11歳というのは、子どもが子どもでいられるギリギリの年齢なのかもしれない。
目に見えないことを信じてみたり、言われたことを素直に聞ける一方で、保身のためには自分を優先させてしまうという大人の悪い面もそろそろ引き継いでしまうような年齢。
しかしながら判断力は未完成だからいろいろと手探りで周囲との関係を取らないといけない。そのアンバランスさゆえに、この物語は生まれている。
母の突然の死は、それだけでも11歳の少女にとっては衝撃なのに、当然現実はそこだけでは済まなくて、あれこれと一気に立ち向かわなくてはいけないことがサチには訪れる。日常生活の細々としたこと、今までお母さんが当然のようにやってくれていたことは自分がしないといけない、お父さんは忙しそうだけど大丈夫かな。そういった「目の前にあること」に、子どもの自分も否応なしに向かい合わないといけない。
その一方では、11歳の少女としての日常も次々と迎えないといけない。仲良しグループでの自分のポジション、クラスや学校で自分はどのように見られているのか、どう振る舞うのか。悩みは尽きないのに悩みだけが飛躍して増えていく。こんな時、友達ももちろん大事な存在なのだろうけど、お母さんがいてくれたらこんなに心細くはなかったのに。でも子どもにとって絶対的に安心な存在であるはずの母はもう、この世にはいない。
この世にはいないはずの母だけど、魂はどこかできっと自分を見守ってくれているはず。そう思っているサチの前に現れた転校生・希との交流は、サチの信念を揺るがしていく。
見えない霊を怖がる希に、サチは、見えないものを信じている自分との共通点を見出し、仲良くなる。そのために、希を排除しようとする元々の友人と決裂してまでも。だが希が自力で霊を凌駕してしまったとき、サチは裏切られたように感じたのではなかったか。
その時、サチの中に初めて悪魔が生まれてしまう。自分を裏切った子に優しくする必要なんかない。優しいお母さんにならって周りの人には真心を持って接してきたけど、その優しかった母の面影を信じている自分を否定することは許さないと。
少女たちの葛藤は、この作品のもう1つの柱となっている。誰もが自分を認めてもらいたい、受け入れてもらいたいと願う思春期だけど、少女たちは残念なことに器用ではない。人と人との関係が推し図れなかったり、心が読めないこともある。自分に都合が悪いこと、不快なことが起こったとき、大人なら何事もなかったかのようにやり過ごすのに、少女たちはそれができない。
学校だけが世界の全てである子どもたちには、否定されることは嫌なはずなのに、そこをうまく泳ぎ切れない。大人になる過程で誰もが味わう苦々しさの描き方は自然体である。
ラストの長い長いサチの慟哭は、母の死がもたらした思いもよらぬあれやこれやの出来事に対して、うまく受け止め切れない自分へのいらだちもあっただろうし、そんなことを考えなくてもよかった子ども時代が終わってしまうことへのジレンマなのかもしれない。
取り巻く環境に押しつぶされそうになる自分が、いつの間にかにっちもさっちもいかなくなって吐き出した叫び。思いっきり叫んだら、きっと何をしていいのかが見えてくる。そして自分の信念に流されないことを学んでいく。大人になるとはそういうことだ。サチは皆よりも早くそのことを感じてしまった。もう元には戻れないけど、多くのことを感じた分、素敵な人になるはずだから。