人の世には避けられない運命がある。シネの運命がそうだ。
自分自身の努力や周囲の善意も跳ね返されてしまい、癒されることが出来ない。
宗教さえも欺瞞に成り代わることを映画はコメディとして挿入した。
この過酷な運命を観る者の胸に迫ったのはストーリーではなく、
チョン・ドヨンの名演、中でもうしろ姿の演技が秀悦だった。
それでも尚人は救いを求めるが、枯れかけた草花を生き返させるのは、
大量の水でも強烈な太陽でも、神様でもない。
もし救われることがあるとすれば、微かな湿り気と光、それもごくわずかな可能性として奇跡的に残っているだけである。
この奇跡がジョンチャン(ソン・ガンホ)であったことを、この映画を観た誰もが知ったであろう。
この小ざかしい世の中で誰がジョンチャンとして存在し得たであろうか。
彼が日常の中のこの微小な奇跡だったのである。
ところで、映画が終わってスクリーンが字幕になってから、にじみ出した涙はなんだったのだろう。
シネの悲しい運命にか、それが癒される兆しにか。
多分、さまざまな運命に翻弄されながらも、なお生きる人の世のいとおしさを気づかせてくれたからではなかろうか。 それがラストシーンだった。
(余計なことだが題名「シークレット サンシャイン」はこの映画にはミスマッチだと思う)