庭劇団ペニノ08年初演『苛々する大人の絵本』 撮影:田中亜紀
庭劇団ペニノ 第17回公演『苛々する大人の絵本』(再演)
2009年4月9日(木)夜 自由席で観覧
出掛けに、会場は確か表参道だったよなと思いチケットを確認すると、「はこぶね」という聞き慣れない劇場名と、「会場の都合上、ご入場の際のお願いがございます」との注意書きがあったことに気付く。危うく見逃すところだった、と、慌てて詳細をウェブサイトで確認するとこんな記述が……。
お客様各位
会場となります「はこぶね」は、一般のマンションの一室となっております。
そのため、お客様には以下の点につきましてご協力をお願いいたします。
・駐車場はございません。公共交通機関をご利用ください。
・ロビーがございません。開場前にご来場いただいた場合、屋外にてお待ちいただくこととなります。
・開場前にご来場の場合、青山劇場/円形劇場楽屋口横の東京ウイメンズプラザの看板前付近でお待ちください。当日はスタッフが集合場所に立っています。
・開演時間となりましたら、チケットに記載の整理番号順に劇場までご案内します。
・開場時間後は、直接劇場までお越しください。
19時50分、指定されたマンションに到着。確かに入り口に男性が立っているが、いわゆる演劇のスタッフっぽい風情ではない。「ペニノの方ですか?」とおそるおそるチケットを差し出すと、「こちらへ」と、今度は別の女性が現れて誘導してくれる。無言のまま階段で3階へ。人気のない建物内に乾いた靴音が響き、妙な胸騒ぎがする。今考えると、この時点で既に『苛々する大人の絵本』は始まっていたわけだ。通されたマンションの一室は、劇場ではなく通常の居住空間。一回の上演につき25名迄しか入場できないのは、この為だったのか、と得心。開演直前の到着だったこともあり、入り口で靴を脱いだ後、最前列に着座する。
舞台には動物の頭の剥製でできたテーブル、天井と床に突き刺さった2本の樹木。いずれも余りにも精巧でグロテスクさが際立つ。そして冒頭、登場した女性の容姿が、もう、徹底的に薄気味悪い。配布されたペーパーには雌の豚(ペテュ)と雌の羊(モルテ)、とあるが、「へんないきもの」としか形容しようがない姿態である。まず、役者が背伸びすると頭がぶつかってしまうほど天井が低いので、せむし男のような姿勢でふたりは言葉を交わす。口にはマウスピースを装着しているため歯茎が飛び出て発声も異様で、特殊な頭巾により後頭部が膨れ上がっている。もうこのフリークスめいたヴィジュアルだけで相当ブキミなわけだが、最初に羊が樹木を撫でながら発する台詞が「粉(こ)吹いてる」。もう少し正確にニュアンスを再現すると、「ふぇえ……粉(こ)吹いてる。あー、これ、ここ、ほら……粉吹いてる。へえ……粉吹いてる」といった具合。樹木から液体が出ないことを気にしている。彼女らは樹木から出る液体をスープのようにずるずると飲んで暮らしているのだ。
撮影:田中亜紀
繰り返すが、気味が悪い。背筋を嫌な汗がつたう。呼吸が乱れ、視界が揺らぐ。だが、目を背けようとは思わない。むしろ、羊や豚の一挙手一投足を凝視せずにはいられない。ただただ、目の前で起こっている、「何かとてつもないこと」に吸い寄せられてゆく。約1時間、今自分が劇場(らしき)場所にいること、演劇(らしきもの)を見ていること、観客(?)として舞台(?)を観ていること等々を、僕は完全に忘れさっていた。
その後も、眼前ではますます異様で説明不能な光景が繰り広げられる。豚が可愛がっていた小鳥の屍骸をもてあそぶ羊、ヌメヌメした得体の知れぬ骨付きの食べ物(?)をジュルジュルと貪るふたり(二匹)、ボート屋をやりたいという羊と「水がないとボート屋はできないよ」と真顔で諭す豚……。中盤辺りで、ふたりが暮らす世界の床下に、手足を縛られた受験生・ムラシマが暮らしていたことが明示される。ムラシマの登場により、床から生えた樹木が彼の性器だったことが判明し、話は徐々に展開(らしきもの)を見せる。が、3人の会話や関係性は相変わらず具体的な像を結ばない。ポマードの沼に頭を浸し、参考書を捲りながら「この問題はいい問題だからみんな教えてあげなくちゃ!」と叫ぶムラシマもまた、妄想まみれの世界の住人だった。無数のキノコが生えたオブジェや動物の剥製が独特の湿度といかがわしさを高め、複雑な物語の成就を遂げることもなく、舞台は幕を閉じる。
無論、物語として解釈することはいかようにも可能だ。夢判断、リビドーとコンプレックス、近親相姦とタブー、意識と無意識、等々。作・演出のタニノクロウが現役の精神科医であることを考慮せずとも、多少精神分析学や心理学をかじった人ならば、ユングやフロイトを持ち出して語りたい欲望に駆られることだろう。あるいは、暗喩を読み解くことに長けた有能な評論家ならば、「○○は××を表象しており~」と論じることもできるはずだ。そういう読み方を否定する気はない。だが、目の前で起こっている状況をありのままに観察するだけで、充分にこの作品は刺激的だ。誤解を怖れずに言えば、まるで交通事故や火災のような、非日常的で現実から遊離した「何か」が眼前で今起こっていること、そしてそれを生で観ていること。それこそ本作の根幹ではないかと思う。
撮影:田中亜紀
従って、冒頭で述べたマンションへの誘導も含め、これは「演劇」として評価するにはかなりやっかいで面倒なシロモノだ。むしろ、新種のアトラクションと捉えたほうがしっくりくる。裏返して言うと、これを「演劇」だと思って観に来ると、普段我々が無意識に縛られている観劇上の「約束事」や「常識」に、思い切り揺さぶりをかけられることだろう。
思考がどんよりと曇り、感情が宙吊りにされたまま、どす黒い闇に呑み込まれそうな1時間。演劇(?)で悪酔い、いや、バッド・トリップをしたのは始めてだ。ただ、誤解して欲しくないのは、決してこの作品は不快だったわけではない、ということ。むしろ、日常では味わえない時空間に身を委ねられたことは、この上ない僥倖だ。幸福な、文字通り夢のように幸福な1時間だった。
多少余談めくが、僕は悪い夢をよく見る。具体的には大量に人を殺したり、殺されたりして、血だらけでのたうちまわったりする。夜中にうなされて、自分の叫び声で目を覚ますこともしょっちゅうだ。そしてこの作品にも、他人の悪夢の中に迷い込んでしまったような感触を覚えた。夢だと分かっていながら抜け出せないようなストレスと圧迫感。しかも、これまで自分が見たどんな悪夢よりもどす黒く、陰湿な……。
「負」や「闇」の側面を強調しすぎてしまったかもしれないが、これは立派な「娯楽」である。偏執狂的なまでに精密に作られた舞台装置、妄想と夢を強引に現実化してしまった設定、日常から飛躍したパラレルワールド。それは言うなれば、“黒いディズニーランド”とでも呼ぶべき異形の遊園地である。
※文中にあった通り、一度の上演で収容できる人数が25人と少ないこともあり、この原稿を書いている11日夜の時点で、チケットはほぼ完売状態。当初はここまで早く完売するとは正直予想していなかったため、観覧は困難になってしまったが、ただ、キャンセル待ちなどはあるので、http://d.hatena.ne.jp/peningophilia/でマメに残席状況をチェックして頂きたい。
(文:土佐有明)
庭劇団ペニノ 第17回公演『苛々する大人の絵本』(再演)
2009年4月8日(水)~4月20日(月)
会場:はこぶね(青山劇場/円形劇場楽屋口横の東京ウイメンズプラザ付近)
作・演出・美術・照明・音響・衣装:タニノクロウ
出演:山田伊久磨・島田桃依・瀬口タエコ
※詳細は公式ブログへ
土佐有明(とさ・ありあけ)PROFILE
1974年千葉県生まれ。ライター。J-POPからジャズまで音楽関係の仕事をメインに、最近は音楽誌等で演劇についても執筆。過去10年の仕事をまとめ、吉田アミとのポツドール1万字対談を加えた『土佐有明WORKS1999~2008』が発売中。ポツドールの初公式パンフレットで取材・構成を担当。10日発売の『マーキー』では、演劇連載で『キレなかった14才りたーんず』を紹介した他、相対性理論について岸野雄一さんと対談しました。懸案のトークイベント『劇談、土佐有明』は、第一回が先日終了。第二回は5月14日の予定。ゲスト等詳細はこちらで発表予定。
★連載開始にあたってはコチラから
【過去の劇評】
第1回 ポツドール『愛の渦』(2009.2.19)
第2回 柿喰う客『恋人としては無理』(2009.3.8)