社会的な題材を扱ったドキュメンタリーは好きな方だし、最近は脱原発のデモなどにも参加している為、抗議活動をする人の原動力に関心を持つようになった。鑑賞前に足立正生氏について若干調べ、元日本赤軍メンバーの中でも数少ない身元のはっきりした生存者だという事にも関心を覚えた。
鑑賞後の印象は、足立氏にも作品にも共感のようなものは残念ながら得られなかった。おそらく大衆受けする作品ではないだろうし、大衆受けすることを狙いとして作られた作品でもないようだ。感性が合わなかったということになるのだろうが、世間に媚びない生き方を貫き、自分が求めるもの、そして表現していきたいものを追求する姿勢にうらやましさを感じた。
「走り続けることが楽しい」と足立氏が語っているように、走りながらそこでやるべきことをやる。そこに生きている実感があったのだろう。アウトローであることは、彼の生まれ育った環境や性格からくる要素もあっただろうし、映像や語り口調からは特別異端な印象は受けなかったが、作品全編通して感じたのは、彼の孤独感、そして揺れている魂。
移動しているシーンが多く、ほとんどは足立氏の語りが入っているが、中には雑踏の音しか聞こえてこないシーンもあった。画像の手振れや耳障りな大音量の音楽など意図的に不快感を掻き立てているのかといった場面も気になった。
どうしても最近観て大感動した社会派ドキュメンタリー「ニッポンの嘘」の福島菊次郎氏と比較してしまう自分がいる。足立氏も福島氏も自分の信念に従って突き進んできた人たちだ。だが福島氏に共感できても足立氏には共感できなかった。それは人との関わり(愛)というものがが感じられなかったからなのか、その行動が結果として感動を呼ぶものではなかったように感じられたからなのか、まだ今の段階でははっきりした答えが出てこない。
本作品を通して感じたモヤモヤした不快感、この意味をこれから時間をかけて反芻していきたい。そういった意味では一種の疑問を投げかけられたようなそんな作品だと言えるかもしれない。