15時半から京橋で『バックドロップ・クルディスタン』(監督:野本大、日本、2007年)の試写会へ。
http://www.back-drop-kurdistan.com/
トルコを逃れて一家で日本に難民申請したものの無慈悲に退けられ、マンデート難民としての認証を求めて国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が入居する青山の国連大学前で座り込みをするカザンキラン一家の支援者の一人であった野本監督(二十代前半)は、カメラと共に抗議行動の現場である青山へ一家のアパートのある川口へ、そしてトルコとニュージーランドへと一家を追っていく。
一家と日本国政府のせめぎ合い、マンデート難民として認められたにも関わらず小泉首相のトルコ公式訪問に合せて突然一家の父と長男が入管で拘束されてトルコへと強制送還された衝撃、「クルド人問題」を本当の意味で知るべく訪れたトルコで初めて知った「国父」ケマル・アタテュルクへの崇敬の念を軸にした強固な民族主義ないしナショナリズムおよび、EUからの圧力で幾分緩和されたとは言え依然厳しいクルド人への同化圧力とトルコ人マジョリティーからの蔑視の実相、新天地ニュージーランドで英語に苦労しながらも一家揃って元気に幸せそうに暮らすカザンキラン一家の様子等が、監督以下スタッフの心理的なアップダウンを示唆するグラツきがちな映像で映される。
印象的だった点を列挙すると、その非人道性が「世界初」という悪名を轟かせた、日本政府によるカザンキラン一家の父と長男のトルコへの強制送還の報に狂わんばかりに泣き叫ぶカザンキラン一家の女性達の姿、それまでニコヤカに野本を歓待していたカザンキラン一家の親戚が、夕食後酒が入って一転して厳しい調子で日本政府をやり口について野本に詰めより、「日本はヨーロッパと違ってファシズムでエゴイズムの国だ!」という言葉を投げつける光景、ニュージーランドの空港で別れ際に「悪いのは日本のシステムで、日本人悪くない」というカザンキラン一家の父親の言葉を耳にして流された監督の涙…か。
ところでこの作品を観ながら、政治亡命を求めて遠く日本にまでやって来たクルド人一家への、国民の一人としてもう「恥」としか言えないような、血も涙もない非人道的な対応と、午前中観た『靖国YASUKUNI』(監督:Li Ying、日本・中国、2007年)の中で「擁護派」が強調する日本の歴史や国柄の素晴らしさの唖然とするようなギャップについて考えていた。困っている「外国人」に血も涙もないような対応をする政府は自国民も大切にはしないし、またナショナルな誇りを声だかに捲し立てる保守派や右派こそ、こういう日本の入管政策の「恥」に怒るべきだ。国内外で国民が政府を誇らしく思うような人道的で本当の意味で人に優しい政策を行い続けて初めて、「愛国心」なるものは「自然に」育つはずであって、内外で弱きを挫き強きを助けるような無様で人の道に悖るような振る舞いを続けながら、国民に「愛国心」を力と教育や宣伝で押し付けようなんて、恥を知れ!としか言いようがない。