10年間にわたり撮り続けてきた93歳の祖父をテーマに3冊目の写真集「じいちゃんさま」を出版する。思わず笑いがこみ上げてくるほのぼのとしたユニークな視点と、被写体とその場を一緒に楽しみながらも冷静に観察している眼差しが、多くのファンを生んでいる。
梅佳代「うめめ」より
第33回(2007年度)
岡田敦
1979年、北海道稚内生まれ。1998年に北海道札幌北陵高等学校卒業し、大阪芸術大学芸術学部写真学科に入学。在学中の2002年に「Platibe(プラチベ)」で富士フォトサロン新人賞受賞。2003年に、血がついたカミソリ、羽のちぎれたチョウ、大量の薬など、自傷行為をイメージさせる写真集「Cord」(コード、2003年、窓社)を出版。大学1年の時に故郷の友人が自殺したことからインターネットの自傷系サイトを知るようになり、写真集「Cord」で、自傷行為を繰り返す人々の世界観を再現しようとした。この写真集を見た若い読者から反響が次々と届き、自分を撮ってほしいというメッセージが寄せられたことから、木村伊兵衛写真賞の受賞作である「I am」のシリーズを作るきっかけになった。「I am」の撮影に協力した約50人は、十代から二十代の女性が多く、半数以上が自傷行為経験者である。写真集は、顔と腕、体と部分別に分かれており、リストカットの跡がある肉体もあれば、傷跡の無い肉体も写っている。顔と体が別々のページに掲載しているため、誰が自傷行為経験者かはわからない。木村伊兵衛写真賞受賞と同年、2008年に東京工芸大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了、博士号を取得した。
岡田敦「I am」より
第33回(2007年度)
志賀理江子
1980年、愛知生まれ。高校の体育祭で使ったオートフォーカスのコンパクトカメラがきっかけで、写真に興味を持つ。高校卒業後、東京工芸大学写真学科に入学。その後、ロンドン芸術大学チェルシーカレッジに留学。「Lilly」はロンドン在住時に、自分が住んでいた公営団地の住民にカメラを向け、出来たプリントに、光を当てながら複写したり、カッターで切ったり、穴を開けたり、というような手法で加工し、全く違う架空の人物にした作品で構成されたシリーズである。自分の内にある凶暴な感情と、ひたすら向き合うような作業であったと自身で回想している。「Lilly」が被写体との対話をほとんどせずに制作したことから、2007年に制作した「CANARY(カナリー)」は、街の人々に取材することで意識の交流を行っている。「明るい場所と暗い場所はどこか」という質問を、仙台、オーストラリア、シンガポールで住民たちに投げかけ、その回答から得た場所の地図を元に撮影をしている。写真集「Lilly」(2008/アートビートパブリッシャーズ)、「CANARY」(2008/赤々舎)の2冊で、2008年度木村伊兵衛賞を受賞した。
志賀理江子「CANARY」より
第34回(2008年度)
浅田政志
浅田 政志(あさだ まさし)
1979年、三重県津市生まれ。高校卒業後、日本写真映像専門学校(大阪)に入学。2000年に同研究科卒業後、2003年に東京へ上京し、2004年よりスタジオフォボスにてカメラマンのアシスタントを勤める。2004年に大阪のギャラリーアウラクロスのオープニング写真展にて個展「浅田家」を開催。2007年に、フリー写真家となり、2008年に銀座ニコンサロンで写真展「浅田家」を開催する。2009年に写真集「浅田家」(赤々舎)で木村伊兵衛写真賞を受賞した。この作品は、どこか観光地に行って撮影する家族の記念写真ではなく、父、母、兄と、弟である自分の家族全員が休日を調節し、消防士やラーメン屋、正義のヒーローなど、どのようなシーンにするかを考え、撮影場所を調べ、家族全員でコスプレして写真に写る記念写真である。自分の家族だけでなく、このような記念写真を撮影してほしい家族の撮影も行っていた。2010年4月に大規模な写真展「Tsu Family Land 浅田政志写真展」(三重県立美術館)を開催している。
浅田政志「浅田家」より
第35回(2009年度)
高木こずえ
1985年長野県生まれ。2006年にキヤノン写真新世紀グランプリとEPSON Color Imaging Contest 準グランプリを受賞する。2007年、 東京工芸大学芸術学部写真学科を卒業。2007年から2008年にかけて、写真を短冊のように縦長にして並べたシリーズ「laboratory」を東京都写真美術館、せんだいメディアテーク、福岡アジア美術館などで発表する。2009年に出版された写真集「GROUND」(赤々舎)と「MID」(赤々舎)で、木村伊兵衛写真賞受賞。「GROUND」は、2009年に府中市美術館賞を受賞した自身の作品を、デジタルコラージュした作品である。展示と写真集とでは見せ方が異なり、展示は巨大なプリントを曼荼羅のように組み合わせたもので、写真集は、少し小ぶりの写真集をめくる形になっている。一方「MID」はコラージュなどの手を加えていない作品で、タイトルは「生まれる」と「死ぬ」の"間"という意味でつけられている。写真をはじめた15才から今までに撮影した写真で構成されており、暗闇から風景や人物が湧き出たようなイメージで構成されている。二つの写真集は、表現方法は異なるものの、いずれの作品も生と死というキーワードで繋がっているという。
高木こずえ「MID」「GROUND」より (C) Cozue Takagi Courtesy of TARO NASU
【関連リンク】
・木村伊兵衛写真賞、歴代受賞作を一挙公開!第1期として石内都、藤原新也、岩合光昭などの作品を展示
http://www.webdice.jp/dice/detail/2473/
・武田花、三好和義、星野道夫などの作品を展示―木村伊兵衛写真賞全受賞作公開、第2期!
http://www.webdice.jp/dice/detail/2531/
・柴田敏雄、瀬戸正人、今森光彦などの木村伊兵衛写真賞受賞作品を公開。11月13日からは最新受賞作品も同時公開
http://www.webdice.jp/dice/detail/2633/
木村伊兵衛写真賞 35周年記念展【第3期】
2011年1月16日(日)まで川崎市市民ミュージアムにて開催
会場:川崎市市民ミュージアム[地図を表示]2階アートギャラリー
料金:無料
時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日:毎週月曜(祝日の場合は開館)、祝日の翌日(土日の場合開館)
企画展【木村伊兵衛写真賞35周年展】(最新受賞作品と木村伊兵衛作品を展示)
2010年11月13日(土)~2011年1月10日(月・祝)
場所:川崎市市民ミュージアム 企画展示室1、料金:一般600円 学生400円受賞者:中野正貴(2004年度)、鷹野隆大(2005年度)、本城直季(2006年度)、梅 佳代(2006年度)、岡田 敦(2007年度)、志賀理江子(2007年度)、浅田政志(2008年度)、高木こずえ(2009年度)
同時展示:木村伊兵衛作品