2012-09-20

『希望の国』クロスレビュー:希望は絶望の中に このエントリーを含むはてなブックマーク 

「現実」を突きつけられた。そう思った。

もし『希望の国』というタイトルを見て、「希望のパッケージ」が欲しくて本作を観るような人がいたなら、間違いなく絶望してしまうと思う。

全体を通してシリアスな描写が続く本作は、『希望の国』というタイトルながら観客に嫌というほど「現実」を突きつける。美しい映像とキャストの迫真の演技がその「現実」をより「現実」にする。
「虚構」であるはずの映画がなぜこれほどまでに「現実」を映せるのか。園子温監督をはじめキャスト・スタッフの方々の努力には脱帽するばかりである。

本作が突きつける「現実」は、私たちが見たくないものかもしれない。原発事故や放射能なんて目に見えないし、今すぐに健康に害があるわけじゃない。だから、恵や洋一を笑い物にする街の人びとのように、「現実」から目を背けて生きた方が楽なのは決まっている。「目に見えない戦争」に巻き込まれるなんてまっぴらだ。

でも、本作を観た後ではそんな思考停止は許されない。

「映画は、巨大な質問状を叩きつける装置なんです」という園子温監督の言葉通り、本作は観る者全てに質問状を叩きつける。
その質問状には「絶望するならすればいい。でもこれが現実だ。どうすればいいかは自分で考えなくちゃいけないんだ!」と書いてある気がした。

洋一と恵が故郷を捨てて子どもを守る決断をしたように、ミツルとヨーコが津波に浚われた荒野を一歩一歩踏みしめて進んでいったように、私たちも前に進まなければならない。

震災以後に生きる私たちの「希望」は、まず「現実」を見据えて「絶望」することから始まるのだと思う。

一観客が言うのはとてもおこがましいのだけど、この映画を「現実」から目を背けようとしている全ての人たちに観て欲しいと思う。そして考えてもらいたい。それがこれからの日本が『希望の国』になるためのはじめの「一歩」だと思う。

キーワード:


コメント(0)


zanki

ゲストブロガー

zanki


月別アーカイブ