もし、その国がテーマになっているとしたら、見たいと思うし、見ておかなければならないと思う国は、いくつかある。そして、チベットもそういう国の一つであった。チベットの歴史的背景や、今どのような状況なのか、少しでも知っておかなければならないという気持ちが大きかった。
しかし、実際この映画には、チベットの窮状について、具体的に何かを説明する訳でもなく、直接何かを訴える訳でもなく、そこにはただ、オロという少年の日常があるだけであった。もちろん、少年の言動から、チベットの状況というのも、窺い知れることはできるのだが、この映画は、それを見ている者に、決して押し付けることはしない。ありがちな、扇情的な音楽や演出もない。淡々と日常を綴っているだけである。
この捉えようのない感じが、最初はどうも腑に落ちなかった。しかし、オロが、監督に向かって、なぜ映画を撮るのかと聞く場面があった。監督は、答えた、チベットが好きだからと。そして、オロはありがとうと言った。そう、そういうことだったのだ。好きだから撮る。非常にシンプルで、そして最も大事なことである。
チベットの少年オロの日常を、余分な演出なしに描くことによって、チベットという枠を超えて、人間の本質に訴えるような、深遠なイメージを与える。そして、その中で挿入される、イラストとアニメーションが、さらにその世界を広げてゆく。国の枠を超え、次元の枠をも超えた、限りなく自由な映画である。