非常に勝手な話で申し訳ないが、私は会田誠という作家は一貫して「日本人の凶暴さをいかに残していくか」というノスタルジー的なテーマで制作していると思っている。私にとって彼は、一般的に言われているような取扱注意のカオスな作家などではない。
エロスやユーモアを利用して彼が描き残す「日本人の凶暴さ」は、バブルをピークに、社会の変化や不況が長引いたりすることで徐々に失ってきたものだ。盲目さや無知さがその根底にあるがゆえに反省し自覚するとパワーが減退してしまったのだろう。そのため、必然的に会田氏のモチーフが日本人特有の盲目さと無知さになっていくのだと考えている。
映画の中で苦心しながら会田氏が地道に行う作業に、盲目さや無知さを復元するような、何か忠実さのようなものを感じた。伝統芸をアレンジした「よかまん」などは特にそれがわかりやすいし、「滝の絵」「灰の山」にもそれらは現れている。しかも、未完成なまま展覧会に出し続けるという行為自体が、何かそのテーマを裏から支えているような気さえする。
また、本作でそのような会田誠とともに興味深いのは、彼の息子の寅次郎の存在である。いきなり冒頭で寅次郎は何かの問題を抱えて千葉から横浜へ学校を変えるために引っ越す。常識的に考えてそれはたぶん小さな問題ではないはずだ。妻の岡田裕子も息子をかなり心配している様子だった。だが、カメラの前の会田誠の反応は極めて緩やかなもので、むしろ自身の子ども時代のつらさばかり語る。
それでも最後の最後で、会田誠は息子に親として振る舞う。自分の絵の大事な部分に「オレンジ色」を入れる作業を見せ、作品の「最後の詰め」について寅次郎と話し合うのだ。そこでの会話は、息子にもし目指す気があるなら、立派なアーティストになってほしいという会田誠のメッセージが明らかに込められている。その親子関係は、十分見物だった。