骰子の眼

cinema

東京都 ------

2008-12-09 01:00


傷口で花を咲かせ続けたい 『大丈夫であるように─Cocco終らない旅─』 是枝裕和監督インタビュー 「泣きながらカメラを回した」その理由を聞いた

Coccoは思っているんですよね。青森の六ヶ所村に対しても、彼女は責任を感じている。要するに知らなかったという事に責任を感じているんです。とても強く。
傷口で花を咲かせ続けたい 『大丈夫であるように─Cocco終らない旅─』 是枝裕和監督インタビュー 「泣きながらカメラを回した」その理由を聞いた

是枝監督が映画のチラシに「泣きながらカメラを回した」と告白している。プロの監督がそのようにカメラの前の対象に対して感情的になるなんて、しかもそれを宣伝に使うとは、普通なら恥ずかしくてあり得ない。

映画はCoccoに関して知らない事もあったが、映画の中のCoccoはCoccoだった。

それよりもかつては、記憶をすぐに失う人などを取材するなどした数々のテレビドキュメンタリーを撮り、『幻の光』で劇映画デビューしてからも被写体とは常に一定の距離を置き、優しいが醒めた眼差しで映画を作り続けてきたと思っていた是枝監督が、どうして撮影時に涙がでるほどの事が起きたのか、なにに感情を揺さぶられたのか、その一点だけを聞きたくてインタビューを行った。

(インタビュー:浅井隆)

あまりに泣きすぎるので、俺、歳取ったのかなって

── 久しぶりのドキュメンタリー作品ですが、Coccoで映画作品を撮るという構想はテレビ番組を作るように初めからあったのですか?

是枝:当初は作品になるかはわかりませんでした。テレビをやるときも、はっきり番組を作るというスタートが有るわけではないんですよ。

── そうなんですか。

是枝:自分で企画書を書いて、局に持ち込むこともありますし、なんとなく仲間で集まって「何かやろうよ」とあるテーマで話を進めていく場合もあります。

── テレビ局の予算が確定する前にそれは撮り始めてしまうわけですか?

是枝:撮り始めることはないかなぁ。いや、あるかもしれない。番組の枠が決まらないまま撮ってしまうことはしばしばあります。

── えっ、そういうケースもあるんですか。

是枝:でも、そのままなくなってしまうこともあります(笑)

── 今回は、最初カメラを回したのは是枝監督一人?

是枝:はい。

── 何故、そこにカメラを持っていったのですか?

是枝:もともと、僕Cocccoさんのプロモを2本撮っていて、直接的には、Coccoさんのマネージャーをやっていた方からご連絡を頂いて、青山のカフェでライブアースというイベントで『ジュゴンの見える丘』という歌を歌っている映像をみせられた。それは、去年の6月に沖縄の米軍基地移設予定地に現れた2頭のジュゴンのニュースを見た彼女が、そのジュゴンのために作った唄だった。沖縄を巡る米軍基地の問題とか、ジュゴンとかについて彼女がしゃべって、この曲を2頭のジュゴンのためだけに歌います、と。その映像をパソコンの画面で見て、結構感動してしまって。

大丈夫であるように01
『大丈夫であるように Cocco終らない旅』より (c)2008『大丈夫であるように』製作委員会

── それは、何に感動したんですか? 歌なんですか?ここが、今日一番聞きたいことなんですけど、感動するときは対象がよくて感動することもあるし、共鳴する場合もある。でも、共鳴する場合は、対象を見ている側にも響くシチュエーションがあると思うのです。何故、是枝監督がCoccoさんに共鳴したのか?


是枝:(沈黙)う~ん。正直に言うと、歌い始めが「まだ青い海まだ青い空」という歌詞で始まる。それ聞いたら、泣けてきたんですよね。それ以上の説明のしようが無くて、その、沖縄に対して彼女が「まだ」と歌っている感じ。「まだ青い海」って、いつかは失われるニュアンスを含んでいるじゃないですか? その響きに打たれてしまったんですよね。

── それは純粋に作品に打たれたのか、あるいは是枝監督の中に、「まだ失われてはいけない」という思いがあったのか、あるいは、「俺もここまで来たけど、本当にやりたいことってなんだろう」という、疲れた感じがあったのですか?

是枝:(笑)

── 一般的に考えると、Coccoさんの歌なりに響くのは、あえてここで「僕ら」という表現をするなら、監督やプロデューサーとかは、そういう青臭いところで感動しないんですよ。でも、今回映画の宣伝のためのチラシにあるように「泣きながらカメラを回した」とあるように、これ読んだとき僕は、是枝監督にエライ事が起きたって、思ったんです!

是枝:えらいことが起きちゃったんです。

── Coccoさんを通して何を見たのか、興味があります。映画の中に、沖縄、ジュゴン、六ヶ所村、移設基地の事とあるのですが、最後にエンディングに唯一「秋葉原通り魔事件」のことが、テロップで挿入されるじゃないですか。あれに違和感を覚えて、作品の中で秋葉原の「ア」の字も出てない、映画の中ではCoccoさんとも全く関係ない。それを入れることが、監督の意図に見えた。あと、やはり「泣きながら」という、何が是枝監督の感情を揺り動かしたのですか?

是枝:書かなきゃ良かった(笑)。

── Coccoさんが持っている、シャーマン的な素質に共鳴したという事は、是枝さんの中にも何か共鳴あるいは同調する要素があったと思うんですよね。それが何なのか、同時代に生きる一人として知りたいと思ったんです。

是枝:(沈黙)う~ん。教えられるかなぁ。。

是枝監督

── そうじゃなかったら、プロモビデオなら秋葉原の事件なんて入れないだろうし、そこに作家性を感じました。

是枝:あそこのテロップで、「秋葉原」の事件を入れたのは僕なんです。ただ、字幕を入れたらどうかというアイディアは、Coccoからきたのです。責任逃れをしようとしているのではないんですが。彼女からは、自分が「生きろ」と言っているのに、肉体がそれを拒否しているという矛盾が起きていて…。

── 最後のテロップに、「(彼女が)ツアーの後に摂食障害で入院する」というのも入りましたよね。

是枝:その一文を入れずに、自分が「生きろ」と言うのは自分の中で嘘があるから、その嘘をなくすためにではなくて、自分が「生きろ」と誰かに向かって言っている事が、何か、自分の中で納得させるには、今の自分の状態もオープンにしたい。その様なことをいわれ、「ああ、なるほどな」と僕もその方がいいと思いました。彼女の「生きろ」って自分へ向かって言っていたんだな、という納得の仕方を僕もしていたので、最後にそれが見終わったときに分かった方が良いのかと、撮影が終わった後の時間の流れの中で、Coccoをめぐる出来事を一つと、沖縄を巡る出来事いくつかと、そのテロップだけの処理でしたが、大阪で娘を殺された父親に向けて歌ったこともあったから、今回のツアーって沖縄、広島、六ヶ所村、神戸という「傷あと」で歌っているんですよ。なので、最後に新しい「傷あと」 を入れようかと。

── 秋葉原も新たな「傷あと」だという。

是枝:そこに、彼女が立つか分からないけど。それを加えたのは、僕のジャッジです。

── わかりました。でも、泣くって、どうしてですか? ある種泣くってとても恥ずかしいことですよね?

是枝:(笑)いつも、僕否定している事なんですよね。

── 宣伝会社が書いたのではなくて、是枝さんのサインがありますよね!?

是枝:・・・人がそういったコメント出していると引いてしまうのですが、僕も今迄はスタッフがそんなこといったら、取材者が対象に感動してどうすると怒鳴っていましたよ。

── さっき、映画の宣伝担当の方に聞いたのですが、この映画の編集中にも、泣いていた、という情報が….。

是枝:(笑)そう、あまりに泣きすぎるので、俺、歳取ったのかなってアシスタントに聞いてました。

── 何故、共鳴したのですか? 世界の「傷あと」に向き合いを歌う彼女の姿に胸を打たれたのですか? 作品や歌を聴けば、Coccoさんのことは良く分かるのですが、あの是枝監督が、何故共鳴したのか? そこが、謎なのですよ。

是枝:(沈黙) 最初、撮影していて思ったのが、今回のアルバムでCoccoが沖縄的なものを意識的に取り入れていたこと。今まではそれを、メロディラインや歌詞から排除しようとしていたのですが、この作品でも沖縄について多くを語っているし、本人も言っていたように「沖縄音階」というものが、自然と自分の中にあって否応無くそこに自分が含まれていることに向き合ったんですよね。音楽的にもそうですし、彼女が子どもを持ったこともあると思います。
決して血縁的なものではなく、「何かを引継いでいくもの」という感覚が彼女の中で強まった。点としての彼女がいて、その中から生まれるわけではなく、縦の時間の中におかれている自分と、沖縄を中心にしているけれど、それ以外の他の場所との接触の中で何かが生まれる。僕は、「ものが生まれる」事の、原型を見た気がしました。それは、撮っていてすごくいい時間に立ち会えたなと言う実感はあった。


歌ってすごい。僕のやってきたこととリンクしているのかな

── 今の世の中、是枝さんは幸せに感じますか?

是枝:え!?

── Coccoさんは、ある種巡礼のようにネガティブな場所に、傷口のある場所に行きつつ、ファンの人から多くの手紙をもらい、恐らく内容が切実なものも多かったのかもしれない。それを背負いきれなくて、燃やすことで一つの儀式のように、彼女なりに昇華する。それは、生身の人間だから。抱え切れないほどの手紙、今の世の中、傷を持った人が多いと思います。是枝さん自身は、それをどう感じますか?

是枝:あの、僕は傷あとを押しつけている方だからさ。

── それは、映画というメディアの中で?

是枝:存在として、沖縄に対しては加害者ですよね。

── 本土の人間という意味で?

是枝:しかも、東京で。一番いろいろなものを享受する立場にいるわけじゃないですか。だから、さっき共鳴という言葉を聞いて、果たして共鳴なのかと考えていました。彼女の感じているいろいろな問題の責任感と、僕が感じなければならない責任感は、恐らく重なっていない。重なってはいけないはずです。

── でも、秋葉原のことは沖縄ではない。六ヶ所村も。押し付けている側とおっしゃっていましたが、この映画で描かれていることは、沖縄も大きな比重を占めているけれど、日本の幾つかの傷の大きな1つであるように見せている。そこに対して、是枝さんが押し付けているというのは、違和感を覚えます。

是枝:でも、彼女は思っているんですよね。青森に対しても、彼女は責任を感じている。要するに知らなかったという事に責任を感じているんです。とても強く。その背負い方が、痛々しいと思う方がいるでしょうけど、全部背負っているんですよね、彼女は。

── (沈黙) なるどほど…、彼女のその感受性に一瞬僕も今、泣けてきそうになりました。彼女が作中でも吐露していたように、六ヶ所村の事に対して知らなくてごめんなさい、その事に罪の意識を感じていた。 今回、Coccoさんのことについての物語でしたが、結果は是枝さんの表現物として世の中に出て行く。これまでも多くの傷あとを、撮ってきましたよね。それは、同じクリエイターとして、傷あとを引き受けていく立場として、Coccoさんと近い点があるのではないでしょうか?

是枝:僕は、「すごいな」と思って撮っていましたけれど。

── 彼女のほうがすごいと。

大丈夫であるように02
『大丈夫であるように Cocco終らない旅』より (c)2008『大丈夫であるように』製作委員会

是枝:比較と言うよりは、歌ってすごいなって思いました。僕のやってきたこととリンクしているのかな。あまりそういう意識は無かった。でも、言われてみれば….。

── 彼女はとても野生児で、映画はそういう感性だけでは作れない。方法論は対極かもしれない。映画を製作するシステムは複雑だから、歌という方法論はとてもシンプルで感情に直結する部分がある。そこはすごいと、僕も思います。

是枝:僕もうらやましいと思いました。しかし、彼女が歌の世界を一時離れた理由に、音楽業界のシステムがあって、アルバムを作成するときに全ての歌は収録できない。彼女からしてみると、一度生まれた歌を殺さなくてはいけない。それが、彼女には耐えられなかった。自分は生まれた歌を歌いたいだけなのに、どうしても多くのしがらみに捕らわれてしまう。歌が生まれるスピードに追いつかないと。今の状況が彼女には一番あっていると思います。

── でも、これは最初に是枝さんが一人で撮っていたんですよね? 映画のシステムや、音楽業界のしがらみを超えて全く自由にカメラで撮っていたわけですか? 一人でビデオをまわす事に全くの自由を、TVにも映画にもなる予定のないものをそこに自由を感じたのですか?

是枝:それは、非常にあります。もともと20年前に自分でビデオカメラを買って、ある小学校に通って、そのときも全く作品になる当てもなく撮っていただけで。自分で夜行電車の切符を取って、子供たちの生活を一緒に撮って、ホテルとって、次の日帰るみたいな時代があって、今回の作品でも久しぶりにそういう作り方が出来て、とても自由でした! とても幸せでした。新幹線の切符を買って撮りに行くというね。

── どれくらい一人でその自由な撮影があったのですか?

大丈夫であるように03

是枝:最初に行ったのが名古屋で、そのツアーの前後を付いて回っているだけなので、トータルの日数にしたら、そんなに撮っているわけじゃないですよね。でも、ずっと一緒で、密着というほどではないのですが、フラっと行ってフラッッと帰る。

── カメラマンに山崎裕さんを入れようと思ったのは、いつ頃なのですか?

是枝:最後の沖縄のライブが一番大事だと思っていたので、沖縄のコンぺンション・センターのライブは僕ではなくて、山崎さんともう1カメラ入ってもらい撮りました。それからです。

── 沖縄の丘の上でインタビューするシーンは?

是枝:あれは、山崎さん。

── 『もののけ姫』の話を聞いているときは、是枝さんの声も入っている。あれは、やむを得ず入ってしまったのですか?

是枝:やむを得ず。

── あそこを見ると、是枝さんが何か聞きだそうとしているのが見えますね。

是枝:どこかで長いインタビューをさせて欲しいと、言うのは伝えていて、それでライブの合間、リハの最中とかにちょこちょこ聞く事はやめようと思っていました。そういうのを嫌がるタイプですし彼女。タイミング見計らって、ずっと待っていたのですが、なかなか巡ってこなくて、で、あそこのシーンになったわけです。

── 『もののけ姫』の話のところで、彼女の宮崎アニメに関する感想には、僕も共感してそうだ、そうだ、って思っていました。でも、彼女は、話の最後に違う感想を発します。その時、是枝さんは撮影している時、監督として「撮れた!」って思いました?

大丈夫であるように04

是枝:そうですね。あのインタビューの途中からスイッチが入ったんですよ、彼女に。ちゃんと会話が成り立つまで、すごい時間がかかって諦めかけていたところだったのです。あそこの丘は彼女にとってとても特別な丘で、最初行きたがらないのですよ。行ってもしゃべれないって。だから、山崎さんに10~15分カメラを廻して彼女がのらなかったら諦めようって。別の代案も考えていました。最初、全然噛み合わなくて、泣いちゃうし、でも、何かの弾みでうまく回りだして、そしたら全然止まらなくなっちゃって結局1時間半、2時間近く撮りました。それで、ようやく回路が通った感じでした。


── それまでは細切れのインタビューや話しかけるのを、是枝さんのほうから避けていた。

是枝:そうですね。僕のほうからは意識的に。彼女のほうから、話しかける事が時々会ったくらいで、僕のほうからはないですね。

── 彼女は撮られていることが分かっているから、意識したりする?

是枝:いや、全く変わらない。

── 音楽は肉体からフッと生まれてくるもので、映画を作る側からすると圧倒的にうらやましい。是枝監督が泣いたのは、そういった現場に立ち会えた事で、その生な彼女の存在が、琴線に触れた。そういう理解でいいですか?

是枝:(笑)そうですね。色々重なったという事もありましたが。

── そのいろんな事を聞いてもいいですか?

是枝:前作の『歩いても 歩いても』を撮ったときに、母親が亡くなって、父親は随分前に亡くなっていて、小さな頃から育ってきた家を引き払って、それで、僕はもう誰の子どもでもないんだ。そう感じながら『歩いても 歩いても』を撮っていました。撮影が終わった直後に、今度は子どもが生まれたの。今度は、形を変えて自分が父親になることでしか、両親を失ったことを補えないと思いました。という納得の仕方をしたのです。その事も、影響していると思うんですよね。
でも、「自分が父親になったから」で済まされるのはしゃくで(笑)。でも、彼女のラストのインタビューは僕も共感してました。僕は死を巡るテーマばかり取り扱ってきて、でもそれが反転していく、自分が分岐点に立っている事を感じたわけ。自分が置かれている環境の変化と、彼女はそれを経て母親になって歌われる世界が変化するプロセスとが重なったことは間違いないわけ。ただ、そんな個人的なことだけで(笑)、子どもが生まれたから、彼女の歌が変わったって、単純に言い切れないと思うから。

── そうか、クリエイターとしてそれを理由にされるのは悔しいから(笑)自分が親になった事と自分の作品表現を結び付けられるのは、いやですよね。是枝さんも、もし子供がいなければ、子供が生まれた事によって、作品の質が変わるような人見たら、「え!?何それ!」って思うタイプでしょ?

是枝:はい(笑)。今後を見てください。

── 「死」から「生」にテーマが移った理由が子どもが出来たからって言うのは(笑)それに抗う気持ちがあって、最後に秋葉原のテロップを入れたのですか? あのラストのインタビューのまま終わらずに、あの社会の傷あとの事象のテロップが入ることによって観客は現実を突きつけられる。それで、あの作品の持っているテーマの普遍性が見えてきたと思うのですけど。秋葉原の事件は、唐突だったので、強いインパクトを受けました。

是枝:彼女の咲かせている花は「傷口」に咲かせる花なんだよな。秋葉原はやはり今年一番大きな傷口だったと思う。だからもしかしたら彼女が、彼女でなくてもかまわないけど、誰かがいつかその傷口に花を咲かそうとするかも知れない。自分でやろうとしている事もそうなんですが、彼女を見ていると思うのが、その覚悟の強さだと思う。逆説的に美しいのだと思う。しんどいのもそこだと思う。自分の作品もそうありたいと思っているのは間違いない。傷口で花を咲かせ続けることに。僕もCoccoも、子どもを持ったことがプラスに働けばいいと思います。


『大丈夫であるように Cocco終らない旅』
2008年12月13日(土)よりシネマライズ・ライズXほかにてロードショー

祈り、願い、抱きしめる。孤高のうたうたいが紡ぐ旅の記録(ドキュメンタリー)。
独自の感性と唯一無二の存在感で、熱狂的なファンをもつミュージシャンCoccoに是枝裕和監督が密着。07年8月、ヘリポートの基地移設が進行中の沖縄・大浦湾に帰ってきた、絶滅の危機に瀕するジュゴンのニュースがきかっけで誕生した『ジュゴンの見える丘』。その曲にこめられたメッセージに共感し歌声に魅了された是枝監督は、Coccoデビュー10周年の節目に開催された全国ライヴツアーに、そして家族と暮らす沖縄での日常に、静かに寄り添い記録した。そこには、漆黒の闇から解き放たれ、歌で、生きつづけることで何かを変えていこうとする、ひとりのうたうたいの魂の軌跡が映し出されていた。

監督・プロデューサー・編集:是枝裕和
出演:Cocco、長田進、大村達身、高桑圭、他
2008年/日本/107分
配給・宣伝:クロックワークス

『大丈夫であるように Cocco終らない旅』公式サイト

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