『プリピャチ』を見た。
『プリピャチ』とは、原発から4キロ圏内の
立ち入り禁止区域になりゴーストタウンになってしまった街。
動物の姿も消えてしまった。
だけど、木々は関係なく生えている。
むしろ雑草は増殖中。
100年も150年もこの地に人は住めないと言い切る専門家と
zoneと呼ばれる原発の30km圏内に戻ってきて、もう12年もこの住んで、
川の水と牛乳を飲み、川魚と育てた野菜を食べて生き延びている老夫婦の存在。
猫がその魚の内臓を食べ、元気に暮らしている(様に見える)。
この映画を見て、
更に
わからなくなった。
放射性物質というやつ。
形も見えずに匂いもしない、そういう物質が、
人間の遺伝子を壊していくのだという。
わかりにくい。
「恐ろしい」と言う。
「逃げろ」と言う。
でも、その「怖さ」を納得できない自分がいる。
何か自分が斜めになって行くように感じる。
ちゅぶらりん。
「10万年後の安全」を見た時には
大変な物を人類は作ってしまったな、とけっこうショックを感じたのだけれど…。
だから
見た後に思ったのは
まずは福島を体験してみたい、と。
行って感じてみたら何かもっとやるべき事も見えてくるのかも知れない。
何なのだろう、fukushimaという存在は。
もし、この311の災害が原子力発電所の被災を含まなければ
全く意味は違っていたんだろう。
そこから見えてくることがある。
人間が作りだし、行った行為の中で
人が傷つき、死に、虐げられ、理不尽なことをされているのには
納得いかないことがたくさんあり、どうにかしなきゃ、と思うのだけれど
50年前の地上核実験が山ほど行われていた時代の方が
放射性物質はもっと地上に降り注いでいたんだよ
とか
今でもがんがん使われている農薬のこと
とか
どこか知らない場所で行われている搾取や独裁や買収
とか
経済活動のために凄い勢いで失われていく森
とか
山ほどの問題のある
この地球で
フクシマの問題は
何を考え何を伝えるべきなんだろうか。
山ほどの情報が飛び交う中、
まずは自分で感じ・考えてみよう。
淡々と全く解説のない『プリピャチ』映像は、
そういうことも伝えていたように感じる。
過剰に伝えず押しつけず。
そして、自分で感じ考えろ、と。
どんな選択も可能だ。
今なら。