骰子の眼

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東京都 渋谷区

2009-07-29 20:55


ツァイ・ミンリャン監督カンヌ出品最新作ルーブル美術館で撮った『FACE』はやりたい放題! 市山尚三(東京フィルメックス)×篠原弘子(プレノンアッシュ)【前編】

『黒い眼のオペラ』DVD発売記念対談。カンヌ映画祭の裏事情から日本の映画配給の現在がわかるトークイベント!
ツァイ・ミンリャン監督カンヌ出品最新作ルーブル美術館で撮った『FACE』はやりたい放題! 市山尚三(東京フィルメックス)×篠原弘子(プレノンアッシュ)【前編】
(左から)市山尚三氏、篠原弘子氏

本年度カンヌ映画祭コンペティション部門に出品された『FACE』で、改めてその芸術性を評価されたツァイ・ミンリャン監督の『黒い眼のオペラ』のDVDがアップリンクより発売された。それを記念して、今秋で第10回目となる映画祭・東京フィルメックスを立ち上げた市山尚三氏と、多数の良質な映画を配給してきたプレノンアッシュ代表の篠原弘子氏をゲストに、トークイベントがアップリンク・ファクトリーで6月20日に開催された。最新のカンヌ国際映画祭レポートやツァイ・ミンリャン作品に関する話を中心に、日本の映画業界で長く活躍する2人のトークから、映画業界の「今」が見えてくる。(前編・後編に分けてお届けします)


ツァイ・ミンリャン監督との出会い

── まずお二人に簡単な自己紹介をお願い致します。

市山尚三(以下、市山):私は東京フィルメックスという毎年11月の下旬に開催している、今年で10回目になる映画祭のプログラムディレクターを務めております市山と申します。『黒い眼のオペラ』は東京フィルメックスで二年前のクロージング作品として上映させていただいたものですが、この映画祭は基本的にアジアの作品を中心にして、なかなかスポットの当たらない作品も含めて紹介をしていて、まだ今年の上映作品は決まってないんですが、お時間がございましたら是非お越しいただければと思います。

篠原弘子(以下、篠原):プレノンアッシュの篠原と申します。今日は「もう、出せないかなあ」と思っていた(笑)、『黒い眼のオペラ』のDVDを発売していただいたアップリンクでトークをやらせていただくということで、市山さんにもご足労いただき、ありがとうございます。ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)の映画をずっと配給してきまして、『青春神話』(92)、『河』(97)、『ふたつの時、ふたりの時間』(01)の三作以外は全部やってきたわけです。今のところ日本で公開した最新作が『黒い眼のオペラ』になるわけなんですが、その次の『瞼(Face)』という映画がカンヌに出品されたということで、私はまだ見ていないんですが、市山さんがご覧になってきたようなので、その辺のお話も今日は伺えたらいいなと思っています。

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ツァイ・ミンリャン監督『黒い眼のオペラ』

── ではお二人のツァイ・ミンリャン作品、監督との出会いのお話を伺えますか。

市山:僕は東京フィルメックスを立ち上げる前には松竹という映画会社におりまして、松竹から東京国際映画祭に出向していたんですね。最初、「アジア秀作映画週間」という部門の作品の選定を担当して、その後部門名は「シネマ・プリズム」と変わったんですが、基本はアジアを中心とした映画の選定をやっていました。最初に担当した92年の年末、クリスマスから正月にかけての休みに、日本でボーッとしていてもしょうがないんで、台湾に行って安宿に二週間ぐらい泊まって、電影資料館という日本のフィルムセンターみたいなところで台湾のクラシック作品をビデオで見たり、上映もやっているんで見たりしていたんです。

ちょうどその時に台湾の映画評論家で日本語が達者な張昌彦さんという方から、大学で教えている生徒が監督デビューして、その作品が素晴らしいんだということをお聞きしまして、製作したのが中央電影公司という台湾の半分国営みたいな形の会社なんですけど、そこに頼んで試写を回してあげますということで、本当に贅沢な話なんですけど僕の為に試写室を取って上映してくれたんですね。それが『青春神話』でした。その時は英語字幕も何にもなくて無字幕で見たんですけど、ご存知のようにセリフもたくさんないんで、大体こういう事なんだろうな、というのが分かるんですね。無字幕で見てもセリフに頼らずに映画をどんどん進めていける力をデビュー作から持っているすごい監督だなとその時も思ったんです。で、映画祭とかはどうするのかって聞いたらベルリンにオファーをしていると聞いたんで、ベルリンのメインコンペに入らないんだったら東京国際のコンペティションの資格もあるんで、あまり他の映画祭に出さないで、東京国際の結果を待ってみてくれというような話をして。それで実際には翌年ベルリンに出た後で東京国際のヤングシネマの担当の人達が見て即決して、翌年(93)の東京国際ヤングシネマコンペで上映され、しかもブロンズ賞を取ったわけです。

本人に会ったのは、年末に台湾で『青春神話』を見た翌年の4月の香港映画祭で会ったのが最初で。今だに若々しいんですけど、本当にあの頃から今も変わってないんじゃないかな。当時は彼も英語をそんなに話せなかったので。挨拶したぐらいが最初ですね。

篠原:私はまさに市山さんが発見して下さったおかげで、東京国際映画祭で『青春神話』を見られたのがツァイ・ミンリャン映画との出会いでした。映画を見て、すごく面白い才能が出てきたなあと思ってインタビューさせてもらいました(香港電影通信第40号/1994年1月25日発行に掲載)。ちょうどその年レスリー・チョンがヤングシネマの審査員だったんですが、ゲストが集まるミーティングサロンでたまたまレスリーと話していたら、ちょうどそこにツァイさんとシャオカンが来たんですよ。そうしたらレスリーがバッと立って、「良かったよ!」って言ってツァイさんに抱きつかんばかりに握手をしていて、あらあら、この人審査員なのにそんな事して良いのかしら、なんて思ったんですけど。本当にそういう開けっ広げなところのあるいい奴だなあと(笑)。それでその年の映画祭のことは鮮明に覚えているんですけどね。めでたくブロンズ賞を取って、授賞式でレスリーも嬉しそうでした。


ツァイ・ミンリャン監督『青春神話』

市山:あの時は『北京好日』が金賞を獲って、銀賞を無くしてブロンズ賞を3作品にした時なんで実質2位だったんですけどね。賞を取ったのはあの時初めてだったかもしれないですね。

篠原:その時、もしかしたらレスリー・チョンがツァイ・ミンリャンの次回作に出るんじゃないかしらと思って…出てたらツァイさんの人生もちょっと変わってヒットメーカーになっていたかもしれないですね(笑)。その時は『青春神話』まだどこにも買われてなかったんですよね。その後たしか東光徳間配給でユーロスペースで公開しましたけど。

市山:(当時の電影通信のツァイ・ミンリャン監督の写真を見て)ちゃんとネクタイしている写真は今となっては珍しいですね。

篠原:あ、ほんとだ(笑)。当時、私も配給会社を始めてたんで、買って欲しいなあという雰囲気もあったんですけど、ちょっとこれを宣伝してヒットさせるのは難しいなあと思って、「この映画は無理だけど、次の映画が出来たら見に行くから教えてね!」って言ったら、次の『愛情萬歳』(94)がいきなりヴェネツィア映画祭で金獅子賞をとっちゃったんですよ。

市山:非常に早いというか、もちろん別に何本撮ったら金獅子賞っていうのはなくて、初監督でもとる人はいるんですけど、2作目にしてとるというのは中々すごいなと。

篠原:あの頃はホウ・シャオシエン(侯 孝賢)の『悲情城市』(89)がベネチアで金獅子賞を獲った後、世界的に中国語圏の映画に光が当たってた時期でもありましたよね。

市山:それはありましたね。あの年は多分オリヴィエ・アサイヤスとかが審査員に入っていたんで、あの人達が推したんじゃないですかね。というのは、『愛情萬歳』ってすごい映画なんだけれども分からない人には全然分からない映画で、それがグランプリをとったっていうのは多分誰かが強力に推して色々説明したりした結果だったんじゃないかなあと。

篠原:市山さんはどこでご覧になったんですか?

市山:もちろん劇場でも見ましたけど、最初に見た時は松竹に買ってくれっていうので送られてきたビデオで見まして、いやこの映画素晴らしいからこれくらいでって言ったら今だから言えるんですけどその倍ぐらいのオファーが出てると言われて、いやそれが本当だったのかブラフだったのかどうかは分からないんですけど…。

篠原:えっ、それはうちが倍の値段で買っちゃったってことですかね…。

市山:いや、松竹が出した金額が安すぎたってことがあったんだと思うんですけど。

篠原:電影通信のバックナンバーを見ていて思い出したんですけど、95年の元旦に台北で『愛情萬歳』の監督インタビューをやってるんですよ。暉峻創三さんがインタビュアーなんですけど、彼が当時中央電影公司の社長だったシュー・リーコン(徐立功)を紹介してくれて、試写を見に行きました。大きい立派な試写室で、台北って冬でもモワっと暑かったりする時があるでしょう? 大サービスのつもりで、ガンガンに冷房が入っていて3分ぐらいしてジンジン下から冷えてきてもう寒くて寒くてしょうがなかった(笑)。それでも最後まで見てもう完全ノックアウト状態で、では打合せをということで隣の部屋に入るとそこがまた体育館みたいな部屋で(笑)。相手と5メートルぐらい離れているんですよね。中央に大きなテーブルがどーんとあって、この半分国営みたいな、中央電影公司っていうのはすごいなと思いましてですね、あまりに寒いので、とっとと話しを決めようと思って、「是非やりたいんですけど、いくらいくらしかありません」って言ったら、「あ、それで良いですよ!」とか言って実際は5秒ぐらいで決まってしまって。お互い立ち上がって5メートルぐらいの距離を握手をしに行った覚えがありますね。

市山:確かその部屋行ったことありますね、デカイ部屋ですよね。西門町にあった事務所ですか?

篠原:そうそうそう、西門町。

市山:『青春神話』の舞台になっていて、『青春神話』を見たのも西門町にある中央電影の試写室だったんで。

篠原:確か1階に映画館があって。その前の道端で怪しげな雑誌とか売ってたりして(笑)。

市山:今はもうないんですよ。全部一掃されて整地して小綺麗になってしまって、数年前に行った時がっかりしましたね。

篠原:『愛情萬歳』は私もすごい感動してしまって、その年の8月に公開したんですけど、ちょうどその年の7月に『恋する惑星』(94)も公開したんですよね。

市山:『愛情萬歳』の年(94年)と言えば、ちょうど金馬賞の時期に台湾にいてセレモニーに行ったんですけど、ノミネート作品がすごくて、ウォン・カーウァイ(王家衛)の『恋する惑星』、スタンリー・クワン(關錦鵬)の『赤い薔薇、白い薔薇』、アン・リー(李安)の『恋人たちの食卓』、エドワード・ヤン(楊德昌)『エドワード・ヤンの恋愛時代』と『愛情萬歳』が作品賞を争うという、すごい豪華絢爛でちょっと今となっては考えられない勢いがありましたよね。

篠原:特にあの頃は中央電影公司を中心に、映画祭で賞を狙えるような才能のある監督を政策的に育てていこうというのがありましたよね。

市山:中央電影公司の社長のシュー・リーコンは――後にアン・リーの『グリーン・ディスティ二―』(00)のプロデューサーとして有名になった人ですが――すごく鷹揚な人で、商売のことは度外視して才能のある人に仕事をさせていました。

篠原:ホウ・シャオシエンにしてもエドワード・ヤンにしても彼が世に出したようなところがありますよね。

市山:そうですね、中央電影公司が最初に短編を撮らせたところから始まったりしてますからね。

篠原:そういう中で、ツァイ・ミンリャンのような台湾ニュー・ウェイヴ第2世代が出てきて、第1世代とともににピークにあったっていう感じだったかもしれませんね。あの年『愛情萬歳』はシネヴィヴァン六本木で、『恋する惑星』を銀座テアトル西友(現・銀座テアトルシネマ)で上映していただいたんですけど、最初『恋する惑星』をオファーしに行ったときに銀座の支配人に「なんで先にうちに『愛情萬歳』を持ってきてくれなかったんだ!」って怒られたんですよ。だからあの頃は金獅子賞っていうのはバリューがあるっていう感じだったんですよね。蓋を開けてみればもちろん『恋する惑星』は大ヒットして、後から考えれば良かったってことになったんですけども、それでも『愛情萬歳』もかなり入ったんですよ。これははっきり言ってペイしました。というのは、当時はかなりいい値段でNHKがテレビの放映権を買ってくれたんですよ。

市山:そうなんですよね、今はすごく売り難くなりましたよね。

篠原:今では考えられないですよ。『恋する惑星』も買ってもらったんだけど、それより少し高い値段で『愛情萬歳』も買っていただいて。

市山:それはヴェネツィアグランプリという…。

篠原:そうです。あの頃のNHKは、民放が出来ない事を積極的にやろう、興行的には地味でも芸術的な活動を応援しようという雰囲気があって。今となっては夢のまた夢ですが。映画って、買ってそのまま公開できるわけじゃないじゃないですか、宣伝費もかけなきゃいけないし、その間の配給会社の活動費もかかるわけで、ビデオはそう売れないですから、頑張って劇場とテレビの売り上げでカバーしていくことで、何とかペイ出来たんですよ。だから今思えばこの種のツァイ・ミンリャンのような映画を作っているような人達や我々のように配給する側にとっても良い時代だったなあと思います。


アート系映画が厳しい中での『黒い眼のオペラ』の宣伝

── 今回の『黒い眼のオペラ』(06)の話に移っていきたいと思いますが、こちらのディールが成立したのはいつ頃だったんでしょうか。

市山:上映した時ですよね。

篠原:ヴェネツィアに運悪く行っちゃってたんですよね(笑)。さっきの『愛情万歳』の後、『Hole』(98)を配給したんですよ。これは無謀にもね、シネマライズで公開して、必死で頑張ったんです。宣伝の女の子とかチャイナドレスを着て、渋谷で踊りました。倒れるんじゃないかと思うぐらい頑張ったんですけどね、中々興行的には厳しかった。でも、本当にツァイ・ミンリャンにしか出来ないチープでゴージャスなミュージカルだったんですけど、まあ端的にいうとコケて、劇場さんも厳しい目に皆であって、相当落ち込んだんですよ。次はちょっと自粛しようと我慢して。で『楽日』(03)はヴェネツィアかどこかで見て、私は立てないぐらい、泣き崩れるぐらいに感動して、その後すぐにツァイさんとプロデューサーに「素晴らしかった」と言ったんですけど、すぐには買いませんでした。「どこかね、良いオファーをしてくれるところがあったら売った方が良いよ。電影通信で応援するから」って言いました。そのときリー・カンション(李康生)の初監督作品『迷子』(03)も同時に売りたいというのがあってですね、まあ中々やりたいけど出来ないなって、でもどこも買わないんですよね。で、その次の『西瓜』(05)を東京国際でやったんですよね。


ツァイ・ミンリャン監督『Hole』

市山:『浮気雲』ってタイトルでやりましたね。

篠原:『西瓜』はずっと見ないようにしてたんですけど(笑)、それでも映画祭で見てしまって、その時にじゃあ3本まとめてならなんとかなるかもしれないと。だから公開は「ツァイ・ミンリャンを見てくれ!!」って感じで三本連続でやりました。ツァイさんもその頃国際的には評価されてもお客さんが中々見に来てくれないってことで、台湾でも厳しいわけですよ。それでチケットを百枚買ってくれたらどこへでも行きますっていう「わらじ売り作戦」ていうのをやって、台湾では『西瓜』は大ヒットしたんですよね。

市山:そうそう、講演付きで上映会を開いたりして、ヒットしたんですよね。

篠原:日本でもその方式で頑張ろう!って思って頑張ったんですけどね…。まあうちのスタッフは必死になって頑張りました。ツァイさんも何回か来てくれてトークを開いたり色々したんですけど、本当厳しかったです。でもそれはツァイ・ミンリャンだけが厳しかったわけではなくて…。

市山:もうアート系全体が厳しかったですね。

篠原:いわゆる単館系の映画館で公開する映画を見に来るお客様が、何を求めて見に来るかっていうのが、かなり様変わりしましたね。

市山:あと、全体の公開本数がすごく増えたんで、結局宣伝費を使わないと公開していることすら皆分からないという。宣伝費がなくて広告も打てないとやってることすら知らなかったという風に言われることがあるという。でも宣伝費をかければ当たるかっていうとそんなこともなくて…。

篠原:今都内で2・3館取りぐらいして全国100館ぐらいの公開規模だと、宣伝費8千万はかかると言われてますからね。

市山:それぐらいかかるわけですね。都内1館でやるのでも宣伝費は最低1千万ぐらいかかるんですけど、その1千万回収するのがすごく大変で。

篠原:当然収支予算というものは出すわけですが、つまり劇場の配収がこれくらい、ビデオがこれくらいなので収支はプラスになりますっていう計画書のもとに皆出資したりして買ったり作ったりするわけじゃないですか。でもほとんどね、夢物語ですよ。100本あって2、3本その通りにいくかどうかっていう。

市山:絵に描いた餅ですよね。だから今1千万って言いましたけど、予告編作って、チラシとポスター作ったら大体1千万ぐらいになるんで、ほぼ何も出来ないですよね。

篠原:ですから『黒い眼のオペラ』の時はそういう状況を何とか打破したいと思ってケチケチ作戦っていうのをやったんですよ(笑)。『愛情萬歳』の時なんかはTBSがついていたのもあってテレビスポットをがんがん流してもらったんですけどね。あの電話の音だけが流れる15秒スポットをプロ野球中継の間に3回ぐらい流したんですよ。これはビックリしたでしょうね。電話の音だからつい見ちゃうじゃないですか、まあそれを狙ってやったんですけど。後で知ってる人にはとんでもないことしてたねって言われましたけどね。まあ『黒い眼のオペラ』はそんなこと望むべくもない。で、見てもらうべき人に伝えるべく、1千万ぐらいで手作り宣伝で頑張ったんですけど、やっぱり中々届かなくて。でもこの映画、私はツァイ・ミンリャンの可愛いところと切なすぎるところが色濃く出ていて、とても好きなんですけどね。

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ツァイ・ミンリャン監督『黒い眼のオペラ』

市山:ある種のファンタジーというか、そういう映画になっていて良いですよね。

篠原:フィルメックスでも上映していただいて、丁度その時に今年カンヌに出ていた『瞼(Face)』の打合せをしていてツァイさん日本に来れなかったんですよね。

市山:丁度その時パリにいってましたね。

篠原:で、かわりにチェン・シャンチーが来てくれて。皆さん御存知の通り、『エドワード・ヤンの恋愛時代』でオードリー・ヘップバーンのように美しいあの女優さんが、この映画の中ではこんな事になっちゃってて(笑)。もちろん実物は超可愛かったですけど。その時に色々面白い話が聞けたんですが、一番印象に残っているのは、『楽日』のとき、彼女は足を引きずって歩く役だったんですけど、ツァイさんに何度やっても気に入って貰えなくて、最後にツァイさんが「本当に足を折ってきたら」って言ったんですって!

市山:鬼ですよね。大体僕なんかいつも映画祭とかでしか会わないからいつもニコニコしてて、でも多分現場では豹変して…。

篠原:鬼ですよね、怖くないですか!? でもそういうのあっけらかんと言っちゃうんでしょうね。『黒い眼のオペラ』の時は初めてマレーシアで撮ったじゃないですか。で、チェン・シャンチーは1ヶ月ぐらいだったかな、この舞台になったちっちゃな町の食堂で一番最下層の移民の労働者達に混ざって実際に働いたんですって。誰もチェン・シャンチーの顔知らないし、スッピンだとわからないじゃないですか。それで同じ所に寝泊りして、労働をしたらしいです。ツァイさんの場合はそういう作り方なんですよね。だからそういうのに付き合ってくれる役者さんが必要ですよね。

市山:普通のスターを使うとなると中々難しいですよね。だから同じような人がいつも出ているのかもしれないですよね。


今年のカンヌ映画祭は「分からない映画」のオンパレード

篠原:まあそろそろ今年のカンヌの『瞼(Face)』の話に行きたいんですけど。

市山:これは逆にプロの役者、フランスのそうそうたる俳優が出ていて、現場でどうやって演出したのかっていうのは本当に聞いてみたいところなんですけど。白い衣裳を着ている人はレティシア・カスタというファッションモデル界では相当に有名な人で、レッドカーペットではツァイ・ミンリャンなんかどっかいっていてこの人の写真ばっかりだったんですけど。映画はシャオカン演じる台湾人の映画監督がフランスに行って映画を撮るという話で、一応映画の内容はオスカー・ワイルドのサロメをモチーフにして撮っているという設定なんですけど、映画見ていると何が何やら、それはもうどうでもいいっていう内容になってるんですけどね(笑)。レティシア・カスタは映画中、サロメを演じている設定で。(スチールを見ながら)このシーンはわりと前半のシーンの、雪山の中に鏡を立ててそこに人物や木が写りこんでいくという凝ったセットなんですが、ここに出てくる鹿が「ゴーン」と鏡に当たって場内が大爆笑になったというツァイ・ミンリャン特有のユーモアも(笑)。そのシーンをカットしないところが彼らしい。

まあ内容は映画を撮りに来た台湾人の監督の日々の話ということなんですが、キャスティングがとにかく豪華でですね、ジャン=ピエール・レオという皆さんご存知だと思うんですが、トリュフォー映画の『大人は判ってくれない』(59)以降の、いわゆるアントワーヌ・ドワネルものに出てくる俳優で、『ふたつの時、ふたりの時間』の時にもワンポイントで出ているんですけど、今回はほぼ全篇、劇中映画の中でサロメのヘロデ王を演じる俳優ということで出てきているんです。途中すごいのはシャオカンとレオが延々と話しているカットがあるんですよ。何語で話しているのか良く分からなくて、なんかシャオカンが「ふんふん」と言ってたりしてレオが一生懸命話している言葉の端々を聞いているとその中で“ミゾグチ”とか言ってて(笑)。


ツァイ・ミンリャン監督『瞼(Face)』

篠原:“ミゾグチ”って言われてもシャオカンも困っちゃいますね。

市山:あんたは“ミゾグチ”みたいだと言いたかったのかどうなのかは分かりませんけど、とにかく今回全篇にレオが出ていてツァイ・ミンリャンは楽しかっただろうなと思いますね。その後ろにいるのがファニー・アルダンですね。彼女は映画の中で映画プロデューサーの役で出てきていまして、がんがんトラブルを処理している設定なんですけど、この人はトリュフォーの『日曜日は待ち遠しい!』(83)とか最晩年の映画に出ていて、しかもトリュフォーと恋愛関係にあったという有名な話があるんですが。さらにゴージャスなのがジャンヌ・モローとかナタリー・バイというこれもトリュフォー映画の女優なんですが、いきなりこの二人が出てきてファニー・アルダンと三人でディナーをするというシーンがあるんですね。全然ストーリーとは関係ないような気がして、もしかしたら関係あったのか僕には分からなかったんですが、おもむろに突然その三女優が雑談をしている場面があったりして。

トリュフォーの映画に『アメリカの夜』(73)っていうやっぱり映画の撮影現場を扱ったジャン=ピエール・レオ主演の映画があって、これはストーリーはちゃんとしてて映画現場の中で起こることを面白く描いているんだけれども、それへのオマージュとも言えるんだけど、それを期待して見に来た人にはまた全然違う印象を与えるという、すごいやっかいな映画ですね。あとこの映画は実はルーヴル美術館が共同製作で入っているんですね。元々僕がツァイ・ミンリャンから聞いていたのが、ルーヴルがお金を出してくれて映画を作るという話だったんですけど、僕が見る限り途中まで全然ルーヴルは出てこないんですよ。こういう感じで撮影現場の色々なショットは出てくるんですけど、ルーヴルで撮ったのかどうかも良く分からない感じで出てきてて。これルーヴル出てこないんじゃないのって思ったらラストのラストでいきなり出てくるんですね。ジャン=ピエール・レオが失踪して皆で探してたら、いきなりルーヴルの名画の下の通気口からボコッと出てくるすごいシーンがあるんですが、そこは『Hole』なんですよね。穴からレオがぽんぽんっと出てくるっていう。それぐらいしかルーヴル美術館らしいところはほとんど出てこないんだけど、製作にはルーヴルが入っていて、多分出資もしているという映画ですね。

僕がツァイ・ミンリャンがルーヴル美術館のお金でフランスの有名キャストを使って撮ると聞いて想像していたものとは、確かにその通りなんだけど想像と全然違っていてすごい驚いたというのが正直な感想で、本人はどう思っているのか分からないけど、とにかくやりたい放題という感じがあって、実際に聞いたら、いやそんな事ない大変だったって言いそうな気もするんだけど、はたから見ると今までやりたかった事をここで全部やってしまいましたという感じがするし、俳優も今言ったフランスキャストはすごい豪華キャストなんですが同時にいつものメンバーも出ているんですね。あのルー・イーチン(陸奕静)さんでしたっけ、ここ最近のツァイ・ミンリャン映画に出ている、あとワンポイントですけど、ヤン・クイメイ(楊貴媚)とチェン・シャンチーも出てますし、あと『黒い眼のオペラ』に出たアトン(ノーマン・アトン)さんもなぜか入っている。あとチェン・チャオロン(陳昭榮)も出ていたと思うし、とにかく今まで彼の映画で大変な事をやってきてくれた方に皆さん出てもらったという感じですね。

篠原:同窓会じゃないんだから(笑)。まあ、やってしまった感じですね。

市山:本当にそういう意味ではある意味集大成とも言えるんですけど、これから何処に行くんだろう? というくらい過激な映画になっていて、ここで丸く収まってしまわないところがツァイ・ミンリャンらしいですし、すごく刺激的な映画で面白かったですね。

篠原:そのルーヴルの出資で撮るんだっていう話はかなり前から聞いていて、もう『黒い眼のオペラ』の頃は既に言ってましたよね。

市山:結構早い時期から決まっていて、ただルーヴル美術館の方も体制が整っていないとかで最初延ばされていて。

篠原:「ルーヴルの休みの日にいつでも入れるから、モナリザを独り占めしたかったら僕に言ってね!」なんて言われた事があります(笑)。でも、「あなたモナリザとか絶対撮らないよね?」って言ったら「うん!」とか言っちゃって(笑)。

市山:今回レオが穴から出てくる所もダヴィンチの絵なんだけどモナリザじゃないのを使ってましたね。わざとモナリザを避けて使ったのかもしれないですね。

篠原:でもまあ良かったですよ。トイレだけ撮りましたとかだったらどうしようかと思って。

市山:トイレと庭だけとかね、でも最後にちゃんと絵も出てくるんですね。

篠原:でもさすがにツァイさんもこの映画が完成するまでには色々苦労はしていたみたいで、リー・カンションの二本目の監督作『ヘルプ・ミー・エロス』(07)がヴェネツィアに出た時、2年前でしたか、中々お金が集まらなくて一時中断してるんだというような話をしていて。ルーヴルは全額出資ではなかったんでしょうね。フランスでその後そういうゴージャスなキャストが決まって出資がついたのかもしれませんけれども。

市山:とにかくファニー・アルダンとかジャンヌ・モローは対応出来るような気がするんですが、果たしてこのレティシア・カスタは何を思って出ていたのかなというのが…(笑)、でもまあ本人がそういうのはOKな人なのかもしれませんね。

篠原:わりと一回は出てみたいってタイプの監督なのかもしれませんね。日本でも女優さんとかいますよ、一度でいいからツァイ・ミンリャンの映画に出てみたいっていう人。自虐的な感じでズタズタにされてみたい、みたいな感じがあるんですかね(笑)。

市山:『瞼(Face)』は、本当にルーヴル美術館に飾って置きたいような、ゴージャスな場面が次から次へ出てきて。

篠原:これ、衣裳とかも結構お金掛かってますよね。もう『Hole』の時なんかすごかったですからね、一見ゴージャスなんだけどよく見たらトイレットペーパーが天井から下がってた、みたいな(笑)。でも、やっぱりフランスっていうのはこういうアート映画を作るに於いて無くてはならない存在になりつつありますよね。

市山:そうですね、今回ジョニー・トー(杜琪峰)とかロウ・イエ(婁燁)の映画とかアジア映画が出てたんですけど、フランスの共同製作になってますね。フランスでも最近ハリウッド映画が大人気なんですけど、丁度カンヌの期間中何が一番入っているのかと思ったら『ナイトミュージアム2』だったという。でもやっぱり文化省とかそういった所は映画を何とかしなきゃいけないと、それはフランス映画を振興するだけじゃなくて、海外の才能を何とかしなきゃいけないっていうのは政府を挙げてというのがありますし、あと配給会社とかテレビ局とかも、まあ少なくなってきたとは皆言っているんですが、やっぱりお金を出してくれたりだとか。あと諏訪敦彦さんの『ユキとニナ』というイポリット・ジラルドというフランスの監督と共同製作した、これも素晴らしい作品で来年早々に日本でも公開されるんですけども、これもフランスの大きなテレビ局が出資しててですね、内容は女の子二人が可愛らしい映画で、素晴らしい映画なんですけども、こういうのは懐が広いという感じがしますね。

篠原:日本なんかだと当たらないものはダメなものという雰囲気が業界を中心に出来てしまって、だからメディアなんかもそういう目で見てるようなところがありますね。『ホウ・シャオシエンのレッド・バルーン』(07)の時に試写を見にいったら、上映前に「もうホウ・シャオシエンはダメだよねえ」みたいな事をおっしゃっている方がいらしてですね、私はもう自分を抑えるのが大変でした。あの監督の、違う領域へ踏み出そうとしているところを全然見ていない。自分がわからなことを映画のせいにして切り捨てるのは、いくらなんでも評論家としてあってはいけないことでしょう。

市山:あれは傑作でしたよね。キネ旬のベストテンとかでも全然無視されてて、驚きました。

篠原:高崎(高崎俊夫)さん、お一人だけ入れてましたね。

市山:あれはアメリカの去年の色んな映画雑誌の、アメリカ映画も含めた中で二つぐらい1位に入ってましたよね。だからその辺が日本の場合問題で、すごくヒットしないとベストテンにも入らないという変な感じになってますよね。

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篠原:ヒットしてないものから選ぶと偏ってると思われないかしら、みたいな風潮がありますよね。でも本当は映画は色んな見方があっていいし、評論家の人っていうのは当たってないけどこんなに素晴らしい映画があったんだよっていう、ちゃんと映画を発掘して次に繋げていくのが役割ではないかとも思うんですけども、中々そういう事が出来づらくなっている環境ではありますよね。で、結局それがお客さんにも影響していくというか、まあニワトリと卵の関係なんだけども、あんまり暗い話にはしたくないんですけども、でもどうしても言わざるをえないんですけども、十数年前、それこそ『愛情萬歳』の頃は確かにこれを見て深く感動した人ばかりじゃなかったと思うんですよね。「なんじゃこりゃ?」と思った人もいたかもしれない。でも自分が分からない事に触れて「?」マークも含めて、どこかざわざわした気持ち、感受性とか思考とかが柔らかくなっていくというか自由になるっていうか開発されるっていうか、そういうのが快感だったりするわけじゃないですか。映画を見る楽しみの一つにはそういうものがあったと思うんですけど、確実に『愛情萬歳』を見に駆けつけて下さった観客の皆さんにはそういう方が多かったと思うんですけど。だんだんね、わけのわからない映画はダメな映画みたいな風に言われるようになって。


市山:そうなんですよね。だから分からない事は分からないと言ってしまえば良いって言うとちょっと変ですけど、でも本当はならこれは何かあるに違いないとなればいいのに、分からない事で終わってしまって、全くそういう映画は要らないという感じになっている雰囲気はありますよね。

篠原:映画に限らずなんでも全体的に保守化というか、例えばファッションなんかでも川久保玲さんとかヨージ・ヤマモトさんなんかが世界にバーンと出て行った頃なんかは、自分に似合う似合わないはともかくとして、そういう服に包まれてみたいって思って頑張っている子達もいたわけじゃないですか。でも今はストリートマガジンですよね。自分がすぐにでも着れるかもしれない服の雑誌がやたら売れてて。色んな分野でそういう現象になっていて、映画だけどうこう言っていてもしょうがないのかなあとも思ってるんですけど。

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市山:今年のカンヌ映画祭はそれこそ「分からない映画」のオンパレードという感じで、僕はこんなに楽しんだカンヌ映画祭は久々だったんですけど、とにかく色んなものがあるわけですね。普通のドラマだけじゃなくてバイオレンスものがあったりとかツァイ・ミンリャンみたいにぶっ飛んだ映画があったりとか、ギャスパー・ノエの映画(『エンター・ザ・ボイド』)も相当ぶっ飛んでて面白かったんですけど、とにかくそういう映画の最先端というか、皆がやってない事をやってやろうみたいな、そういう映画がたくさんあったんです。ところが日本に帰ってきて驚いたのが、インターネットとかで読んでいると今年のカンヌはラインナップが良くなかったと理解している人が結構いるんですよ。カンヌに来ているマスコミの人達が、日本だけじゃなくて世界的にそういう傾向があるんですけど、よく分からない映画が多かったということでパッとしなかったみたいな印象を持ってしまうというのはちょっと危険な感じがしましたね。


篠原:我が電影通信はもちろん市山さんのレポートなんで、今年は大変実りある第62回カンヌ映画祭という風になってますよ。でも本当、受賞作を見てもこのメンドーサ監督のフィリピン映画『キナタイ』が撮りましたね、監督賞ですよ。

市山:上からいうと三番目ぐらいの賞なんですね。

篠原:この監督の去年カンヌに出た作品も、結構物議を醸したんですよね。

市山:『セルビス』(08)ですね。『セルビス』はいわゆる性風俗に従事している人々の群像ドラマなんで、性描写で拒否反応を示した人がいたんですけども、『キナタイ』はいわゆる残虐な殺害シーンが出てくると、そこはあまり見せない撮り方をしてるんだけれども、逆にそれが恐怖感を煽る撮り方をしていて、そこは技術的にも優れていると思うんですけど、退場者がばらばらとでて、プレスの人達が見ている会場ではブーイングが起こったりして。

篠原:意思表示がはっきりしてますからね。それはいいんだけど、カンヌのプレスの試写とかマーケット試写に行くと、ひどいマナーの人が増えた気がします。途中でメールしてたり電話を掛けだしたりする人までいて、映画業界で働いていながら全く映画をリスペクトしていないというか。

市山:マーケット試写はまだ出て行くのは分かるんですけどね。これは商売にならないと思えば別の試写に行くわけですが、プレスの人達ぐらいは最後まで見て欲しいですよね。例えばジョニー・トーの映画とか最初に素晴らしいアクションシーンがあってですね、いきなり一家皆殺しになるんですけど、その瞬間に出て行く人がいるんですよ。この後見ろよって思うんですけど、その時点で私こんな映画大嫌いみたいな感じで出て行く人がいたりして、プレスでそれでいいのかって。

篠原:ツァイ・ミンリャンのこの『瞼(Face)』の正式上映の時もバラバラ人が出て行って、中国の女性記者に「あなたの映画を理解出来ない人は馬鹿だと思うか?」って聞かれて「あなたのようなメディアが馬鹿なんです!」ってかなり怒って言ったなんていう話がありましたけど、つまりツァイさんは、どんな意見があっても良いしどんな見方があっても良いけれどもそういう風な言い方をしてもっと映画を狭めてしまう、メディアがそういう姿勢だから映画が立ち行かないのだ、というような事が言いたかったんじゃないかなと思うんです。たまたまネットをみて二次三次情報で知っただけなので本当かどうかは分からないんですけど、ツァイさんが何故そんなに怒ったのかって聞かれて、「上映の途中でそれを言われたからだ」と言ったという記事があったんですよ。とにかく、観客になるであろう人達と作り手の仲介となるべきマスメディアの人とか買い付けをする人とかが、そんなふうに映画に対して愛がないというか寛容さがないというかそういう事なので、ツァイ・ミンリャンのような映画作家は今本当に大変だなあと思いますね。でもそういう中で『キナタイ』とかが賞をとって、少しはね。

市山:あとパク・チャヌク(朴贊郁)の『コウモリ』も正直言ってプレスの中には文句を言ってる人がたくさんいたんですけど、すごい面白かったんです。血みどろの、神父が吸血鬼になってそれで好きになった女と共謀してその夫を殺すという『郵便配達は二度ベルを鳴らす』みたいな感じの話にどんどんなっていってかなり面白かったんですけど、これも受賞した時にプレスの中から「えー」っという感じの声がでて、「No!!」とか聞こえてきたりしてましたね。

篠原:むこうの人は自己主張激しいですからね。あとほら、ロウ・イエのホモセクシャルの映画(『春風沈酔的晩上(Spring Fever)』)が脚本賞をとって。まあ脚本賞じゃなくても良かったのかもしれないけど何か賞をあげたかったんでしょうね。

市山:多分そうでしょうね。これは素晴らしい映画でロウ・イエが初めてカンヌで賞をとって良かったなと思ったんですけど、脚本が特に良かったっていうよりは、本当は撮影賞とかがあったらそっちの方が良かったかなと思えるタイプの作品なんです。ロウ・イエは『天安門、恋人たち』(06)という映画をカンヌに出したことで五年間ぐらい活動禁止になっているんですね。にも関わらずこれは南京で堂々と撮影されていて、お金はフランスの『天安門、恋人たち』と同じところから出ていて、出資国としては香港・フランスという風になってます。まあ中国で普通に中国の俳優を使って撮られている映画なんですけど、どうせ活動禁止になっているから絶対に公開できない映画をこの際撮ってやろうというような感じじゃないかと思っているんですけど。ホモセクシャルな映画だと絶対にシナリオは通らないんで、どうせ活動禁止なら今のうちにこのテーマでってことかもしれませんけど、五人ぐらいの人物が出てくる群像劇風で、中々これは良かったですね。主人公の男性は知らない人なんですけど、ちょっとチャン・チェン(張震)に似ていて今後ブレイクするかもという気がしますね。

【後編】へ続く



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黒い眼_ジャケット

湿気を含んだ街並み、モーツァルトからチャップリンまで全編に溢れる音楽、建設半ばで打ち捨てられたオペラハウスのような巨大な廃墟、そして廃墟にたまる水のよどみの静寂に立ち表れる、限りない幸福感に満ちたラストシーン。 愛を渇望する孤独な人々を描き続けてきたツァイ・ミンリャンが初めて故郷マレーシアを舞台に描く、切なくも哀しい愛の物語。それは、これまでにない優しさと愛おしさにあふれている。

監督・脚本:ツァイ・ミンリャン
出演:リー・カンション、チェン・シャンチー、ノーマン・アトン、パーリー・チェア、他
2006年/台湾・フランス・オーストリア/本編118分
価格:4,935円(税込)
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