今から20年前の1993年に訪れたパリ。14区にあるモンパルナス墓地の中心部、色とりどりの花で飾られた墓の前に視線が釘付けになった。そこには、花々だけでなく、写真やメトロの切符、そしてジタンが置かれていた。亡くなったばかりと思っていたその人は、1991年にこの世を去ったと記されていた。写真の、墓に眠るその人のことがずっと気になっていた。墓に刻まれていた名前を夢中で調べた。彼の名前はセルジュ・ゲンスブール。フランスの作曲家、作詞家、歌手、映画監督、俳優などと実に多彩な人物。それから数年後、当時買ったばかりのパソコンで『セルジュ・ゲンスブール』を検索した。そこで出会ったのが『ゲンスブール委員会』であった。『ゲンスブール委員会』は、1997年に結成された団体で、永瀧達治さんを中心にサエキけんぞうさんや故川勝正幸さんといった文化人、アーティストをメンバーとするゲンスブールを愛する団体。そのウェブサイトで、彼らが主催する『ゲンスブール・ナイト』というイベントを知ることになる。そして、「動き、歌う」ゲンスブールの映像に初めて出会い、その音楽と詩の世界に見事に魅了された。
「ノーコメント by ゲンスブール」では、様々な年代のゲンスブールの映像と自身による録音テープに残されたインタビュー音源が同期を取って現れる。ゲンスブールの輝いていた頃の映像が作品の中で時系列とは関係なく何度も映し出される。自らの生い立ちや両親のこと、そして、特に父親との関係を語るシーンが繰り返される中、ゲンスブールが過ごした当時のパリの映像により第二次世界大戦前後のパリの様子がとてもリアルに伝わってきた。そこに、ピエール=アンリ・サルファティ監督の(ともすると気がつかないひとがいるかもれしないほどの)新しい映像が絶妙な色彩感を伴いそれぞれの場面を繋げていた。
ジュリエット・グレコやブリジット・バルドー、アンナ・カリーナ、エディット・ピアフなど、フランスを代表する歌手や女優たちがゲンスブールの曲とともに登場するが、ジェーン・バーキンの存在感には、ほかを寄せ付けないほどの強烈さがあった。
カメラが回っているにもかかわらずバーキンがゲンスブールだけを真っ直ぐに見つめる視線は、日本で多くの人々が知っている『ゲンスブールとバーキン』。
≪(シャルロット・フォー・エヴァ―で)シャルロットを撮っているとき、ジェーンに似ていて、ジェーンのことを思い出してつらかった≫(そんなことを言っていたように記憶するが・・・)、そのゲンスブールの言葉に驚いた。あの作品は、シャルロットの先にジェーンを見つめていた作品だったのかもしれないと、その瞬間初めて気がついた。死ぬまでジェーンだけを愛し続けていたのかもしれない、そんなことさえ感じられた。
ゲンスブールの死後、日本でゲンスブールを歌うバーキンは、天に手を伸ばし≪セルジュ聞こえる?≫と言って「ラ・ジャバネーズ」を歌う。しかし、ゲンスブールは言った≪人は死ぬと生まれる前に戻るんだ≫と。
ロンドンでのレコーディングシーンでピアノを弾くゲンスブールは格好良過ぎるし、作品の中で何度も流れていた「ラ・ジャバネーズ」は何度聴いても胸に響く。ドキュメンタリー作品であると同時に、ゲンスブールを愛してやまない人々にとっては最高のミュージック映像でもあった本作品。まだゲンスブールに出会っていない人も、この作品でゲンスブールの歴史を確実に知ることになるだろう。Bunkamuraル・シネマでの上映が今から待ち遠しくてたまらない。
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