試写上映後のトークで小林監督が「最初は違和感しかなかった。自分の映画に社会性を入れるのは好きではなかった」と意外な発言。その後で「トリュフォーが好きで映画監督になりたいと思った人間ですから。ずっとトリュフォーの言うことを信じて映画作りの決まりでは、こうしちゃいけない。そういう中でずっと映画作って来た」というような話を続けられた。
『こうしちゃいけない』というのは、かつてトリュフォー監督が日本映画へのアンケートに答えた時、或いはヒッチコック監督との対談インタビューに於いて新藤兼人『裸の島』について激しく否定した言葉と関係しているだろうか。
“海外受けを狙ったあざとい作品”というトリュフォーの言葉が『映画に社会性を入れること』という小林監督の言葉と結びつくのなら『裸の島』と同様『日本の悲劇』もまた“あざとい作品”企画であると小林監督も認識しているということだろう。
それでも監督は『日本の悲劇』を撮ってしまった。撮らざるを得なかった。何故なら「なんか凄く行き詰まって来た』(小林監督)から。『しちゃいけないことを全部やってみようと思って」そう言ってしまうその人は、ヌーベルバーグの作家達に憧れつつも現代の自分自身が彼らのように同じ幸福な映画を作れないことに気づいてしまっている。『日本の悲劇』を覆う哀しみのトーンの基調には実はそれがある。現実の貧困問題に取材し、老いて死ぬ父親を、彼に取り残される息子を描きながら小林監督は自分自身をその二人に分裂させ対話させている。『かつて若かった自分』と『今、死に行く自分』とを。
だから『俺の人生って何なの?』という息子の叫びが耳に胸に強烈に痛い。それに過去の小林監督作「海賊版BOOTLEG FILM」のラストで『仕事に就いて子供を作って、ちゃんと生きる。これからはこれだよ』なんて希望を語っていたのが同じ北村一輝でもあったのだから。「海賊版〜」が作られてからの十余年。何というところに来てしまったのだろうか。
監督も私達も映画も。