2014-02-11

映画『ダブリンの時計職人』クロスレビュー:苦しいとき、人の心を救ってくれるのは、人 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 エメラルドの島、アイルランド。そんな美しい名で呼ばれているのにも関わらず、この国は現在、毎日のように失業者が増え続けているという。それはつまり、自分の意思とは裏腹に、ある日突然ホームレス生活を余儀なくされる、ということを意味する。

 この物語の主人公フレッド(コルム・ミーニイ)もその一人。ロンドンで時計職人として生活していたが、ある日突然、職を失い、故郷のダンブリンで車中生活に。加えて、車内や車を停めている駐車場は、住所不定とされ、生活保護は受けられない。そしてまた、このような車中生活者に対して向けられる世間の目は冷たい。

 
 そこで出会うのが、家出青年カハル(コリン・モーガン)だ。

彼は、母の死後、父親から追い出されるようなかたちで車中生活を送っていた。若さというエネルギーをもて余しつつ、容赦ない現実—麻薬と借金―の中で葛藤していたのだ。しかしそんな中にあっても、彼もこの時計職人と交流を深めるうちに、人の温かさに触れ、わずかながらも希望を見出しつつあった。

時計職人はといえば、いわゆる「不良少年」ともいえる彼の無謀な行動を諭す一方で、自分自身の将来への希望を見出そうとしているように見えた。また、わずかな貯金を切り崩して通うスイミングプールで、ある女性と出会い、彼女の存在は、彼にとってもう一つの希望の光となっていく。

実はその女性ジュールス(ミルカ・アフロス)は、夫を亡くし、ピアノの講師をしながら生計を立てていたのだった。彼女もまた、この2人と同様、これから先の人生について悩んでいたのだった。夫との思い出の地に残るのか、故郷のヘルシンキに帰るのか・・・。

 

 境遇も向き合う現実も異なる3人は、それぞれが外的な要因で人生の岐路に立たされ、そしてその岐路を目の前にして立ち止まっていた。

 
彼らのそういった状況を表すかのように、劇中に登場するのが、2つの時計。カハルのとその女性ジュールスのだ。時計職人であるフレッドの手によって、2つの時計が再び動き始めると、3人それぞれが人生の決断のときを迎えることになるのだが・・・。

 違う人生を生き、あるときその流れが交差して人とめぐり会う。そして、同じ時間を共有して自分を見つめ、再び違う人生を歩んでゆく。そんな時間の出会い方、流れ方を、感じることができる映画だ。また、苦難のときに心を救ってくれるのは、やはり人だ、ともこの作品は教えてくれている。

 
 フレッドも、カハルも実在の人物ではないが、バブル崩壊後のアイルランド社会の今を代弁している。日本でも、バブル崩壊後20年以上立ち景気は回復しつつあるようにも見えるが、社会の隅に追いやられてしまっている人たちはたくさんいるはずだし、そうはならなくても、先行きに不安を抱えながら生きている人たちもいることだろう。

この作品に登場する3人それぞれの人生への向き合い方には、我々日本人にも学べるものがある。フレッドやジュールスのように人生半ばまで生きてきた者ならではの、悩みながらも冷静に現実に向き合おうとする姿勢。そして、青年カハルのように可能性や希望を秘めながらも自暴自棄になって余計に現実を悪化させてしまう・・・その対比をじっくり見つめれば、自分たちがこれから先に大切にすべきものは何かが理解できると思う。

(文:平楽桂代)

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tairakuk

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