どんな物語なんだろう。最初素直にそう思いました。フィクションでもノンフィクションでもユダヤ人を匿う物語はたくさんありますが、そこに平凡な、狡猾という単語が並ぶのも見たことがなく、実話という点も、ユダヤ人匿いといったテーマからいったいどんな風に人間が動き出していくのか、好奇心にそそられながら、映画は始まりました。 まずはソハの正直で、利己的な行動が目に付きます。ユダヤ人は私たちと同じ人間だから助けよう!なんて崇高な言葉なんて一文字もない。それを悪用することしか考えず、それでいてどこにでもいるような平凡な男。
それが、匿いを続けていくにつれ、だんだん変わっていきます。少しずつ、ユダヤ人の事を思う瞬間が増えていくのです。印象的だったセリフは、「もうこれ以上(匿い、口封じに対しての)お金がない」と言われた時の言葉。「じゃあ、このお金をみんなの前でおれに払え、ただで動くような人間だと思われたくない。」 勇敢、優しい、狡猾、などの形容詞がどれも同時にあてはまる、ソハの人間性を表現している気がします。 彼を変えたのは何だったのでしょう。虐殺は、色々な言い訳を付けて、民族を自分と異なるものとみなすことから始まります。色々な見方があると思いますが、そんな良くも悪くも聖人さのない、人間臭いソハがそういう行動を出たのは、愛あり涙あり、怒りありのユダヤ人の「人間臭さ」に、自分を重ねていったのかもしれません。
危険を犯し、犠牲も払い、匿い続けたソハ。だんだんユダヤ人が彼にとって「大切」になっていく過程、そして最後の家族全員で新たな歴史を歩んでいく場面に胸が熱くなります。
余談ですが、ユダヤ人虐殺は、ドイツやフランスといった西ヨーロッパの国々(その事実が例えば映画を通してなど、自分たちが加担したという認識を踏まえ、伝えられている国々)以外に東ヨーロッパでも加担した人や国がたくさんいた、という記事を読んだことがあります。むしろ、それくらいの規模のナチスの協力者がいたからこそナチスが実行できたという見方もされることもあるのだとか。もしそうなのだとしたら、今後未来のために、それらの国々がしっかりと人類の愚行として伝えていくことを祈ります。