■映画について
『世界が食べられなくなる日』は、「遺伝子組み換え食品」と「原子力発電」を批判するドキュメンタリー映画である。
この二つを取り上げるのは根本的な部分で共通しているからである。
つまり、目先の莫大な利益に目がくらみ、背後に見え隠れするリスクを冷静に見つめられなくなると言うことである。
この映画を見ると、「遺伝子組み換え食品」と「原子力発電」について批判的な思考を持つ人がほとんどであると思う。それほど精巧かつ綿密なシナリオで、説得力ある物語が展開されているからである。
■現代の社会について
現代では、何の不自由もなしに食料を手に入れられる時代である。
スーパーマーケットに行けば食料品が止めどなく並べられ、コンセントに電源プラグを差しこめば電力が供給される。
多くの人たちは、便利で組織化された世の中を過信し、何の疑いもなく世に溢れたモノを手にしている。確実な根拠が何もないにも関わらずである。
そういった人たちは、メディアの情報に思考を左右される。その結果が、原子力発電の量産であったり、中国の毒入り餃子事件であったと思う。
政府が主導するから安心だ、大手の会社が取り扱うから安全だ、などという思いが少なからずあるし、もちろん私の中にもある。
■映画が訴えるもの
『世界が食べられなくなる日』が導く答えは、「遺伝子組み換え食品」、「原子力発電」共に依存することは止めよう、という一点である。
「原子力発電」については、東日本大震災以後、批判的である日本の報道によって新鮮味はない。しかし、「遺伝子組み換え食品」については、今まで、これほどまでに強く訴えたものはなかったように思う。
結局は「遺伝子組み換え食品」も「原子力発電」もメリットがある限り、これらを推進する人たちは存在し続ける。
そこで重要になってくるのが、批判的な思考である。TVや雑誌のメディアがそれを持つだけでは意味をなさない。
一人ひとりが、批判的で疑念的な思考を持てば、社会は簡単に道を踏み外さないのではないだろうか。
■映画を観るべき人
『世界が食べられなくなる日』は、決して娯楽映画ではない。ハリウッド映画のような爽快さを求めるのならば、この映画はお勧めしない。
しかし、現代の社会をより良くしたいという思いが少しでも心の中にある人ならば、必見の映画である。
あるいは、子どもや孫を持つ世代の人にとっても、今一度、家族の安全について考えるきっかけになる映画である。