夢を追ってニューヨークに旅立とうとする娘を前に、うまく気持ちを伝えられない父親。どこの家庭にもありそうな空気感だ。そこで、不器用な彼が差し出すのは、一杯のコーヒー。
家族というのは、距離が近いだけに、言葉のやりとりがうまくいかなかったり、ぎこちなくなったりしてしまうもの。本音はそうではないのに、お互いに変に勘違いしてしまったり、思い込みで相手の気持ちを決めてかかったりして、「自分は理解されていない」と考えてしまいがちだ。
でもそこでは、ある習慣や行動が、言葉以上にあるいは言葉とは裏腹に、本人の心情を語るときがある。
それが、この作品でいうと、父親が娘に差し出す一杯のコーヒーなのだ。
物語の主人公は、ブロードウェーの舞台に立つという夢がかなえられず、10年ぶりに戻ってくる。そこで彼女は、自分が旅立つとき以上に何も言わない父親の態度に、苛立ちを覚えるのだ。同時に、同年代の知人が結婚をして家庭をもっている一方で、いまだに人生が定まらない自分自身に対して不安を覚えもする。
それでも、そんな心の行き違いや時間のズレを埋めてくれるのは、特別な何かでなくって、一杯のコーヒーだったりするのだ。
かれこれ20年以上も前のことになるけれど、わたしの実家は二世帯住宅だった。いつでも、祖父の茶の間に行けるのだが、彼はヘビースモーカーだったため、息子である父も孫のわたしもなかなか行く気になれないでいた。
そんなわたしたちの気持ちを知ってか知らずか、祖父はいつしか、コーヒーを煎れてもてなしてくれるようになったのだ。「コーヒー煎れたからこないかい?」と。
それも、コーヒーミルで豆を挽くところから、サイフォンで落とすところまでの工程をすべて、みずからの手でこなしていた。もちろん、相変わらず煙草の煙はもうもうと渦巻き、共通の話題がないために同じ話の繰り返し・・・になってしまうのだけれど。
家族揃って同じフレーバーのコーヒーを飲む時間は、沈黙さえも言葉となり会話となったのだ。
この作品を観ているうちに、そんなことを思い出してしまった。
そして、遠い夢を追いかけることよりも、身近な人がそっと煎れてくれる一杯のコーヒーに、幸せを感じ続けられる自分でいたい、と思った。
ネスレシアターon You Tube『あのときのFlavor・・・』
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