映画を盛り上げるような音楽もなく、役者も限られた人数しかおらず、モノクロパートカラーの映像に映るのは、父の部屋と台所とその間にある廊下のみ。
あらゆるものが削ぎ落とされたなかに残るのは、失業や離婚、家族の死、震災で明日を見失っている息子の姿。そして、死期迫るなかにある決断を下す覚悟をした父の姿だ。痛ましく胸が苦しくなるような情景は、まさに「日本の悲劇」であるように思える。
この映画を観終えた直後は、「これはどこで起こってもおかしくない問題だ」とシリアスに受け止めてしまいがちになる自分がいた。
しかし、これはあくまで「映画」である。
決して声高らかに今の日本に対して問題提起をしているわけではない。
覚悟を決めた父の思いの強さ、置かれた状況に疲弊する息子、そんなふたりを支えて先に逝った母。また、息子とともに人生のひと時を共に生きた妻。
この4人を演じる仲代達矢、北村一輝、大森睦美、寺島しのぶの演技に、役者が演じているということを忘れるくらい観ている方が沸き起こる様々な感情を止められなくなる凄さがあった。もちろん、その根底には小林政広監督の脚本と演出があることを忘れてはならない。
不思議なもので、映画を観終えて時間が経った今だからこそ思い出す場面がある。
自ら死にゆくことを選んだ父は、亡き妻の遺骨の前に座り続けながら過去を回想し始めるが、最後に思い出す記憶は、孫が生まれ息子夫婦が自宅に来た日の食卓の風景。その場面だけ、スクリーンに色が戻る。その彩りが、幸せを物語っているようにみえたこと。
そして、病院から退院した晩、父が自らの決断を息子に告げず、頭を撫でて「じゃあな」という一言と、スクリーンに映し出された姿。そして、就活を再開する息子のラストシーン。
「日本の悲劇」という映画は、問題提起をしているのではなく、どんな状況であれ明日を生きていくことを描いた普遍的な娯楽映画だと思っている。