当時のポーランドやウクライナのことを知らずに見たが、ユダヤ人はもちろんのことポーランド人やウクライナ人にとっても厳しい状況であったことが映画を見てわかった。
主人公のソハはホロコーストから地下水道に逃げ込んだユダヤ人をかくまうのだが、それは信念に基づくものではない。見返りとしての日々の小銭を得るためだった。下水修理工として仕事を持ちながらも空き巣をしなければ生活していけないソハはポーランド人全体を象徴しているように思えた。
やがて、ソハの行動は家族にばれる。ドイツ軍にばれたら家族全員処刑も免れない。妻はソハに止めるよう訴え、下水修理工の相棒も抜けていった。
ソハ自身もプレッシャーに押しつぶされそうになって、一度は手を引く。しかし、地下で迷子になった幼い姉弟を親元に連れて行ってユダヤ人の窮状を知り、また支援を始める。しかも今度は見返りを求めずに。日本的な表現をすれば「情が移った」というところだろう。
そんな夫から離れず、連れ添う妻にも心の変化が生まれる。地下水道で赤ちゃんが生まれたことを知った妻が迷った末「義妹が産んだことにしてうちで面倒みましょう」と言うまでの心の葛藤は大きな音がするような気さえした。
映画の冒頭に強制収容所への移送を連想させる玩具の列車に青と赤の色があったが、それ以降、地上も地下も色を一切失って描かれる。季節も冬で色を感じさせない。まるで見ている私までも地下水道にいるかのようだ。戦争が終わり、ユダヤ人たちがマンホールから外を眺めると、そこは緑あふれる春。緑が目にまぶしく感じられた。
ソハの妻はケーキを焼き、ソハと一緒にユダヤ人たちに振る舞う。ユダヤ人を支え切った夫婦の顔は本当にうれしそうだった。夫婦には今まで以上の絆が生まれたに違いない。
そしてもう1つ。
戦争さえ起こらなければ亡くなることはなかった人、人を殺すことはなかった人。戦争は人の人生を大きく変える。この映画で改めて戦争の悲惨さを感じた。戦争は二度と起こしてはならない。