骰子の眼

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2009-07-18 23:14


『マンガ漂流者(ドリフター)』第12回:真実から眼を背けることで想像力を掻き立てるマンガ家・鳩山郁子 vol.4

鳩山郁子が影響を受けたニューウェーブ作家の「ニューウェーブ」とはそもそも何か?しかも鳩山とペヨトル工房の印象が一致する!?
『マンガ漂流者(ドリフター)』第12回:真実から眼を背けることで想像力を掻き立てるマンガ家・鳩山郁子 vol.4
(左)78年「STARLOG 日本版」創刊号、(右)86年「銀星倶楽部」5号

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前回、Vol.3では、鳩山郁子のマンガが「少女マンガ的」では「ない」という理由を連ね、掲載誌の特徴、ニューウェーブ作家からの影響について述べてきた。そもそも、「ニューウェーブ」とは何ぞや?という若い読者のために簡単におさらいしておこう。

マンガにおける「ニューウェーブ」とは?

一言で言えば、少年、少女、青年マンガ「以外」のジャンルのことで、マンガの王道に対抗する「反マンガ的」な姿勢を持ったマンガのこと。今となってはその「反マンガ的」という評価に意味はないが、当時はマンガの王道から逸れ対抗すること、それ自体が新しかったのだ。この連載でもたびたび取り上げているが64年に創刊した「ガロ」と67年に創刊した「COM」がまず、あった。この発展として、従来の枠に捉われないマンガを指し「ニューコミック」「ニューウェーブ」と冠されるようになるのは、70年後半に入ってからである。

【はみだしコラム】
「SFマンガ」から「ニューウェーブ」と呼ばれるマンガ家の出現まで

さて、この「ニューウェーブ」という便利な名称は日本ではさまざまなジャンルで使われており混乱する。現在では「ニューウェーブ」と言うと、パンク以降の音楽の一ジャンルと認識されてしまったように思う。

学生運動が盛んに起きた60年代の日本では、急速に変わりゆく社会と上手くリンクし、若者に支持されたのがSFであった。まず、ここで「ニューウェーブ」(以降、「SF/ニューウェーブ」と記す)という言葉が使われはじめる。59年より続く「S-Fマガジン」(早川書房)があり、69年に評論家で小説家の山野浩一が編集を務めた「季刊NW-SF」(NW-SF社)というそのものズバリな雑誌が創刊されている。

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ちなみに第一期のSFブームの立役者は、67年にアニメ化され当時40%という驚異的な視聴率を記録した『鉄腕アトム』、68年の映画『2001年宇宙の旅』の影響が大きいだろう。

写真:9月発売予定の『手塚治虫生誕80周年記念 鉄腕アトム《オリジナル版》復刻大全集 ユニット1[1951‐1968年]

まず、こういった兆候が60年代後半にあったことは、後のマンガの「ニューウェーブ」と無関係ではなさそうだ。


日本の「マンガ/ニューウェーブ」は、「SF/ニューウェーブ」からの影響も否めないが、時期的に鑑みると70年代後半にイギリスを中心に発生したパンク、ロック以降の音楽のムーブメントからの影響もあるのだろう。「パンク」から「ニューウェーブ」、そして80年代の「テクノポップ」へと移り変わる音楽の流行として「ニューウェーブ」。

つまり、「マンガ/ニューウェーブ」とは、「SF/音楽/ニューウェーブ」にあったイメージを合流させたもので、そこには「反骨精神」という姿勢は薄く、単に70年代後半に起きたマンガ表現の拡張を「新しい波」として、受け入れたのだと思われる。よりカジュアルに、よりカッコイイもの、いわゆる「ナウ」だ。それが日本の「マンガのニューウェーブ」という気分であったのではないか。

そんな「マンガ/ニューウェーブ」の夜明け前。76年に朝日ソノラマ社が初めて作ったマンガ雑誌「マンガ少年」が創刊された。

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少年誌に少女マンガ家が執筆するこということが珍しかった時代に竹宮惠子の『地球へ…』が掲載されたことでも話題となった。もともと73年に休刊した「COM」から移籍した手塚治虫『火の鳥』を雑誌の要としていたことからも分かるとおり、「COM」デビューの竹宮をはじめ、石森章太郎(石ノ森章太郎)、藤子不二雄、松本零士、ジョージ秋山など手塚人脈が勢ぞろい。その他の執筆者には倉多江美、吾妻ひでお、新谷かおる、ますむらひろしなど。この顔ぶれからも予想できるが、少年誌というよりはSFマンガ雑誌としたほうがしっくりくる内容だ。ちなみに高橋葉介がデビューしたのも同誌である。

写真:77年に連載がスタートした竹宮惠子の『地球へ…』。単行本、文庫版、新装版と幾度も版を重ね、80年と07年にはアニメ化もされた。時代を経てもなお愛され続けている名作。書影は91年に愛蔵版として中央公論社より発売されたもの。

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「マンガ少年」以降、70年後半になると奇想天外社「マンガ奇想天外」、アニメージュの増刊として生まれた徳間書店「リュウ」、東京三世社「少年少女SFマンガ競作大全」などが次々と創刊され、世はまさにSFマンガ誌バブル!この背景には、老舗SF誌「S-Fマガジン」から発生した「ハヤカワ文庫SF」(ともに早川書房)シリーズが70年に刊行を開始したことや、74年創刊の盛光社「奇想天外」(のちに版元を大陸書房へ移す)、78年に『スターウォーズ』特集を掲げて創刊した「スターログ」日本版(ツルモトルーム出版)などの影響がある。なお、78年には『スターウォーズ』『未知との遭遇』、79年『スーパーマン』『スタートレック』、82年『E.T.』、83年『ブレードランナー』と次々と大ヒットSF映画の封切られたほか、アニメでは79年に『機動戦士ガンダム』が、78年に「週刊少年サンデー」(小学館)で短期連載され、のちに長期連載となった開高橋留美子の『うる星やつら』が81年よりアニメ化されたことも付け加えておこう。

写真:「吾妻ひでおを読まずに、SFは語れない」とキャッチコピーも高らかに。80年「スターログ」2月号に掲載された吾妻ひでお『不条理日記』の広告より。

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「S-Fマガジン」を「JUNE」ぽくパロディにした。こんな「S-Fマガジン」なら女の子も納得した!? 80年「スターログ」2月号「第1回 SF考古学講座 」より。イラストは浅丘と同じく高校生だった牧村久美。プロフィールには、「花とゆめ」マンガ家コース努力賞受賞、橋本治の『桃尻娘』順レギュラーとある。

そういった時代的背景もあり、ともかくSFが大ブームだったわけだ。これだけブームになってくると、同じ趣味でも「メジャー(大衆・俗)/マイナー(少数・先鋭)」「ナウ(新)/クラシック(旧)」といった差異化を行い、優劣を競うようになるのが、いかにも80年代的発想である。

象徴的だなと思ったのは、映画・TV・アニメ・コミック・アート誌と冠し、ビジュアルを全面に打ち出した「スターログ」だろうか。80年2月号では、17歳のきゃっぴきゃぴの女子高生ライター浅丘ちあきが「第1回 SF考古学講座 SFマガジン創刊号を読む 黄金時代のSFとやらを読んでやろうじゃない」として、見るからに頭の悪い文体でアーパーさを装いながら「S-Fマガジン」を批判。「SFってやっぱ確実にシンポしてるらしいんだもの。だからさァ、SFマガジンの創刊号を持ってないからって、オジンどもにいばられる必要はないってことなのよ。ともかくさァ、このコラムはこれから先、あのオジンどもの宝物をテッテ的に発掘して、その正体を白日のもとにさらけだしていくつもり。」というノリ。

過去よりも現在の作品のほうが優れているというスタンスですが、まあ、分からなくもないけれど、何も頭ごなしに全否定する必要はないだろう。今、あなたがその作品を甘受できてるのは先人のおかげなのに。という当たり前のツッコミを時空を越えてしたくなるような内容で興味深い。

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さらに同号では、作家で女優の鈴木いづみのエッセイがスタート。第一回「SFには、メカニカルなつめたいものへの愛情がある―」では、ジャズファンと古参のSFファンを「インテリぶってて、権威が好き」と一刀両断。権威に振り回されず自分の意見はっきり言っちゃうセンスの良い女の子ってカッコイイ!そして、バカだからかわいい!と男子にもてはやされる様が想像でき、「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」という80'sのトレンドを感じさせます。このようにバカなふりをするというのは男性からの攻撃を避ける手段としてかつては有効だったため、男性読者が多い雑誌いわゆるエロ本からデビューした岡崎京子や桜沢エリカも取り入れておりました。

写真:80年「スターログ」2月号「SFには、メカニカルなつめたいものへの愛情がある―」より。イラストは橋本治。

これらのSF誌が新しかったのは、読者の性別を限定しなかったところだ。マンガでは『地球へ…』や「少年少女SFマンガ競作大全」のタイトルを指摘するまでもなく、「SF」というジャンルさえ成していればなんでもOK!という姿勢。少女/少年マンガという越えられない壁を「SF」が仲人したことで読者層を拡大させることに成功したのだった。



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「マンガ/ニューウェーブ」の旗手として、注目されていたのが大友克洋を筆頭に、さべあのま、高野文子、吾妻ひでお、ひさうちみちおなどが上げられる。

彼らのようなマンガ家を「ニューウェーブ」と称したことで、他の少年、少女、青年向けマンガと差別化し、また、作品のジャンルをSFに限る必要がなくなった。「マンガ/ニューウェーブ」は、単にこれまでのマンガの手法を乗り越えようとする傾向や姿勢を「良し」とする。そうすることで、「これぞ新しいマンガ時代を切り開くものだ!」と読者に期待を持たせたのだった。

写真:82年、矢作俊彦&大友克洋の単行本「気分はもう戦争」(双葉社)に掲載された広告より。「ニューウェーブの旗手」と売り文句が。

「ニューウェーブ」の作家たちの特徴は、マンガ誌以外の雑誌での活動にある。軽々とジャンルを越えていく態度を良しとした「ニューウェーブ」の作家たちは、これまでの既成のルールを破壊し、マンガの可能性を飛躍的に拡張した。同時にこの時代の「少女マンガ」というムーブメントも、「ニューウェーブ」と密接にリンクしているがこの稿では詳しく触れないでおこう。


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漫画は虚像である。
漫画は感傷である。
漫画は抵抗である。
漫画は自慰である。
漫画は奇矯である。
漫画は情念である。
漫画は破壊である。
漫画は傲慢である。
漫画は愛憎である。
漫画はキッチュである。
漫画はセンス・オブ・ワンダーである。
漫画は……。
結論はまだない。
漫画は、現在も、明日も、明後日も、分裂しては増殖しつつジワジワと変貌する。

(手塚治虫「ぼくはマンガ家 手塚治虫自伝・I」(79年・大和書房)より。書影は09年に毎日ワンズより発売された『ぼくはマンガ家』)



そう、かつてマンガとは何をしてもいい「自由なメディア」だったのだ。


80's的きゃぴリズム(女子がきゃぴきゃぴいっている様)から遠く離れて

銀座クラブ

しかし、鳩山郁子は80's的なきゃぴきゃぴした女性像から遠く離れていた。同世代の女性たちがきゃぴきゃぴ言っていた時に「少年」の眼差しを会得し、人気を得たのは何故だろうか。これもまた、きゃぴリズムに対するカウンターであったのだろう。女性がきゃぴきゃぴガールズトークで男性にお目こぼしてもらったり、媚びることを厭わない女性が増えればそれに対して違和感を抱く人も必ずいる。彼女らは欲望される対象が介在しない耽美系雑誌……前回も触れた「JUNE」、面白ければ何でも載せちゃう「ガロ」そして、78年に創立したインディペンデントの出版社でありながら当時のサブカルチャーとは切っても切れないペヨトル工房が刊行した「夜想」、その増刊号として80年に創刊した「銀星倶楽部」に流れていくのは至極、自然である。

写真:84年「銀星倶楽部」創刊号。ロゴにはオディロン・ルドンの『目』が用いられていた。

「銀星倶楽部」は、たむらしげる、まりのるうにい、鴨沢祐仁、鈴木扇二、坂田靖子、奥平イラらのマンガが掲載されており、このことから雑誌のカラーが推測できるだろう。「ガロ」や「JUNE」など無数に散らばる稲垣足穂の影響から生まれた「少年が主人公のファンタジー」というジャンルのみを抽出。一把に括られたことにより、一つのジャンルとして可視化されるようになるが、特にこのジャンルに名前が付けられることはなく、なんとなく「稲垣足穂っぽいマンガ」と呼ばれていたように思う。鳩山の初期作品はこの「稲垣足穂っぽいマンガ」として、「銀星倶楽部」が再提示した世界観にとても似ており、単行本化された作品から判断しても、意識的に選び取っているのが分かる。

さて、ざっと「ニューウェーブ」について振り返り、ペヨトル工房まで繋げてきた。次回はもう少しだけ、ペヨトル工房に迫り、その影響を探りたい。ぺヨトル工房の雑誌は時代に左右されず美学が一貫しているため、今読んでも古びた印象がない。知的好奇心を満たすコラムも充実しているので、資料的価値も高い。これはそのまま鳩山郁子のマンガに対する印象と一致するのではないか? この推理をさらに広げていこう。

(文:吉田アミ)


【過去のコラム】
吉田アミの新連載コラム『マンガ漂流者(ドリフター) ~新感覚★コミック・ガイド~』がwebDICEでスタート!(2009.4.22)
『死と彼女とぼく』川口まどか(2009.5.2)
川口まどかにリンクするコミックはコレだ!【リンク編】(2009.5.8)
女性マンガ家の先駆け「やまだ紫」【前編】(2009.5.15)
女性マンガ家の先駆け「やまだ紫」【中編】(2009.5.22)
女性マンガ家の先駆け「やまだ紫」【後編】(2009.5.29)
「象徴」と「暗喩」を描くマンガ家・鈴木志保【前編】(2009.6.5)
「象徴」と「暗喩」を描くマンガ家・鈴木志保【中編】(2009.6.12)
「象徴」と「暗喩」を描くマンガ家・鈴木志保【後編】(2009.6.19)
真実から眼を背けることで想像力を掻き立てるマンガ家・鳩山郁子 vol.1(2009.6.26)
真実から眼を背けることで想像力を掻き立てるマンガ家・鳩山郁子 vol.2(2009.7.3)
真実から眼を背けることで想像力を掻き立てるマンガ家・鳩山郁子 vol.3(2009.7.10)


吉田アミPROFILE

音楽・文筆・前衛家。1990年頃より音楽活動を開始。2003年にセルフプロデュースのよるソロアルバム「虎鶫」をリリース。同年、アルスエレクトロニカデジタル・ミュージック部門「astrotwin+cosmos」で2003年度、グランプリにあたるゴールデンニカを受賞。文筆家としても活躍し、カルチャー誌や文芸誌を中心に小説、レビューや論考を発表している。著書に自身の体験をつづったノンフィクション作品「サマースプリング」(太田出版)がある。2009年4月にアーストワイルより、中村としまると共作したCDアルバム「蕎麦と薔薇」をリリース。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売される予定。また、「このマンガを読め!」(フリースタイル)、「まんたんウェブ」(毎日新聞)、「ユリイカ」(青土社)、「野性時代」(角川書店)、「週刊ビジスタニュース」(ソフトバンク クリエイティブ)などにマンガ批評、コラムを発表するほか、ロクニシコージ「こぐまレンサ」(講談社BOX)の復刻に携わり、解説も担当している。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売された。近々、佐々木敦の主宰する私塾「ブレインズ」にて、マンガをテーマに講師を務める予定。
ブログ「日日ノ日キ」

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