『ぼくら、20世紀の子供たち』ヴィターリー・カネフスキー
この映画は、1993年、ソ連崩壊後のストリート・チルドレンを取材したドキュメンタリーである。
作品の構成は、監督自らインタビュアーになり、子供達に家族のこと、商売、好きな歌などを訪ねていくというものだ。彼らの多くは、親に捨てられており、窃盗をして、生計を立てている。彼らは監督がインタビューしても、警察と疑い逃げ、応じたとしても、タバコを加えながら、苦々しく、悪態をつけた様に質問に答える。歌ってくれる歌も、子供らしからぬ濁声で、セックスのことを歌う。
監督はまた、収監されている子供達も取材する。彼らの中には殺人者もいる。しかし、彼らはストリート・チルドレンとは違い、ある種の諦念にも似た冷静さで、尋ねられた罪状を述べていく。
そして、その中に、かつて監督の映画で主役を張っていた子役のパーヴェルと再開する。彼は、映画の中でストリート・チルドレンの役を演じた、そのままに、窃盗を繰り返し、収監されていたのだ。監督は彼に、かつての共演者で恋人役だったディナーラと再会させる。彼女は女優として活躍しており、彼とは真逆の境遇にいる。二人は、撮影の思い出や、映画の中で合唱した歌を歌い合う。そして、パーヴェルが俳優業に戻りたいと切々と彼女に告白をし、彼女はそれを親身になって聴く。その様子からは、彼の未来へ向かう希望を見出すことが出来る。
カネフスキー監督は、パーヴェルを身代わりとして『動くな、死ね、甦れ!』、その続編『ひとりで生きる』など、自伝的な作品を発表してきた。そこには、自身が生きた終戦後まもないスターリン体制下の貧しく、禁欲的生活や、親に反抗し、ストリート・チルドレンとなった自身の姿、シベリア出兵の日本人、幼なじみの恋人の死などが描かれている。
また、監督は映画学校在学中に、無実の罪によって八年間、投獄されていた経験がある。
本作で、監督は、ソ連という社会体制が生み出したストリート・チルドレンから自分自身を見出していると私は思う。そういう意味では、本作も前作二作品と同様に、自伝的作品ととらえることが出来るだろう。
映画のラストは、子供の「耳を傾けて!」というナレーションが入り、パーヴェルとディナーラを中心に、取材をしてきた子供達の画像が分割されたスクリーンにコラージュされていく。
そこには、出会った子供達は、二人と同様、将来に希望を見出そうとしており、彼らに耳を傾ける大人が必要であるという監督のメッセージが込められている。
そして極めつけは、ラストカットに病院で生まれたばかりの赤ん坊の列をカメラがパンでとらえた映像を据えることで、これからの21世紀を生きていく子供達に期待と希望を、監督は託している様に私には思えた。